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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

当事者のブログを読みたいが気が滅入るものが多いという話

発達障害の当事者のブログ…をさっと探してみたものの読んでいて辛いものが多くて疲れた。

 

どうも私の検索や欲しい情報にアンテナを張る能力/技能は低いのかもしれない。当事者でもレベル高いな、って思う人のブログを探すのは至難である。

 

二次障害で死ぬ…もう無理死ぬ…辛いけど頑張るしかない…でも死ぬ…って言ってる人が多い。地獄かな|д゚)

 

ブログを書きつつ、それは単にSOSを出してるだけなんだよね、と思うものが多い。そういうの求めて無いんだ(´・ω・`)

 

分かるけどね。私には救ってやることができない。残念ながら阿鼻叫喚を聞くためにググったわけじゃないんだ…。

 

「働かなければいけない」と固執しているのが痛々しいですね。「働かざるもの食うべからず」という心理からどうしても離れることができない。世の中も社会も家族もみんなが脅迫してくるから視野の狭い発達障害者は猶更その包囲網の出口なんて見つけられない…( 一一)

 

これは「生活保護なんて受けない」と言って自殺した老人と同じ思考だと個人的には思っている。私は「それを受けてはいけない」のである。ドロップアウトしてはいけない。そういうメッセージしか彼らの周りには無い。「ドロップアウトしていいよ」「もう頑張らなくていいよ」と言ってくれる人は周りに誰もいない。

 

「まだできる」「お前なら頑張れる」「あと少し」と言って、もう無理…死ぬ…という人を激励し続ける人が多い。そして、退路は示してくれないのである。だから健常者であっても退路=自殺と考える人が今でも多いのだと思う。

 

子供を4人抱えた母親の一家心中が報じられていたが、そういう人の逃げ道が社会に無いのである。

 

発達障害的な女性なら、男に騙されて子供を作ってしまい、育てる能力も無い、というケースは考えられやすい。その癖真面目なので、そういう女性が子供を抱えて何とかこの子と生きなければと喘いでいる。弱者程そういうことになりやすいが、弱者程助けを求める能力も低い。それ故、追い詰められれば思いつく最も簡単な逃げ道は自殺なのであろう。

 

昔は発達障害者のような頭の弱い男女の行き場は、ヤクザの鉄砲玉か娼婦と書いていたのを読んだことがある。昔と言ってもほんの4~50年とかそういう話であって、最近の話であろう。現在の能力主義社会においては底辺の地に落ちるのが正しいような人々である。

 

但し、今の世の中はそれを人道的じゃないと言って批判してくれるようにもなってきたのだろう。その過渡期にあって、発達障害者の今の状況である。だから、まぁそういうブログばかりなのだと思う。

 

じゃあ私が幸せな発達障害者かというと、一般的に見れば私は不幸の底だと思うが。「哀れな物乞い」みたいな。但し、人間関係において悩まされる現状に無いから、その分余裕があるだけなのだ。人間関係と普通人と同量の仕事によって発達障害者は擦り切れると思う(´・ω・`)

 

特に「普通の人間」として振舞おうと思うと、どうしても疲弊する。私はその辺りからは多少ドロップアウトしているので「可哀想な人」に見られても良い。「あ、あのひと変だから近づかないようにしなきゃ…」みたいに見られても仕方ないな…と。

 

友人関係や他人と関わる際には、自分の変な部分を隠そうと気を遣うものだ。逆にそれをやめようとすると「変人を装おう」みたいなことになっておかしくなる。何れもやめると良いと思うがその塩梅は難しい。

 

やっていることは犬が人間を見て、自分も二足歩行すべきだ、と思うみたいな感じである。じゃあそれを辛いから止めるべきだ、と言って「歩くことができなくなった」。それは何だかオカシイのである。それも何だか辛い。

 

犬は「四足で歩く」のが良い。

 

そういう話である。