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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

どういう意図で発言しているのかという話

最近は、自分の考えの整理という意味合いが強いです。

 

お前のこうした考えは間違っている。本当の考え方はこうである。

 

というより、

 

こういう考え方をする人がいたが、それについて私は今のところこう考えている。………おや、脱線。

 

という感じ。書いた方が考えを具体化できるので、そうしている。殆ど思考の流れのままに書いているので、脱線していく傾向があると思う。

 

それについては、そういう人のブログだと思って欲しい。発達障害らしい特性が文脈に現れているかもしれない。私に常識や正解を求めるより、発達障害のこの風鈴という人は、こういう思考をしてるわけね、と適当に観察するくらいで良いと思う。

 

ワーキングメモリが少ない。想像力が狭い。視野が狭い。人生経験が少ない。知識が浅い。何かを思い込んでいる。同じ問題を繰り返している。

 

そういう通常の脳と違う脳を持った人間が書いた文章だということ。その辺を視野に入れて読まれると誤解が少なくて済むと思う。

 

私は他人のブログを見て崇拝してしまうことが稀にある。「この人の書いていること、言っていることは全て正しい」だから、この人に一生ついていく!的な。

 

まぁ、ラッセルとか弟子に崇拝されたと思いきや反転憎悪されたりするのは「この人は完璧」と弟子が勝手に神格化してるからですよね…。それが何かしら裏切られて相手の欠点が見えてしまうと「僕の信頼を裏切ったんだ!」と逆ギレされることになる…。

 

釘を刺しておくと、発達障害者は私をバイブルにしてはいけない。偉そうだが(´・ω・`)増長したわけじゃないんです。そんな大層なことを書いているのか定かでも無いが、こうすべき、ああすべき、こんなの間違ってるょ、とか書いているので一応言ってるだけ。

 

私が大層な人間に見える人が世の中にはいる可能性があるんですよ?勿論、逆にこんな「物の分かってないやつ」が何言ってんの?という実際に私の見識の遥か先にいる人が私のブログを読んでいる可能性もある。そういう人にとっては全く余計な忠告ですが(苦笑)

 

「溺れる者は藁をも掴む」って言うじゃないですか。そういう人がこのブログを読んだとき、私なんかを崇める可能性は無くも無い。私のブログの「意見」は参考や手慰みで良いのである。

 

私は、どちらかというと、一匹のマウス。モルモット。実験動物に過ぎない。これは他人のSNS関係にも言えること。「隣の芝は青い」。

 

ツイッターで〇〇さんは、こんなに世の中から「いいね」を貰っているんだから、この人の意見は全て正しいんだ!そういう考えは誤解を生む。〇〇推しの盲目な事実なんてどうでも良いファンみたいな。

 

「小説家になろう」でカップリングを期待して、でも文脈はそんな可能性なんて無いのに、文脈を捻じ曲げて、自分が信じている、あり得ないカップリングが成立しなければ嘘!という感じの読者…。

 

信仰…崇拝。

 

だから、釘を刺しておくけれど、私は健常者未満の実験動物風情だから(´・ω・`)

 

思うんですよ。文脈を読む程度の能力も無い人が、要するに信仰や崇拝するしか無くなるのだ、と。自分の目と頭が信じられないから、自分で判断する能力が無いから他人に匙を投げるしか無いのだ、と。

 

そういう人も人間の範疇なのだ、という考えを持ってない「自己責任」論者っていると思うんだけど。頭良くても馬鹿というタイプもいるよね…(-_-;)

 

けれど現実、そういう人がいるから「自分の目と頭で考えろよ」というのが酷である可能性がある、と…。だから、私は釘を刺しておくけど、私はその全幅の信頼に値する人間じゃないから。

 

というより、自分の考えが間違っていても良い程度の覚悟で書いているブログだからね。基本的に発達障害者は「見えてない」人だから、見えてることを期待すべきじゃないと思う。

 

私はその自分が見えないことの穴埋めをしたいとは思っているけど。