LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

性格が精神医学に分解されていく

昔、性格と言われていたもの、人格と言われていたものが、精神医学によって障害に分類され類型化されていく。整理されていく。

 

発達障害者は自分の人格や性格と思っていたものが「症状」に過ぎなかったことを知る。隣の人も隣の人も同じ性格と同じ生き難さを同じように持っていたのだと愕然とする…。

 

私は思うのだが、自己肯定するために「自分は自分でいて良い」と受け入れるのではなく、自分の「脳はこのような認知をする」と客観的に事実を受け止めていく方が上手くいくのではないか…と。

 

「障害」と分類された性質は治療の対象になり人格から切り離されて処分されようとする。自分の問題として乗り越えようとする場合も、受け入れようとする場合も、それは越えられるか越えられない障害に過ぎず、髪や爪のように自己自身でありつつも同時に自分では無いものである。

 

整形を可とするか不可とするか、の問題と同じく、自分であると同時に自分では無い問題である。

 

脳の問題も同様に感じる。変えようが無いものとして受容するか、変えられるものとして変更するか。要するに「デブだから痩せろ」というように「脳が不細工だから変えろ」と言われている訳である。「顔がブスだから変えろ」と言われているのと同様に。「右利きを左利きに矯正しろ」と言われている訳である。

 

医療倫理的な問題として議論されるんだろうけど(´・ω・`;)まぁ、論壇の場所も知らないのです。

 

例えば自分に暴力性がある場合、短気ですぐキレるヤツだったら、悪い脳だから改造しちゃいましょうね(>_<)と注射を打たれる。

 

まぁ、そういう感じである。その時に、脳=自分自身である、と思うと自己承認に都合が悪いわけで。自分≠脳。この考えは理解し難いかもしれないが…。でもみんな割とダイエット感覚でやっているような気もする。

 

発達障害も脳の不具合に関して、自分の体形のように客観化する必要があると感じている。これは更に突き詰めると、整形とか臓器の入れ替えとか、首から下を肉体を挿げ替えて…とかそういう話にイッてしまいそうだが…(*ノωノ)

 

まぁ、脳の問題はもう割と聖域ですよね(´・ω・`)結局、幾つかは「チェンジで」って言われてしまう現状があると思う。それはでもやっぱりその人にとっては自己否定的なんだろうなと思う。

 

まぁ、だから脳さえ客観化してデザインすることを最終的に肯定せざるを得ない気がする。要するに『風の谷のナウシカ』のバッドエンドを肯定する形というか。「少なくとも争わない程度の人間になれよ」ってことだと思うし( 一一)それは最悪、脳味噌弄ってでも。

 

それが民主主義だからね…(*ノωノ)ちょっと整形する人の気持ちは分かりますよ。私は脳味噌入れ替えろって言われてるんだから…(苦笑)でなければ死ねと言われたら?タバコは殆どの人が辞めたけど。

 

だから自分の死と引き換えたら、それを変えられるのか、という話ですよね。トカゲの尻尾みたいな。整形は要するに、そのくらい、その人にとっては人生の全てを左右してしまうくらいの障害なんでしょうね…。もしかすると( 一一)外見をどの程度自分が守りたいかにもよるけど。

 

要するに自分の脳を安く見積もっているのなら、その程度の価値で変えてしまえるんだろう、という話で。私の脳味噌は高いので。命の値段ですよ。下手すると。

 

そういう感じ。