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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

とらドラ …親の話

とらドラ!を見ている。おすすめ。

ちょっと、大河の口が悪いのが気に障るが(´・ω・`;)茨城のヤンキーかな。アニメだから許される感じ。ADHDっぽい。

 

甲斐性があれば付き合えるけど、自分に相手の面倒まで見る覚悟が無いと、こういう子とは付き合えない。実際、リュウジの苦労はアスペ妻を持つ夫の苦労に似ている。タフなやれやれ系主人公じゃないと付き合いきれないのである。

 

リュウジの問題は両親がDQNであったこと。リュウジ自身、必死で父親を肯定しようとするあまり、大河に自分の父親像を押し付け間違いを犯す。

 

典型的な「子供を愛していない親なんていない」説である。これは違う。小学校の「友達100人作ろう」説と同じである。あるいは「クリスマスにはサンタクロースが来る」説である。要は子供騙しに過ぎない。なぜ事実でない言説を流布するのか理由は分からない。

 

ただ発達障害者的にはそうした「子供騙し」を本気で信じているので時々凄く傷つくことになる。

 

リュウジの年齢では自分の父親がクズだということを納得できないかもしれない。そういえば『廻るピングドラム』も両親が犯罪者で子供がその罪を背負わされる話だった。

 

貴重な思春期(成長期)を自分の親がロクデナシであるという事実を認められない矛盾した葛藤の中で過ごすことは悲劇である。少なく無いストレスを抱えて生きるということであり、愛されている子供とはそれだけでも異なる環境に身を晒すことになる。

 

 

子供は、

「自分の生まれは選べない」

「あらゆる人間が異なる環境に生まれて来る」

「親もそうした人間の一人であり、ただの男女に過ぎない」

「親とは役割であり人それぞれで人間に完璧な人間はいない」

「良い先生と嫌な先生がいるように、良い親と嫌な親がいる」

「そして、誰も自分で環境を選ぶことはできない」

 

ということを知るべきである。リュウジの間違いは

「全ての親は子供を愛している」という誤魔化しに基づくものだと思う。

 

親も反転して

「全ての親は子供を愛さなければならない」

と思い込み「子供を愛せない自分は異常である」と考える親がいる。水頭症のキモイ赤ん坊が生まれて来ても、自閉症の暴力傾向の強い子供が生まれて来ても、知的障害の寝たきりの子供が生まれて来ても親はそれを愛さねばならない。その考えは誤りである。

 

それは周囲から期待される信仰に他ならない。信仰=宗教を自分の考えと同化させようという試みが、自分の心を矛盾させ葛藤させストレスで抑圧して精神のバランスを壊すわけである。

 

そうした場面では道徳や正義、生活を守るために自分がどういう結論を下すか…それが試されているだけだ。親として、医者として、個人として、どうするのが善いのか…。

 

知識や知能が足りないから、内省が足りないから、要するに無知で馬鹿だから、思考が破綻する。自閉症の場合、視野の狭さ、ワーキングメモリの少なさ等もここに関連する。

 

聖徳太子が「1を聞いて10を知った」という逸話があるが、私は1を聞いて0.2くらいしか知れないと思う。その程度の脳味噌では物足りないと思う。だからと言って、この能力は人それぞれ。親を選べないように自分の脳味噌も殆ど選びようは無いと言って良い。

 

但し、何れも「自己責任」と言われている(笑)そんなものは所詮、例えば、資本主義社会のフェアな「競争」を正当化す(でっちあげ)るための建前に過ぎない。

 

それにしても、知能が一定水準以上ある人間は成長の過程でそうした世の中の欺瞞に解答を出していけるようだが、お馬鹿さんは一生気づかない。お馬鹿さんは一生欺かれたままである。「正直者が馬鹿を見る」という具合であろう。正直=愚直という。「愚か者が馬鹿を見る」ということである。

 

「正義なんて無い」と言うが、所詮、馬鹿者には理解できないので、あると言っても無いと言っても変わらない。神がいると言ってもいないと言っても分からないのと同じように、馬鹿だから分からないのである。

 

「正義なんて無い」という割にはISILは悪だとかテロリストは悪だとか断定している。私は「正義は無い」というよりややこしくて分かり難いというべきなのだろうと思う。勿論1を聞いて0.2しか分からない私の勘に過ぎない。

 

アインシュタインくらいの知能の正義の専門家がいたならフェルマーの最終定理の証明のように説けるのだろうけれど、要するにそれは殆どの一般人には解説を聞いたところで難しくて分からないということでもある。

 

要するに、それは「理解できないから賛成できない」つまりは、多数決原理なら、合意に至らないだろう。

 

「正論は必ずしも正しくは無い。特に合意の形成こそが肝心な場面においては」

 

まぁ、個人的には「論理的でありさえすれば全ての人間が納得できる」と思うのは神学だと思う。実際には人の知能には段階があり、段階を踏まなければ分からず、理解に至らない。かつ、段階に至れない者もいる。つまり、永遠にそれが分からない者も出て来る。

 

他人の知能の低さを馬鹿にして鼻で笑う者が、努力の多寡を問題にして言っているのであるとすれば、彼の知能が低いことを露呈しているのである。彼が深淵を覗くとき深淵もまた彼を覗いているのだ。

 

馬鹿馬鹿と書いているが、私や彼が馬鹿なのは運命に過ぎない。愚者に生まれて来ることも私には選びようが無いことなのだ。自分が愚者であり、更に親が愚者に生まれてくることも私には選びようが無いことなのだ。

 

そうした運命の中で自分が「まともな人間」に生まれてきたと思うなら、前述した連環を心得るべきだ。他人に常識を求める行為はスパロボロケットパンチが当たる確率くらいに期待を裏切られる確率を含んでいるのである。

 

特に健常者はマジョリティに囲まれて、マイノリティの存在を忘れてしまいがちだ。『わたもて』の主人公なんか現実にいないと本気で信じている人がいる。だから「何となくみんなが恵まれて生まれて来る」と信じている。それが恐らく平和ボケなのである。だから、攻撃が100%当たるはずだ、とか考えてしまうのであり、だから「全ての親は子供を愛するものだ」と純粋に信じているのである。

 

実際、そういう人に会ったことがある。とらドラ!の話だがリュウジは「そういう人」であり、大河は「そうではない人」だったのだと思う。まぁ、リュウジは認めたく無かっただけ…だが。

 

あとはまぁロクデナシが0か100だと思っている人がいる。殺人犯も万引き犯も闇よりも尚暗い闇…くらいの悪である。最近は不倫=人間失格。まぁ、ADHDの話も含めると、悪や迷惑、暴力なんて話も単純に考え過ぎていると思う。ちなみに不倫は死ね、と個人的に思っている。ハーレムは邪道。断じて認めぬ。

 

『弟』なんて見ると、ロクデナシの話で、家族はそれでも見捨てられない…みたいな心情を描いている。子供の親に対する心情もそういうもので後ろ髪引かれるんですね。それは「悪」の定義が非常に曖昧なものだから。不透明だから。許せるような許せないような、ストライクゾーンのような外れているような…そういう感じで。

 

まぁ、だからその情を切ると、何か自分が「人でなし」になるんじゃないか、という気がするんですよね(苦笑)それがまた心に刺さるもんで。捨て猫を拾ってまた返しに行った時の「あぁ私がこの猫を殺すんだな」みたいなね。そういう道徳心というか情というか、自分の守りたい気持ちを、境界を侵害している感じがするんですよ。一線を越えて猫を捨てる。

 

多分、信仰を破っているような感じなんでしょう。それが結構、心にグサーっ、と来て、長年忘れられないんですよね。大河もやはり親を捨ててやったことがグサーっ、と刺さっていて、だからこそ縒りを戻そうとするけど、やはりまた裏切られる…という展開なんだろうな。親が馬鹿だから。『弟』の父親verですよ( ..)φメモメモ

 

それは大河の気持ちを踏み躙ってると思う。それを知らないリュウジが「親と仲良くしろよ」というけどね。ムスリムの食事に豚肉成分入りの味の素掛ける行為ですよね('ω')

 

リュウジの好感度が一気に下落したよ(´・ω・`)私も本当に幸せ家族脳の人間に「家族が一番」「家族を大切にしないやつは悪」って意見を押し付けられるのが嫌い。

 

発達障害で人間関係も少ないから、そういう話をした人の数も少ないんですよね('_';)もっとサンプルになる話が欲しいなと思いつつも、関わるの辛いから世間話を聞く機会も増えないという。でも世間話で流れる情報というのは随分魅力的ですよね。そこだけで人生の半分を損している気になる私である。

 

別に「家族仲良い」みたいのは良いんですよ。『みなみけ』みたいな。理想ですよ。あわよくば自分の頭もまともなら。

 

けど「家族を大切にしないやつは大っ嫌いだ」と言われても「お前の家族と俺の家族は違う」という基本を理解していないやつが私は嫌いなので…('_';)だからリュウジも一瞬で嫌いになった(苦笑)

 

私も家族と縁を切っていて、たまに聞かれては精神科医に苦笑されることがある。別に親が悪人というわけではないけれど、私の障害を理解してくれる親ではないから、縁を切ったのである。

 

精神攻撃に耐えられないから(苦笑)まぁ悪人でなく善人の類でも馬鹿で反りが合わなければやっていけないこともある。そういう家族が一軒家に押し込められたとして健全でいられるかというと難しいかもしれない。小言が好きで図々しい馬鹿な母親が自閉症ニートと住んでいたら自閉症ニートはもげると思うんだ('ω')

 

その場合、この馬鹿な母親は自分から家庭を破壊していることに気づかない。ニートが全て悪いんです…と言いつつ、ちょっかいを仕掛けてヘイトを上げ続けるわけなので…。その間、引きこもりの本の一冊も読まない…。

 

でヘイトが最大値を越えたら、ダイダラボッチっぽいものが開かずの間からドロドロ出て来るわけで。母親は「私は何も知らない、私がなんでこんな目に…」って言って最初に死ぬ役です。死因:馬鹿だったこと

 

機能不全家族というのは馬鹿だから家族内の問題に構成員だけでは対応できなかった結果…そうなる。まぁ、だから外の助けが必要なんだけど、その辺の福祉とか対応がね。まぁ、子供が命の電話に掛けたら、機械音声対応みたいな淡々とした塩対応に遭うか、電話自体繋がらず、希望失ったり(´・ω・`)

 

とりあえず、発達障害のセンターには普通に電話通じなかった( ..)φメモメモ。通じても、塩対応。診断のための病院?ググれ。ですよ('_';)黒澤明『生きる』を見て元気出そう…。まだ箱もの作っただけで中身スカスカなんだと思うな…。当事者がアドバイス受けれないとしたら何のためにあのセンターあるんだろ…(苦笑)

 

馬鹿な私に不親切過ぎるんだぜ…(´・ω・`)

 

 まぁ、発達障害者を抱えた家庭の親は殆ど馬鹿ばっかだと思いますけどね。そのくらい発達障害者への対応は難しい。高卒の対して知的じゃない親では、余程地頭自体が良く無いと対応できないでしょう。