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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

私にとって障害は私の一部である

人が自分の容姿を愛しているように、私は自分のこの脳を愛しているのだ。だから、私の障害が中傷された時、私は私が攻撃されているのだ、と感じる。

 

私が不細工だったとして、顔を中傷された時に、怒りを感じるように、私は脳の不出来を中傷された時に、怒りを感じる。

 

脳を治療せよ、と言われれば、整形を受けろ、と言われように感じるのである。だから、発達障害が成長して健常者になれると言われることは、ブスが成長したら美人になると言われているように、現在の私を貶める話である。

 

私の障害を悪く言わないで貰いたい、ということである。これはこういうものなのだ。同性愛者を異性に手術して治療のと同様に、発達障害を治療しようというのも、当事者がそれを望んでいるのか、よく考えて欲しいものだ。間接的にそのようにするべきだと誘導されているのでは無いのか。

 

容姿に自信が無くなるように、性格に自信が無くなるように誘導され、変えるように奨励されている。

 

そこに怒りを覚えては行けないのか?顔や脳までも相手の都合でコロコロと変えなければいけないのか?そこまでこの障害はあってはならないものだと言うのか?治療の対象なのか。

 

別に社会で障害者が自立しようとしない限り困らないのだ。自分を改造してまで自立しなければならないものなのか?なら私で無くても良いだろう。