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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

異世界系の死に方の1つ

孤独で惨めなニートか底辺ブラック社畜が転生して、

家族と子供と孫に恵まれて、それなりに満足して死んだ(end)

 

という「なろう」作品を少し読んだけれど、なんというか、20世紀的幸福論かなぁ、みたいな。

 

そもそも孤独で惨めなニートあるいは底辺ブラック社畜という設定が、最早古いのかもしれない。そして、大抵「家族と子供と孫に恵まれて」という。

 

端的に言うと「コミュ症が非コミュ症になる」

あるいは「底辺が(底辺の想像上の)リア充になる」

 

というテンプレの物語であることが多い。そのリア充像というのが、「家族と子供と孫に恵まれる」ことだったりするわけで、その「それがあれば幸せ」と思う条項が、なんか古いなぁ、と思う。

 

発達障害者と関連付けて考えてしまうが、僕らは基本コミュ症なので、友達・家族・伴侶・子供に恵まれて、自分の役割を上手く果たせていて、過剰に人から必要とされており…云々という、胸焼けしそうな幸福像を描いているような気がする。

 

私は障害者として孤独であることを良しと思うので、コミュ症にはコミュ症の幸せがあると思う。そして、コミュ症の感性というのは、非コミュ症の感性とは相容れない。

 

友達・家族・伴侶・子供、云々はコミュ症においては祝福では無く呪いになる(かもしれない)。その場合、その性格を持った人間の幸福の条項は、そうでない人間とは異なる。

 

「他人と同じものを持っていれば幸せ」とは限らないということである。少なくとも私にとっては、友達・家族・伴侶・子供、云々は普遍的にそれによって幸せとなる条件では無い。

 

こうした物語の大抵の矛盾は、主人公が「友達・家族・伴侶・子供」と言った他人によって幸せになり得る人格で無いにも関わらず、それを得ることを最終的な物語の目的としてしまうことにあると思う。

 

底辺転生系の彼らの多くは、他人を幸福のために必要としていない。しかし、そのことを彼ら自身が分かっていない。発達障害者も他人を必要としないにも関わらず、他人が必要なのだと思い込んでいる節がある。

 

少なからず僕らにとぅてライフラインとしての繋がりは必要だとしても、情緒的交流は労苦に過ぎないのかもしれない。

 

だから、私がコミュ症が多くの(幸福的な)人間関係を築くハッピーエンドに不快を覚えるのは、彼らが情緒的な交流を望んでいないことに依るのではないかと思う。

 

まぁ、その一つの証明は大抵の主人公が自分一人で大体の問題を解決できるほどの能力を有していて、無双できることだったりする気がする。

 

彼は助け合う必要が無い能力を有するが、転じて、つまりは一人で何でもできる能力が欲しい、ということであり、あるいは「誰にも頼らずに完結したい」と望んでいるということである。

 

彼にとって他人は役に立たない。つまり、必要無いのである。

別に全ての物語がそうだとは言わないが、とりわけ底辺の人間が成り上がる物語の多くは「主人公は自分一人である程度どうとでもしていける人間になってしまう」。

 

協調を描く描写は薄いものが多いような気がする。仮に最終的に「家族や友人、子供に囲まれて幸せな人生でした」とする場合、その関係性に対する主人公の関心をメインに持ってくるべきだろう。

 

それは他者とのコミュニケーションに対する見解等、そういうものである。けれど、その描写が少ないのに「最終的に何故か、それを持っていたから幸せでした」というのは腑に落ちない。

 

『無職転生』なんかは「スプーン乗せた生卵を落ちて割れないように道を進み続ける」みたいな話で、生卵を割ったら絶望しかないのである。そして、生卵自体に価値があるというよりは、生卵を割ったらダメなのだ、という強迫観念に縛られている風に思える。

 

敷かれたレールから一度でも落ちたらダメなのだ、とかそういう風なヒステリックさを感じる。それを以てして、一つも取りこぼさない言い訳を「ご都合主義」というタグに張り付けていたりするが…。

 

私的には、そういう形で「幸せになりました」というのは、つまらない、浅い人生だなあ、という感じである。艱難辛苦を噛み絞めて、結果として、どう思ったのか…みたいな結末なら未だしも、噛み絞めたらば『シンデレラ・ストーリー』になってしまうのは子供騙しと思う。

 

まぁ、一部の富良野作品みたいに皆殺しにしろという訳では無いけれども、荒波に飲み込まれている割に主人公の周りだけ被害無さすぎでしょ…という感じである(=_=)

 

特に底辺主人公であるほど、完璧なご都合主義ストーリーをやってしまうと、どんな痛みも失望も許容できないセンチメンタルな人間になってしまう気がする(=_=)

 

=「大切な人間はみんな守るんだ!」と言って、物語上もそうなるわけだが、それは「大切なものを失うことを許容できない人間」でしか無くなるわけで。あるいは「失敗を許容することができない人間」であることを語ることになる。

 

底辺系の人間のやり直しにとって、完璧の反対は、失敗への恐怖である。失敗体験を重ねた人間は、成功を願うより、もう失敗しないことを願う。その結果として、行動が抑制され、精神が抑圧され、行動や考えに影響を及ぼす。

 

そういう人に対する大雑把過ぎるカバーストーリーが「何をやっても失敗しない」という主人公補正のついた『シンデレラ・ストーリー』である。

 

まぁ、だから、底辺系主人公を主役にする場合、ストーリー上で更生させねばならない、という難しい手間が掛かるし、それを書けてると思う作品は少ないんじゃないかと思う。

 

個人的に好きなのは、悪役令嬢系で、失敗人格に成功人格がとって変わって、逆転劇を起こす、という系の物語である。まともな人格者が性格破綻者に転生して取って代わることで「更生させる」という手間が省ける。

 

劣等感だらけの主人公が馬鹿魔力で他人から信頼を勝ち得てハーレムを築くよりは、説得力がある、というか( 一一)

 

その、まともな人格者ならば、別に嫁や子宝に恵まれても「ふーん」って感じだけれど、コンプレックスだらけの劣等感のそこに居る人間が(幸せな)ハーレムを築いても「そんな馬鹿な…」って感じである。

 

大抵、なんかの大家族みたいになるのが目に見えた話であり、根本的な頭の悪さはどうしようもないと思う。

 

そして、だからと言って「次こそは人並みな人生を」と言って、発達障害者を転生させたところで、発達障害者なのでどうしようもない。

 

コミュ症をそのまま転生させるのと同じで、発達障害という人格を転生させても、それは発達障害を抱えているので、その時点で障害者である。惨めな人生だったと語る主人公は多くの失敗体験なり心的外傷を抱えて異世界に行っている訳で、その病気の根本的な治療がなされなければどうしようもないと思う。

 

「馬鹿は死ななきゃ治らない」と思う。そして、馬鹿を治そうとする話は読んでいてあまり面白いものではない(苦笑)

 

底辺救済の物語をまともに書くなら、それは読んでいて苦痛になるだろうと思う。そして、大抵の場合、まともにやっても、そんなには報われるわけも無いのでエンターテインメントとして、あまりパッとしない気がする。

 

「そんなに報われないでも幸せだった」のハッピーエンドのささやかなラインだと考えられたものが「家族に見守られて死んだ」みたいな時代錯誤な観念だったりするのだろう( 一一)

 

「家族に恵まれた」とか。まぁ、その手の終わらせ方は言い訳臭いラストだなあと思う(笑)

 

なんか研究者が研究を突き詰めて、ここまでは出来たけどもう寿命か、やれやれ…みたいな最後の方が好きだな。

だいたい、家族か伴侶かに看取られて、人間関係に恵まれた幸せな人生だったなーとか、物語的に面白味が無いですよ。なんか英雄みたいな活躍したとしても、そういう感想で死ぬわけじゃないですか。

 

「一般人か!」ってツッコみたいわ。

 

人生で色んな偉業を達成してきた主人公に目指すべきものとか通すべき筋とか人生の目標とか、大抵掛けていて、「孤独じゃ無い悔いの無い人生」とか大雑把な希望が最初にあって、最終的に「家族がいたので幸せでした」とか凡庸な感想で終わるんですよね…。

 

その割に魔王とか邪神とか倒してるわけじゃないですか。もう少し、立場に見合った違う感想あるでしょ。みたいなね。

 

それこそ研究者的な心残りじゃないけどね。なんか「家族が」云々というのは最後まで底辺臭が抜けてないんですよね(=_=)英雄になって、ハーレム築いてまだそんなこと言ってんの?みたいな…。

 

結局、それって、自分、三種の神器とか持ってるから幸せだよね、みたいな感じで。「家族」というアイテムを持ってるから「自分は」幸せだった、という話で。

 

なんか、それなら童貞で不幸なやつは、風俗に行って童貞捨てた瞬間に死ねば幸せな死に方でしょ?ぅて感じ(´・ω・`)

 

まぁ、そういう雰囲気の作品は拙い気がするな。

個人的には、復讐系とかも嫌いでは無い。あと人外転生系とか。

女主人公も結構好きですね。ハーレムになりようが無いから。

それ系で考えたのだけれど『ドラえもん』とか男たちの中に紅一点の静香ちゃん的人物がいる作品って、逆ハーレムですよね(´・ω・`)

 

あぁ、静香ちゃんって逆ハーだったんだなぁ、と思って、その視点で『ドラえもん』を見てみると面白かったですね。

 

リアルな話をすると、家族に見守られて死ぬ人って普通に減っていて、病院とかで死ぬのが普通なのかなーって思いがありますね。あとは、急死したりとか。老衰って死因は殆ど他の要因に因るんじゃ無かったかな…。

 

 

それにしても、龍、魔王、邪神とか安売りされすぎじゃないかな。それと人間強すぎ(´・ω・)剣で龍とか倒せるわけ無いでしょ…。そういう意味でも人外転生は有りだと思うんですよね。

 

こう…ゴジラに人間が真っ向から挑む感じの話が多いですよね。そこはもう同じスケールにならないと話にならないんじゃないかなー?みたいな。

 

いや、でも核ミサイルとか撃ち込むイメージなのだろうか…。

 

冒険者ギルドとかある場合に、A級でなんか大陸破滅させる怪物を倒せるとか、おかしくね?って思う作品があったり(´・ω・`)

 

そんな世界でよく村人とか畑耕して生きてるなぁ…って感じですね。長期的視点を持って生きる気になれないでしょ(゜-゜)

 

フェンリルとか、結構、学校の裏山にいるレベルでしょ。

 

まぁ、ジュラシックパーク的なティラノサウルスクラスを龍種と考えると殺れなくもないのかな…( 一一)マンモス狩る感じで。

 

海だと、シャチとかかな。

 

まぁ、そう考えるとジュラ紀に中世を持ち込めばいいのか。それで、ちょろっと魔法設定しとく、と。

 

魔族=1ティラノ。

人族=1/10ティラノ。くらいに考えると落ち着くだろうか…( 一一)

 

…農村とか無理じゃね、と思うな。そんな世界じゃポイズンでしょ。人類を壁の中に隔離しないとダメだと思うなぁ。

 

いや、でも。邪神ってなんだろ…魔王は、まぁなんか生物枠に収まるとして、なんで邪神とか倒せてるんだろ(=_=)倒せない作品もあるけどね。「人から神になりました」って展開多いですよね。

 

「永遠の寿命を得ました。めでたし」って言われてもね。なんか、その後、修羅場だと思う。

 

もうね。邪神とか出てくると、村人とか冒険者とか何だろ?ってなるから。邪神に勝てるような人がすぐ傍でフレンドリーな感じで話しかけて来たら嫌だな(=_=)

 

ほら、不発弾持った人が傍に居たら嫌でしょ。いくら強くても、ちょっと強すぎて引く。そんな人に話しかけられる人間(村人とか)のメンタルはかなり強いと思う。

 

もう星とか銀河とか壊せるレベルの人は地球にいちゃいけないと思うんだよね(=_=)

 

そう考えると主人公とか敵のレベルは常識の範囲内に収めて欲しいな…とか。