LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

履き違えた愛情とグロテスクさ

愛玩動物というのは実にグロテスクな名称である。

犬や猫、ペットは「愛玩動物」。

 

ペットを家族と呼び大切にする人もいるが、そうでない人もいる。私は犬・猫好きだが、そう人に言った時、その人が私に「じゃあ私の愛犬を触って良いよ」と言った。私はその犬に自分の手を近づけただけでいきなり触らなかったのだけれど、そうすると「犬好きじゃないの?」と言われてしまった。

 

犬と見ると全力ダッシュしていき「かわいいね~」と撫で回す人間が犬・猫好きと呼ばれているのだろうか、と思った次第である。

 

犬や猫のアイデンティティは、その人たちには関係が無いのかもしれない。私は「犬・猫好きな可愛い私が好き」とかじゃないし、人が人を選ぶようにして、犬・猫も選ぶ。

 

プライバシーを容易に侵害する自称動物好き人間は、犬・猫も私たちを選んでいるという意識が足りないのではないか…?

 

一人暮らしだから、犬・猫は飼えないな…と思って、私は身を引く。飼養環境が確保できないなと思って身を引く。

 

かつて、ハスキー犬が流行った時期があって、けれど日本の風土には合わないし、運動する環境が与えられないというので飼い切れないという問題が出たそうである。そういう問題を考えずに飼養できてしまう人間は相手のことを考えずに「好き」と言っている人間である。

 

そういう「好き」は未熟で無責任である。ペットの負担を考えずに、誰彼構わず犬・猫を固定して撫でさせようとしてはいけないし、撫でる側も犬・猫の気持ちを尊重してあげるべきだ。

 

犬や猫は人間の奴隷では無い。他のペットも同様である。それが私的には「好き」ということである。

 

性愛に関して考えていたのだが、女性に対して好きだと思ったとして、その身体を好きにできれば私は満足するだろうか。私はどちらかと言えば相手に好かれたいと思う。自分が「好きでいて良いか」「好きでいることが許されるのか」「近付いてコミュニケーションを取っても許されるのか」「自分が受け入れて貰えるか」と言った方が重要だと思う。性的に好きな相手を弄べても嫌われてしまうのなら最悪だろう…。

 

「相手の心情なんて関係ない」みたいな人もいるが、心情が通い合うことが重要である。「好き」なら相手のことを考えたいと思う。相手が幸せになることを願うだろう。私の「動物好き」はそういう「好き」だから。

 

まぁ、だから基本的に私は自分から寄ってくる動物は受け止めますよ(´・ω・`)bまぁ、甲斐性が無いのでリリースしますけど。

 

水槽の魚とかどうしても自分は受容できない。あの狭い水槽の中で一生を過ごすわけじゃないですか…。なんかガラスにぶつかってるし…。虫かごで飼われるカブトムシとかも同じ印象。

 

家畜なら「食べるため」とか言い訳できるけど、アクアリウムの魚とか「ストレス発散のため」「娯楽のため」「好きだから」でしょ。「好き」なら私はそうしないよ( 一一)その「好き」が私は非情だと思う。虫が好きで昆虫採集して標本作っちゃう的な命に対する「どう扱ってもいいんだ」という価値観。命が材料レベルでしょ。

 

別に蚊を殺さない人間じゃないけどさ、できれば殺したくないと思ってるよ。ただそれが全くない…ように見える人間が理解できない。まぁ、象牙密漁が「好き」で象が「好き」って言ってる感じなんだろう…( 一一)

 

一寸の虫にも五分の魂

 

私は「いただきます」とか「ごちそうさま」とか、あまり言わないけども。ただ、もう少し生命をリスペクトしろよ、と思う。私は犬や猫をリスペクトしてるよ!(/・ω・)/

 

女を100人抱いた…とかさ。JKだの…。『顔のない裸体たち』なんてタイトルを思い出すけど。女とか数とか標識にしちゃうと一人一人の顔や命や人格や個が忘れ去られる。

 

別にあの夏に激闘を繰り広げた一体の蚊のことまで覚えていろとは言わないけどさ(-_-;)割と私は覚えてるもんだけど。