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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

私が障害者なのは鏡像さんが息してないのが全て悪い

発達障害者には左利きが多いと聞く。

その理由。

恐らくは鏡像関係を上手く扱えないから。

 

「猫に鏡を見せる」という動画があり、ちょっと虐待っぽいが…(´・ω・`)

 

まぁ、猫は鏡に映っているのが自分だと気づかないのである。私もやはり鏡に映っているのが自分だとは気づかないのである。

 

私は「知ってはいるが分かってはいない状態」で鏡を使っていると思う。それ故、皆が右利きなのに私は左利きということになる。

 

私は目の前の人の行動を真似ようとするのだが、自分の身に転じて真似ようとしないので、左側にペンを持っている人がいるので、左手にペンを持つのである。そうした真似を繰り返したところ、左手で使うという習性が身に付いてしまったのだろう。

 

この歳になっても「真似て見なさい」と言われた動作を上手く模倣することができない。それは「自分の身に転じて想像する」というような補正機能が私の脳に備わっていないのだと思う。

 

想像力の障害とよく言われるが、これもまた想像力の障害である。発達障害者が文章題が苦手であると言われるのも同様の障害であろう。作家の平野啓一郎は、テストというものは「質問者が求める答えを想像して書かなければならない」と書いていた。ピーマンをパプリカと書いて×を貰った答案があったが、パプリカと書くのは相手の意図を察する能力が足らないのである。

 

そういう「相手の説明が足りない」という正論で笑うスレッドがよくあるが「私の察する能力が足りない」という意味を併せ持っている。

 

この能力が咄嗟に使えるということが健常者のコミュニケーション能力を下支えしているので、この能力が無いことによって、私はコミュニケーションを行うことが難しくなっているのである。

 

「手話のサークルに両腕の無い私が入部しようとする」

 

という感じである。会話の能力は例えば「発声できること」「聞き取れること」「言葉を知っていること」など幾つかの機能があって初めて使い物になる。

 

そのうちに実は「鏡像関係が使える」というものがあって、それを健常者も発達障害者も理解していないので、なぜ会話が通じないのか誰も理解できないまま、発達障害者の経験や努力が足りないせい、ということになっていくのだろう…。

 

けれど、実際には「内臓イヤホンが壊れているから」みたいな問題である。そしてこれを直す方法は無い。どうもこの一つの問題が、想像力の問題・コミュニケーションの問題・社会性の問題…に繋がるような気がする。

 

そのくらい「鏡像関係が作れない」という問題が根源的で致命的な欠陥のような気がする。ADHDには片づけられないという症状があるが、これは「自分の身に転じて何か問題があるだろうか」と想像できないから、部屋の汚れと私は無関係である…と思い、何か行動を起こす必要性を感じないのだ、と考えられる。

 

「行動と結果を結び付けて利益を得るあるいは損失を減らす」という能力も「鏡像関係を作る」ことによって可能になっているのだとすれば、そういう意欲も湧かないということであろう。少なくとも頭で知っていても、感覚的にピンとくることは無い。

 

 これを「私の障害は鏡像さんが息してないのが全て悪い」論と名付けておこう(´・ω・`)でも鏡像さん死んでるからな…(*ノωノ)

 

 注意しておくが、これはだから「想像してみなさい…」と言ってどうにかなるものではない。ジョン・レノンの歌を聞いたからと言って世界が平和になるわけでは無いのと同じだ。

 

みんなが当たり前に自動でやっている(停止ボタンなんて無い)ことが私にはできないし「なんちゃって手動モード」(モノマネ・スタミナ消費有)はたかが知れているからである。イッコクドウみたいな感じである。「ボク鏡像君。声は遅れて遠くから聞こえてきているような感じがするヨ」「この役立たず!ノロマ!」(*ノωノ)