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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

泥のような日常

生きている実感に乏しい。半覚醒である。何か感覚刺激を求めている。麻薬・酒・女・スポーツ…。ドーパミンを放出させたいのかもしれない。

 

走っていないと死んでしまう病。家にいると活動性が下がり、そのまま動けなくなりそう。だから、外へ行かねばならない。非日常へ行かねばならない。かと言え、現実社会というのも苦しい。

 

だから、戦場とか異世界とか架空の場へ行こうとする。そこでなら自分は自由に活躍できるはずだから。そんなことは無いのだが。

 

自己肯定感の無さの露呈。この世界に居場所が見出せない。こんな世界は間違っている。

 

どこかに自分を受け入れてくれる場所があるはず、天国を夢想しているのか。頑張れば報われる、という根性論に縋りつき、自分の無能を認めることが出来ない。だから異世界で現代知識無双ができるはず、と思い込みたい。戦場でも同様なのだろう。

 

ままならない日常から逃げ出すための言い訳、としての趣味趣向。隣の庭は青い。自分の庭は無残。だから、放置して、どこか遠くへ逃避行。手入れの仕方も知らないから。

 

自分の庭と向き合えていない。彼の自己というのはADHDの部屋のように散らかっていて、掃除するにもどこからやって良いのか分からないのである。だから、整理された社会や、映画館へ出て行こうとする。

 

部屋に帰れば荒れた部屋。掃除の取っ掛かりも無く、やはり無視を決め込む。だから、自分の中が何時まで経っても、整理されない。

 

日常はその繰り返し、と見る。

 

 

自己管理能力の欠如。

部屋を片付けるように、自己の内面も片付けなければ居心地は悪くなる。それらをクリーンにしていれば、そこへ居付ける。けれど、そうしないから、延々綺麗な外へ出て行かねばならなくなる。

 

 強迫観念と衝動性とは密接な関係にあると思う。特に「働かねばならない」という強迫観念によって、何らかの衝動性を誘発させられているのでは??

 

「溺れる者は藁をもつかむ」という風に生きている者が、それ自体を心地良い状態だと倒錯しているように見受けられることがある。

 

却って、何もない日常が退屈だと感じるのでは。一人で居られない。じっとして居られない。不安。

 

かと言って、やるべきことを放棄してしまう。