ACだのう。
人は一人で死んでいくものだ。伴侶はいつか死ぬ。
自分が看取って貰えるとなぜ思うのだろう。
最近は人は病院で死ぬ。
一人暮らしでも医者に看取られて死ぬことも多いだろう。
孤独を癒すために伴侶に頼るのは、犬猫を飼うのと同じ気持ちからだ。奴隷である。
子供を作りたい、と言って、孫が欲しい、と言って、その心根は自分を見捨てない人間が欲しい、と言うのである。要するに保険だ。
まぁ、極論だが。
人間は社会性の動物で、誰かの支え無しには生きていけないから、本来社会で繋がり合う必要がある。友達とか。
男性は特にそうした共感の機能が弱く、繋がり合えないから、家族や会社というコミュニティに依存しなければ、自分を支えてくれる繋がりを作ったり維持することができない。
と、いうので家族を持ちたいと言い出す。その癖、それを維持する努力はしたくないといい、不倫したいといい、家族サービスはしたくない、というわけである。自分の城が持ちたい、と言い、家族というのは下働きのメイド等の奴隷。
そういう「普通」の家庭が欲しいというのでは、どうしようもないなと思う。
家族も友達も所詮、他人で、繋がり合うにはコストを支払わなければならないと思う。支払わないから熟年離婚したり見放されるわけであろう。
そういう人は、寂しいと言ったとしても、向いていないのだ。