LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

犬死に

アニメでなんで黒人が出ないんだ!という人いますよね。あんな感じで障害者はアニメを見る。サブカルを読む。ドラマを見る。現代ドラマでも何でも、そこに自分たちはいない

 

『ナルト』が流行ったけど、落ちこぼれだし…→リア充という。要するに最初からリア充。だから、健常者用。人生の落伍者が感情移入する余地は無い。

 

引きニートを仮に「障害者」としよう。異世界転生して頑張ってリア充になるという物語は『ナルト』そのものだろう。

 

そういう物語ばかり目立つ。けど、障害者というのはリア充にはなれない。彼らとは違う存在だからである。狼に憧れる犬みたいな感じかな。みんな「狼になりたい」という。その素質が、資格が、自分にもあるはずだと思っている。思い込まされている。

 

けど「チワワ」は「ラブラドール」にはなれないのさ。ある「ラブラドール」より賢い「チワワ」にはなれても「ラブラドール」にはなれない。

 

発達障害者は健常者にはなれない。所謂リア充にはなれない。『はじめの一歩』の一歩(いじめられっ子)がボクシングで一目置かれていく、みたいな話には発達障害者の場合はならない。

 

一歩は健常者で、私は発達障害者だから、成功したとしても同じリア充にはなれない。成功したところでコミュ症だろう(苦笑)

 

「成功したのに何で誰も(他の成功者と同じように)私には友人が出来ないんだ!」と不満を表すとしたら「同じにはなれないから」に他ならない。

 

私が他のリア充と同じように友人が出来て、恋人が出来て、結婚できて、子供が出来たとしよう。その人たちと私との関わり方はリア充と同じように出来るだろうか?…出来ないだろう。

 

受け手の問題」を考慮しない理想に過ぎない。関係性は相互的なものなので、最高の相手に囲まれたところで、最低の私とは上手くいかないだろう。

 

引きニートが異世界転生で誰にでも好かれるハーレムリア充になるという話になぜ感情移入できるのか…。楽しめるのか…。殆どの人は引きニートに感情移入なんて出来ないだろうに(´・ω・`)

 

まぁ、寧ろ「引きニート」を「ぱっとしない人生を送ってる普通のやつ」くらいに考えているので、感情移入してしまえるのだろうが…。

 

多分、大抵は何かしら殆ど不可逆的な障害を抱えた「健常者」とは違う「可哀想な人」である。その辺りが「健常者」からは見えていない。

 

発達障害もそうだが「症状の多様性」が「人それぞれ」という「俺らと同じじゃんby健常者」的な理屈に摩り替えられて「俺らと同じように努力すれば出来る」という勘違いをして「同じ人間だから」と括ろうとする健常者が出て来るわけである^^;

 

「ラブラドール」の目には「チワワ」が同じ「ラブラドール」に見えているという構図。ちょっと小さいかも?まぁ問題無い。同じ犬だろ?みたいな。目が腐ってると思うよ。眼科へ行け。馬鹿犬。

 

健常者至上主義の発達障害者は健常者がそのような誤った判断をするとは信じられないので、きっと分かっているよね…と思い信頼を託すという過ちを犯す。所詮そいつは「馬鹿ラブラドール」に過ぎない。健常者の中でも最弱な感じの犬である。

 

そんな感じにお互い目が悪いので「あばたもえくぼ」で正常な判断能力を喪失しているのである。

 

健常者の活躍する健常者の健常者による健常者のための話は発達障害者はそう見るべきだと思う。発達障害者用のアニメ・漫画・ラノベ・ドラマ等、殆ど無い。お前用じゃないんだ…(*ノωノ)

 

メンズの服を探していたら、それ言いにくいんだけど女の子用の服だよ…と言われちゃう感じのアレである。えっ、じゃあメンズ用の服はどこに…「無いよ!」という感じである。何を勘違いしているんだ。

 

左利き用品専門店に行かなければ左利き専用品など無いというのに、発達障害者専門店へ行くが良い。そんなものは無いが(/・ω・)/

 

シンデレラは元から美少女で健常者であり高IQ高EQだったのに過ぎない。シンデレラ自身は超高スペックであることを忘れてはならない。綾瀬はるかを汚したバルサみたいなもんである。

 

それを忘れて、発達障害者が私にも白馬の王子様が…と思っても、通りがかった王子は歯牙にもかけないであろう。

 

だから自分を高めなければならないわけだが、問題は私も健常者になれる…ただ努力が足りないだけ…とか思っていることである。努力しても逆立ちしても健常者にはなれない。白人コンプの黒人みたいにピエロになるだけだ。

 

日本人になりたい、とか言ってる日本大好き外国人みたいなもんである。国籍を買おうが帰化しようが忍術を覚えようが真の日本人にはなれない。日本人モドキが本当に貴様の望みなのか…(+_+)

 

幻覚を見ている人間にそれ幻覚ですよ…と言っても信じないだろう。人は自分が見たいと思うものを見ようとする。

 

発達障害者は発達障害者の自分の世界を見るべきである。唆されて健常者モドキになろうという人が多いし、馬鹿健常者がそうなれと指図する。

 

前へ進もうと思ってみても、目指す先が「普通の」「人並みの」では一歩目から道を踏み外しているのだ。「健常者」ではなく「発達障害者」だから。その思い違いをまず正さねばならない。

 

「(健常者の)普通の」とか「(健常な)人並みの」とかイメージトレーニングからやり直せ。馬鹿な健常者の妄言に振り回されるべきではない。

 

 馬鹿チワワはラブラドールになろうとせず賢いチワワを目指し給え。

 

 …

 

さて思うに健常者にも色々レベルがある。発達障害者に厳しいのは、所謂、健常者でも障害者でも無いグレーゾーンの人たちである。

 

この中途半端なアイデンティティの無い何者か分からない微妙な人たちに割と発達障害者は憎悪を向けられやすい。

 

「ラブラドールのふりをしているチワワ」とか「自分をラブラドールと思い込んだチワワ」とかが「私をラブラドールだと思い込んで」吠えたててくる、とか色々なパターンが考えられる。

 

ラブラドールの中でも最弱な馬鹿ラブたちが、保護された保護チワワに対して「何で俺達より偉そうなの?」「舐めてんの?ラブラドール舐めてんの?」と言ってくるわけである。

 

その健常者は馬鹿ラブなのか自称ラブなのか灰色チワワなのかハッキリしないが、割とこういうルサンチマンは底辺同士の足の引っ張り合いということが生じる。 『蜘蛛の糸』的な話で。

 

 …

重度の知的障害の子の精神年齢が2歳(人に依る)。ボーダーコリーの精神年齢が人間換算で2~3歳。

 

まぁ、それで知的障害の我が子なり兄弟なりを慈しむ感覚は、ペットを家族として可愛がる感覚と似ているのでは無かろうか。

 

そういうと憤慨する人もいると思うが、人間に矜持を持ち込み過ぎていると思う。創世論を信じており、進化論を信じていない。人間(自分)は一個の動物に過ぎない、と信じ切れていないのではないか。

 

理性を信じている…というか。キリスト教的な神学的な価値観を引きずっているんじゃ無いかな。だからダウン症児やら発達障害でチャレンジドだの神の試練だのという話が出てくる…(*ノωノ)

 

そいつらも人間の範疇には違いないんだよ…|д゚)理性あっての人間と思っている節がある。けれど狂っていても壊れていても人間に過ぎない。私は(勿論)ある種の人間とは関わりたくないけど…(+_+)

 

カーストとか階層とか差別するに足るだけの理由は物理的にはあると思う。教育上その辺の説明が足りていない。ごにょごにょ…と濁されていて一昔前の性教育みたいにオープンに話すのは禁忌みたいな、多分ね。だから、共通認識を持てない…というか。

 

ただ生物的に人間という種であるということだけは疑えない。そういう意味で「同じ(種の)人間を迫害してはいけない」的な話で「他人も尊重しなければならない」と解した方が楽だと思う。

 

なのに、未だに「コウノトリが運んできた」レベルの戯言で「同じ人間」なのだから…と言う(/・ω・)/だから「話せば分かり合えるはずだ…」という。

 

そうじゃない。

 

特に正気を失った人に対して配慮しなければならないみたいな状況にいる「まともな人」はその戯言にストレスを感じる。「人権なんて子供騙しだろ」と「なんでこんなやつが同じ人間だと思えるんだ!」と。

 

それより猿やゴリラで無くて人種だから丁重に扱わないといけない。特別天然記念物みたいなものである、と理解した方が気が楽だと思う。

 

 彼と自分は違う人間だが人間だ。

 

 というのが正しいと思う。礼儀正しく、理性的で、清潔で、能力がある人間は、自分は赤子や寝たきり老人やインディアンとは違うと増長している。他人より多額の税金を負担する富裕層みたいに…。

 

ただ、どれだけ有能だろうと、自分もそれらの役立たずと同じくただの人という種に分類される動物に過ぎないということを忘れている。彼は彼らが同じ人間と判断するだけの認識に欠けている。

 

自分も動物園の人間という檻の中に入れられた動物の一体に過ぎないという認識を持っていないのだと思う。あるいは単に優生思想で自分が生き残れる人種に入っている自信があるのかもしれないが…。

 

高知能の人間というか、知性が高い人は、低いレベルにいる人間を見下す人がいる。「同じ人間だと信じたくない…」と。そういう人は自分が標準的な人間、あるいは理想的な人間、頂上にいる人間だとか、理性的な人間だとか、普通の人間に違いないだとか…そういう低次元の人間と比べて別次元の高みにいる気になってしまっているような気がする。

 

偉いとか偉く無いとか凄いとか凄く無いとか価値があるとか無いとかそういうレベルの話で人間を捉え、自分は価値があるか無いか、などと思っている。

 

そういう話では無くて「自分も彼も人間である」ということを単純に理解するだけでいいはずだ。海のイルカも河イルカもイルカである…程度の話である。色んなイルカがイルのカ…とか思えばいいだけの話である(/・ω・)/そこに自分も入る(分布する)ということが信じられないのである。特別だと信じたいのである。

 

全ての人間の殺処分数をゼロにし、人権を保障して、幸せに飼育しなければならない。

 

みたいのが人類の悲願である。だから特定の層にいる有能は時に無能なダメ人間の世話をしなければならなくなる。人間の範疇が広いから。

 

ただ、それは人間の活動の中の「犬や猫を殺してはいけませんよ」「虐待してはいけませんよ」「傷ついた犬猫は保護しますよ」的な話に過ぎない。

 

その中で人間も特別扱いされているに過ぎない。動物愛護系の活動家みたいに、どんな低能な人間も法律により愛護されるだけ(しているだけ)である。有能な人間はそう弁えた方が良いと思う。あなたが有能だから単に人間という動物を愛護する側の立場にいる、とかそういう話で。

 

同じ人間と言えば同じ人間だし、違うと言えば違う。ただ種としての人間の範疇に生きている。集合の中にいるのに、外にいると錯覚している…というか。 あなたは人間という動物を保護していると同時にあなたも人間という動物として保護されているのである。

 

 そういう立ち位置が見えないんじゃないのかな。「働かざるもの喰うべからず」というような「みんなが同じ責任を負っている」論とか対価として護られている的な話では、無責任な人間も人間だというところを認められない。

 

人間は社会的動物で一人では生きられない。だから、社会を形成して生きる。誰も一人で自立して生きられない。だから、自分が自立しているという意識は社会があることを前提にして錯覚しているのに過ぎない。言葉のあやである。社会で働くということは社会で何らかの役割を果たすということであり人間社会は無能な人間でも人権を保障する。だから、あなたに無能な人間の世話の役割が振られることもある、とかそんな感じの話だろう。

 

無能な人間と有能な自分を同じ人間に勘定したく無い気持ちは理解するが能力云々では無く保護されるのは完全に生物学的な話だと思う。「どうして?」の解は「仕方ないから」で十分だろう。それも人間なんだから。

 

 一億総活躍とかは「労働力にカウントされる人間」の話であって、全ての人間の話では無い。発達障害者的にはそういう言い方を混同してしまうのである…(+_+)

 

だから「働けなくなったら死ぬしかない…」的な思い込みをする。少なくともそういう人は日本では保護して貰えるだろう。法律上。それはそういう人だって人間だから、仕方ないし、保護するのがこの社会(国)だから…って話だと思う。