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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

ガールズパンツァー 感想

見やすくておすすめ。

 

要するに剣道をスポーツチャンバラにしました、みたいな感じ。

なので、戦争アニメだと思って忌避している人も血や人死なないのでおすすめできるアニメ。

 

批判の中には「死ぬでしょ」ってあるけど、まぁ「ドラゴンボール」(ギャグ時空)みたいなレベルの話なのでツッコんだら負けだと思う…(´・ω・`)

 

そもそも女子の嗜みとかいう時点でおかしいんだから(笑)戦車と女子力に何の関係があるのさ(´・ω・`)

 

その辺にツッコむ人は向いてないんですよね。私はハーレム系はツッコみ入れたくなるので見ない。スルー耐性とでもいうべきものが無いと見るに堪えないジャンルってあるんですよ。

 

そういうアニメが結構多くて、オルフェンズも落語心中も私としてはそっち側。見難いアニメだった。そういう意味では「うたわれるもの」と「ガールズパンツァー」は見易いアニメだった。

 

私は基本的に見易いアニメが好きだし最近は鬱っぽいので見難いアニメを最後まで見る気力が無い(苦笑)まぁガールズパンツァーは死なない前提なのに、そこ(仲間を見捨てる見捨てない)を主人公の悩みにしちゃうのがダメだと思う。

 

そりゃ競技より人命を優先するでしょ。寧ろ、その行動を非難している西宮流って(´・ω・`;)戦車道のルールというか安全性が十全じゃないよね(苦笑)その辺が整理仕切れてないというか設定がスポーツに仕切れてない癖に実戦感覚が混じってるのがどっち付かずのご都合主義だと批判されるんだろう。

 

ルール上のおかしさは「圧倒的に戦力差があってフェアじゃない」という点も目に付く。劇場版もそうだが。圧倒的に自軍が不利な状態で試合を容認する運営側の頭オカシイでしょ(´・ω・`)ボクシングのヘビー級にライトフェザー級が挑んでいても何も問題無いよね?と言ってる状態。

 

まぁ、だから劇場版は見ていないが、その設定が学校を再建させる代わりに難易度ハードクリアを押し付けられるという話らしいので、そこは現実離れし過ぎて何の共感もできないな…という感じである。

 

非常にゲーマー的な感覚というか。もう無双ものになっちゃってんじゃん…(´・ω・`)「ヒカルの碁」で相手は1ターンに2度打つ特殊ルール付けるみたいな感じ(笑)でもヒカルが勝つから。それで神の一手とか互いに切磋琢磨とか「お前中々やるじゃないか」とか友情のシーンを描く…無理でしょ(´・ω・`)

 

要するに「天才非課金ユーザーが無能課金ユーザーに勝つ話」になってるのでそこに気づくと、戦車で自称劣勢の状態から「俺tuee」したい人間が書いた話…(´・ω・`)それを然も切磋琢磨してフェアに戦ってる風(スポーツ…芽生える友情)にするので、いや騎士道とか無いでしょ…と。

 

作中に主人公が「戦った敵と仲良くなっていくお前は不思議なやつだな」という台詞を言われる場面があって、あぁ「なろう」のテンプレのやつ…と思った('ω')それ主人公属性というパッシブスキルなんで。

 

そういう矛盾がチグハグ感に見える。キャラクターに好感は持てるが、あんな一日二日で全部自分を庇ってくれる「都合の良い友達」出来ないから…。どうせ1億と2000年前からの関係だったんでしょ(´・ω・`)もうね。主人公ちゃんをヨイショするために神が遣わせし天使なんでしょ、と。みんなそれで良いと思って見てるのかもしれないけど。

 

剣道→スポチャンなら、主人公のトラウマは誤って相手を殺してしまった…とかそんな感じだけど。戦車道でいうと「スポンジの剣で相手を殺してしまった」くらいにならないといけないと思う。

 

寧ろ、あの世界観だと榴弾でしょっちゅう人死ぬでしょ(´・ω・`)それを「死なないし」「安全ですよ」というのなら「スポンジで死ね」と言いたい。榴弾が当たっても死なないんだから水没しても別に死なないのに助けに行ったんでしょ(´・ω・`)

 

そこがごっちゃになってるから世界観がわけわからなくなるので…。なんか西宮流が人死により試合に勝つことを優先させてるような感じになってる。人命救助した主人公は正しい、みたいな。

 

でも水没した戦車に閉じ込められても榴弾が当たっても戦車に轢かれても、戦車が爆発しても、あの世界の人達は死なないから(´・ω・`)なぜなら戦車道はスポーツだから。だから、助けに行った主人公はアホの子なんですよ。

 

スポーツチャンバラのダブルスで、スポンジソードで頭を勝ち割られた相棒に駆け寄って「生きてるか…?今治療を」とかやってたら、自分も頭をかち割られた…みたいな話でしょ(´・ω・`)剣がスポンジだということを失念している。

 

そして指摘されても「わかってる。それでも…これが私の戦車道だから!」という。本家の西宮流は「所詮スポンジ。(問題無いから)捨て置け。(試合に)勝つことを優先しろ」って言ってるだけ。

 

戦争だけど登場人物は不死というギャグ時空に、スポーツ的な安全基準を設けた結果、何が危険で何が安全なのか分からなくなった微妙な舞台世界…なんですよ(´・ω・`)

 

でなければスポーツチャンバラで真剣持ち出して試合してるこいつらが頭オカシイだけ…(´・ω・`;)仮に怪我したとしたら「タイム」するでしょ。そしてそれは認められるのがスポーツ。戦車水没して助けに行かない時点で責められるようなオフィシャルルールがオカシイんで…(´・ω・`)

 

そうすると蚊に刺された程度で救急セットを持ってくる慈悲の天使過ぎる主人公をヨイショするために母親と姉が悪役に仕立てられてる…という見方もできる。

 

その辺がやっぱりスルー耐性無いからorz

ついツッコミを入れてしまう。

あぁ、心が汚れてるんだな。あるいは、大人になってしまったんだな…と思う。小さなことを気にしない人から見れば満点評価を下せても重箱の隅をつついたり、窓枠に指を添わせて「こんなに埃が!」という感じの私から見ると雑さが目立つ。

 

ちなみに、この手の誤解は武道とか体育会系の部活動でもしばしば見られる。武道なら

 

古武術とは殺人術。脳震盪も起こせぬ技に何の意味がある」

 

と陸奥〇〇流みたいなことを言う人がいて、

 

「私たちは日々楽しく部活動しています。ダイエットにも最適です」

 

と書いた部活勧誘をしている。現代のスポーツ化した武道と安全=甘え、的な実戦主義とが一緒くたになっているわけである。この辺はガールズパンツァーとよく似ている。

 

「お友達と楽しくスポーツできればそれでいいんだよ」という主人公側と「勝てば官軍。敗者は略奪されるだけ」みたいな本家という構図である。一昔前は後者(体育会系・成果主義)が多かったし、甲子園へ行こうみたいな連中は、そういう世界観の中に生活しているのだろう、と思う。

 

『タッチ』を視聴すれば、大体、そういう体育会系のノリは分かる気がする。所謂、強豪校という学校ほど、そういうノリの中で部活をしているのではなかろうか。だから、たまに熱中症=甘えという教師が出て来るわけである。

 

まぁ、それは今日のブラック企業にも言えることである。その手の企業も要は「競争に勝てねば意味が無い。負ければ敗者」という精神で「水没した戦車は見捨てよ」というわけである。

 

今日の経済活動はスポーツマンシップ(人道に則るべし)に則るべきである、ということを忘れているわけである。経済戦争と言われるように経済は代理戦争だと考える見方もある。そうすると労働者は兵隊であり兵隊は結果のためであれば人道に反して、見捨て、切り捨てても良いのである。

 

要は相撲における白鷗のようなものであり、今日ではそれは世論の批判の対象となる。経済は戦争であると主張する輩は、現在進行形で体育会系の非人道的な判断をし続けているだろう。

 

それは強豪校が甲子園を目指すようなスタイルが部活であると勘違いするように、それが仕事であると勘違いしているわけである。仕事というのはどちらかと言えば「ダイエットのためにボクシングジムにエクササイズに通う主婦」くらいの感覚でみんな従事しているものだと思われる。その中に勘違いした甲子園球児が一部混ざっているわけである。そしてプロとアマチュアは違うのだ、と滾々と自説を語ってくれる。要するに陸奥〇〇流は殺人術だということなのだ。

 

私はグロ耐性が無いのでゴア表現も無しにするし、殺人術でなくて、スポーツチャンバラレベルを求めているのである。そういうTPOを上手く図ることが世の中存外難しい。特に自閉症者は。

 

働く人の中にも、働かない=死。と戦場みたいに考えている人と、働く=日常生活くらいに考えている人と随分気持ちに差があったりするものである。だから働くことを戦場にいることだと考えてしまうような人は割と日常生活を送るだけで追い詰められていくわけである。

 

それを仕事=日常生活くらいに考えている人は「?」と思っている。かなり意識に差がある。