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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

次にお前は「民主主義がやっぱり一番」と言う

『オルフェンズ』は、もう見切ってしまっていて、評判を聞くだけなんですが、フミタンやらビスケットを殺してしまうのは、頂けないな…と思う。

 

裏切者は死あるのみ、というか、ストーリー上殺されるという、作者都合が見えて、自然さが損なわれる。「〇〇な奴だから死んだ」というアニメは製作者側のイデオロギーが強く反映すると思う。

 

要は、道徳劇なんですね。勧善懲悪的な。そういう意味で『オルフェンズ』は子供向けなんだと思う。プリキュアとかと同様、正義と悪を描きたいっていう。まぁ、それは「俺の考える正義と悪」なわけですが。

 

だから、表面上は鉄と汗と血…みたいなハードボイルドちっくなんだけど、中身は多分、子供っぽいんじゃないかな、と予想する。

 

ハードボイルドと言えば、女とタバコと酒、みたいなイメージだけど、これらも別に大したものじゃないんですけどね…(苦笑)タバコは今や大悪にされ、女なんて人口の半分は女。酒なんて現実逃避の手段でしかない。それらが格好良いか、というと寧ろ現実から逃げる方向性のものでしかないと思う。

 

ハードボイルドってのは、そういう都合上、弱い男を描かざるを得ないと思うんですけどね…。ストレスの捌け口としての、酒とたばこと女なわけで。

 

そういうのが格好良い時代があったんだけど、今はタバコ=格好悪い、ですね…。多分ね。私からすればミリオタにせよ格好悪いんですが…。悪いものが格好良いというアレですよね。ヤクザとか。任侠が云々という。どこから来てるんだろうか。

 

いや、分かんないわけじゃないですよ。『ワンピース』も多少なりともそういうアレじゃないですか。『心意気』っていう。昭和に振り戻るにつれて、そういう任侠やら情やら「心」やらが重要視される感じですよね。

 

「寅さん」やら「水戸黄門」やら「渡る世間」やらという印象ですが(´・ω・`)私的にはあの辺が平民代表みたいな感覚というか(笑)最近でいうと「always」みたいな。

 

少しキツイ言い方をすれば、粘着質な、馴れ馴れしい、湿っぽい、人間関係に「本物」を求めている。『オルフェンズ』も『昭和落語心中』も若干、そちら寄りな空気を私は感じる。

 

私が好きなのは「うたわれるもの」くらいのアレなんだけど。まぁ、うたわれの戦争描写は好きじゃないですけどね。日常パートの方が面白いアニメだと思う。

 

戦争パートは他の兵士(モブ)と名ありキャラの扱いの格差が(´・ω・`)「戦場に情なんて持ち込めないですぜ…」と言いつつ、持ち込み、生き残り、他の兵士は死ぬ(笑)美形の女子供が戦争に巻き込まれ死ぬ場面に主人公はショックを受けるがモブ兵士がどれだけ死んでもノーカン(´・ω・`)モブの知り合いもいるだろうに。

 

戦争でドラマ繰り広げんな(笑)と思う。戦争で個人が生き残れるかどうかなんて運じゃないですか。個人が実力で生き残れるわけないと思うから、私なんかは、その辺の描写にどん引きです(+_+)

 

どんな人間も流れ弾やスナイパーライフル、爆弾で運が悪けりゃ死ぬので…。その辺のご都合主義が強く出るので、戦争という舞台で、メロドラマやると白ける部分が増える。

 

ガンダムSEED』は露骨でしたけどね。死に際にスローモーションになって、ヒーローが駆けつけてくれるっていう( 一一)いや、死ねよ。と思いますし。そこで死ぬアニメをみたい。

 

『オルフェンズ』の批判はその点もありますね。フミタンとかビスケットとか、選択的な死にしか見えないので。そういう作為的な死に方が見えると白けちゃうんですよ。フミタンとかは生きて寝返って頑張って欲しかったですね。ビスケットは火星に普通に帰って貰って良かったんじゃ( 一一)帰りたい、って言っちゃダメなんですかね。

 

物語を面白くするために死ね!っていう意向が、こちらにも透けて見える。なら、誰も死なない方が良いな、と思う。どちらがご都合主義が強く思えるか、というと、適当なキャラを死なせてみせる方かな。

 

帰りたいとか甘えたこと言うと「死亡フラグ」っていう考え自体が私は嫌かな。ブラック企業かな、っていう( 一一)製作者側の日常生活を反映してるんじゃ…。まぁ邪推ですけどね。ライターのストレスの、言いたいことの捌け口に作品を使っちゃダメだと思うな…(+_+)

 

キャラクターがそのための駒にしかならないので。それが道徳劇にしてしまうってことですね。まぁ、フリーゲームが自慰行為と変わらないみたいな話で。作品が私物化されちゃうというか。

 

ライターはそうならないように距離感を持たないとダメだと思うんだよね…。そうじゃないと、キャラが崩壊してくるので。

 

タイトルの話ですが、『本好きの下剋上』とか異世界転生チート系の話だと特に結論として「資本主義が一番」になりやすい。どんな国家でもその国の歴史を無視して「資本主義一番」って主張し出す( 一一)

 

中世とか火星とかでの話をしているはずなのに、現代日本の話を持ち込む(苦笑)常識が違うはず、という常識が持て無いので。だから、ファンタジーのはずなのに日本の話をしていて、そこにいる人はコスプレした日本人だったりする(笑)

 

そうなっちゃうと、その舞台設定にした意味あるの?って気になっちゃうんですね。現代日本を舞台にした方が良いよ、と。違う時代設定にしたいなら、その常識の違いと違う常識が性格に埋め込まれているんだ、というのを作家が無視して、全員自分の分身にしてしまうのは…。

 

そういう作家のレベルだと自分はダメだなーと思う。私の求めてるプロフェッショナルでは無い、ですね。「でもMMORPGだ」と言われた方が納得できる。MMORPG系が流行ったのは、多分、そうした部分もあったと思う。少なくとも違う時代の違う場所の人たちの話なんだよね?というツッコミをしなくて済むので。作者に都合の良いキャラしか仲間にならない傾向は強いが(笑)

 

最近、何を読んでても、一番、そこが気になるな…。結局、一人芝居に過ぎないよね、ってすぐ看破できちゃう話だと、ようは醒めちゃうので…。『落語心中』にしても、BL作品っていうのは、個人の嗜好がキャラクターに反映され過ぎるので、そこがばれる。

 

それが私が好かない理由だと思うんですけど。所詮、ガラスの仮面なので。どれだけ上手く個々のキャラクターを作れるか、演じ分けられるか、という話にしかならない。

 

その辺を分かって作ってる作家がどれくらいいるのかなー、と思うんですよね…。仲間は全員、右向け右。同じ主張しかしない。とか作家の都合良い分身じゃダメですね( 一一)自覚的にやらないと、まずエゴが強くて「あぁ一人芝居だな」って思って切ります。

 

逆に西尾維新くらい作為的に「こういうキャラクター」として割り切って造形した方がいいのかもしれない。

 

だからね…そういう作家の作品では大抵、転生系主人公だとか王侯貴族(良い奴・仕事できる)だとかが「民主主義が一番」とか言い出すんですよ( 一一)そういう概念も常識も無いだろ、っていう。

 

一般市民の作者の常識を王や老賢者に代弁させると白けますね…(´・ω・`)例えば、老人を賢者として物語に登場させても、作者が10代の若者ではどうしようもないかもしれない(´・ω・`)割と黒歴史になりがちというか…。

 

アサシンクリード』の未来人的な人たちとかも、いや単なる西洋人だろ(笑)と思いましたし。賢者(笑)人類代表(笑)にしかならないという…。凡人が扱えないもんだすなよ(苦笑)というね。

 

まぁ、そういう人類に警鐘を鳴らす超越者キャラ、っているけど、大抵、それにしては俗っぽいので大きな看板背負うのやめて欲しいなって思う。看板を小さくするか、でなければ、もう少しリサーチを頑張れよ、と。。。