読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

人口の管理が結局は必要なんじゃなかろうか…

女性は子供を二人以上産むべき…なんて話が問題視されたそうだけれど、それを言うなら男は子供を二人以上育てるべき…と同時に言えばいい訳で。けれど「そんなことしたくないので」と何れにせよ、男にせよ女にせよ、答えるグループがあるだろう。

 

私も自分の遺伝子なんて残せないし他人の世話をする器量も無い( 一一)だから、単純に「みんなが二人以上産めば良い」なんて話じゃ無いんですよ。誰もが親になれるわけじゃないから。

 

発達障害の私が私の子供が欲しいと言ったら、大体、発達障害を遺伝させることになる。そして、発達障害の親がまともに子育てができるのかと言えば疑問である。私は育てられた側として、そう疑問を呈することが許されると思う。普通の親でさえ発達障害の子を社会に適応するように育てることは容易だとは思えないのだから。

 

じゃあ、そういう私が「二人以上の子を育てるべき」だろうか。というと私は育てるべきじゃないと思う。少なくとも私は子供を育てるべきではない人間である。だから、私から見て、この「みんなが二人以上産み育てるべき」みたいな話は、もう他人事である。

 

私はもう試験管ベイビーを作って育てたら良いと思うので。優秀な遺伝子を掛け合わせて。人口の足りない部分は優秀なもので埋め合わせていったら良いと思う。発達障害も所詮、妊娠初期に見つかるなら排除されるような遺伝子疾患だろう。偶には天才が世の中を変えてくれるからと言って、全体的には、お呼びじゃないのである。

 

まぁ、そういう運命に生まれてきた人は結構いるわけだが。そういう人が「みんな」がやっているのに「私だけやれない」のはズルい、というので、結婚、出産したりするわけだが、私はその理屈は独善的だと思う。身体の弱い人がせめて子供を残そうとするのは、私は止すべきだと思っている。そういうのは遺伝するからだ。

 

そのことを考えれば躊躇うはずなので、せめて子を残したいなどというのは他人のことを考えない独善である。そういう母親が偶に物語などで描かれるが私は好かない。同様に結婚に向かない男が離婚を繰り返して、尚、結婚しようとするのはとても愚かだと思う。

 

劇団員の殺人事件で「友達になって欲しかった」と言って、十歳以上年下の異性にピンポンダッシュするのは、あまりにも愚かである。多分、犯人は発達障害かコミュ症、知的障害等なんだろうが…。

 

まぁ、中高生か幼女に友達になって欲しいと言って、凸する大人みたいな構図である。友達って何。絶対何か違うと思うな(´・ω・`)おっきなお友達とか求めて無いから。

 

自分に「みんな」と同じ権利があるはずだ、と思っている。自分が「みんなと同じではない」ということに気づかないか、受け入れられていないか。その割になんで自分だけ…と思っている。

 

自分だけ〇〇なのはおかしい。と言って、他人を巻き込んでしまう。この私だけ〇〇…。とみんなXXなのに…。という論は一緒である。出口が無い。結論も出ない。意味が無い思考の切り口になり易い。

 

まぁ、だから衝動的に暴走した行為に発展したりする。

 

駄々をこねるのは己が馬鹿だからだ。

 

駄々をこねる。ヒステリーを起こす。衝動的に行動する。非論理的なことをする。…とか、そういう辻褄が合わないことをしてしまうのは単純に言えば、馬鹿だからである。

 

それを言っちゃ、お終いっちゃお終いなのだが…。「馬鹿だから馬鹿なことをする」以上にシンプルなことは無いのに、馬鹿は自分が馬鹿だと認められないものであり、どう馬鹿なのか理解できない程度に馬鹿だから同じ馬鹿を繰り返すのである…(´・ω・`)

 

更生に必要なことは、自分がどういう馬鹿なのか知ること、馬鹿じゃない行動を知ること、馬鹿じゃない行動を取れるようになること、であり「自分は馬鹿じゃないが偶々何か悪いことをしちゃったんだろうな…ごめんね」と悔い改めることではない。

 

孤独で自殺した99歳のおばあちゃんがニュースになった。嘘か誠か。波に浚われただけなのかもしれないが…。私はあと1億年と2000年くらい孤独だと思うので、10歳でも99歳でも変わらないけれど。

 

発達障害者(私)は友達ができないので孤独である。自然に友達を作れないし、それを維持することもできない。意図して努力して友達を作るのも面倒くさい(笑)都合の良い優しい人になるだけでそれ以上の何か…ってあるのかね。

 

まぁ、その自分の維持費が高く付き過ぎて、保たない。対外的な自分を常に作らなければ「友達」で居られない。その仮面を外すと体調を心配される(笑)そうやって疲れ果てるのが常で、もう友達とか良いやって、ね。

 

私には無理しても「トモダチ?」にしかなれないのに、頑張って作る意味とか無いですよ。少なくとも縋りつくための友達ならいない方が良い。キープ(笑)しとくのが疲れるので。そういう意味で友達は選ぶべき。上手く付き合っていけない人とは付き合わなくて良いと思う。

 

友達が一人もいないこと…まぁ辛いんですよね。そういう事実が(笑)生きていると、そのことで一人くらいいるでしょ、みたいな話題に遭遇することが多いんですよ。

 

『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い』の序盤の方、今は主人公も友達ができたらしいんですけど、どう考えても物語的に辛くなってきたから神が創造賜られたんだと思うけど(苦笑)

 

その『わたもて』をフィクションだと思っている人がいるみたいで、さすがにあんな悲惨な人いないでしょ…と。まず、そう思える人がいる時点で辛い(笑)私は「わたもて」に共感できる側の人間だからね。

 

それで実際ずーっと友達いない人もいるわけですよ。物語的な出版社の都合的な自分に寄り添えるチューンナップされた友達が天から降ってくるわけも無く。今ならサンタさんに「生涯の友」頼みたいね(´・ω・`)

 

そういう宿命的な孤独にどう寄り添って、どう受け入れて生きるか、ってことを知りたいのに、図書館にある本は「誰でも一人くらい友人がいるはず」とか「自分が心を開かないから友達ができないのだ」とか(笑)それは孤独じゃないから(´・ω・`)

 

そういう素人みたいな著者が孤独(笑)について書いてる本ばっかりでうんざりですよ。あるいはリア充が孤独なオレ格好良いみたいな感じで書いてたり…('ω')モゲロ。そういうのは求めて無いんですよ。ハーレム系ハードボイルド小説でも書いてろよ。

 

心を開くとか殻に籠ってるとか、そういうことじゃ無いんですよ。そんな観念的な世界で生きてないので。それは「みんな同じ」教の人たちの理想の世界ではそうなんでしょうけど…。

 

私は「みんな違う教」なので( 一一)脳の仕組みが神経の作用が違ってるので開くとか閉じるとかそういう問題じゃ無いんですね。心を解き放て!って言われても、解き放たれる何かとかそもそも無いので。封じて無いので。

 

そういう『新世紀エヴァンゲリオン』的なノリは自分には当て嵌まらないことなんだなーとしみじみ学習してきたので。人によってはコミュ症ってのは克服できる問題じゃないんですよ。何年英語圏に住んでいても英語が喋れるようにならない人がいるみたいに。

 

じゃあ、その時に、どう生きてくのか、っていうのが私の問題意識ですね。世間はそういうことをあまり理解できていないみたいですね。とにかく孤立させなきゃいいんだ、と。

 

けど、認知症みたいな話で、人といることが、コミュニケーション自体が苦痛になってしまう人もいる、というところまで包括して考えられてるのか疑問。

 

会話によるコミュニケーションは高度な能力で多少でも脳の機能が足りないと付いていけないってことが、自然にできちゃう人にはわかってないんだと思う。

 

コミュニケーションが会話ベースだけで考えられているのだとすると、そこに参加できない人は多い。

 

まぁ、だから愛玩動物とか飼うわけですよ…(´・ω・`)

 

幼女に話しかける人とか、多分、コミュニケーションのハードルが下がるはずだと期待してるんでしょうね。友達いない、孤独。会話できない。→幼女なら。みたいな。惨めですね。先輩後輩。上司部下。店員と客。とか、自分が尊重して貰える関係を選んで利用し交流を図ろうとする。

 

けど、パワーハラスメント的になるんですよ。対等じゃないし。対等なコミュニケーションができないから、そういう場を利用するわけだけど。私はそういうのは嫌だからやらない。結局、相手に一方的に負担を強いているし、相手は対等な関係を重視するので他に重要な人間関係があるわけで。自分がそれを知ったとき嫉妬しますよ(´・ω・`)

 

そういうのもテンプレですけどね…。自分というものがありながら…的な。そもそも対等な関係じゃ無いのに期待すんな、って思う。

 

人によってはそういう関係に寄生することでしか他者と関係が持てないみたいな人がいるわけですよ。私とか。最たるものは母子関係とかね。けど、私はそういう関係を利用したくないタイプですね。

 

まぁ、だから対等な関係が外に築けないような人は母子関係が妙に強かったりするんじゃないのかね。それ以外に対人関係が築けないから。似ているのは公園で猫に餌あげてる婆さんとか…(´・ω・`)

 

そういう系の孤独の問題って、実はかなり広範なんだろうな…。ほら、暴力団とかグループに依存して、それが全てになってしまう、とか典型だし。他人と上手く繋がることができない人がどう生きるべきか、みたいな。