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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

それが私のレーゾンデードルだから

ごめんなさい。タイトルに意味はありません。

 

ツイッターを見ていると気づいたら10時間くらい経っていますね。恐ろしい。

 

人間が生きていく時に、その人らしく生きたい、生きるべきだ、という。私の家族には明らかに働くのに向いていない人がいて、私はその人が働くと言い出したのが辛かった。経済的な問題で働かなければならないということだけれど、明らかに向いていないから。

 

家の周囲50m範囲に出ていくのにすら向いていないと思う(笑)そういう人が労働の義務を果たすために社会で雇用されなければならない、というのはその人の性質を歪めてしまい、不当だと思う。

 

その人が面接に行ったというので辛かった。案の定、落ちたそうだが。特にコミュニケーションを必要とする場に向いていないし、肉体労働も向いていないのである。

 

ここで言いたいのは家族側として、そういう認識を家族に対して持ちうるのだ、ということ。

 

社会常識とは異なるし相容れないと思うのだが。自分らしく生きるということだけを鑑みて言うならば、一般社会に出なければ自分らしくいられるだろうに…と思わざるを得ない人が結構いるのだろうな…と思う。

 

自営業が多かった頃は、家族でそうした個性を守って位置付けられたのかもしれないが、今は社会に出れば社会の常識に照らして常識的な態度を取らざるを得ないだろう。常識的で無い人でも。

 

発達障害者はそういう器用な真似がそう長く続かないだろうと思うと、それを機に病んでしまうことになるのだろう。本来の精彩を欠いて生きることになりかねない。そういう暗い生き方をせねばならない人々が気の毒だし、生物としての美しさを損なう。

 

動物園の話もそうだが、壊れた動物を見て楽しいだろうか…。そこに本来あるべき美しさはあるのだろうか。という感じ。

 

多様性を謳いながら、社会の中ではそれを満足に発揮することは出来ない。丸い人間は許されず、四角い人間で統一されねばならない。その統一され排除される半径が狭いのである。