LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

ゲームの歴史と奇跡の世代

FF8がPCでプレイできたらなぁと思っていたら、1500円くらいで売っていることがわかり、嬉しくなった。

 

歴史の授業を受けていると、21世紀の現代に生きていることは、奇跡みたいに思える。私は丁度、ファミコンにも触ったことのある世代で、ゲームボーイで「マリオブラザーズ」をプレイしていた記憶がある。

 

ファミコンは「ドラクエ3」をプレイしていた。それで時々セーブデータが消えるのだが「デレデレデレデレデンデレレン…」という呪い的な音楽が鳴るのである。

 

他にはロックマン7とか。「デュンデュンデュン…」とかいう死亡した時の音をネタにしていた知り合いがいて、例えば体育の授業で試合に負けると、その音を出してきて、殆ど声をあげて笑うことの無い私は吹き出してしまったのを覚えている。

 

PCもwindows98を学校で見たことがある。winXPが普及して便利だったために、win7とか、その先に乗り換えないという現象が起きていた。私は専らXPを触っていて、今はwin10になっている。

 

丁度、フロッピーディスクを使ったことがあるし、MDプレイヤーなんてものが流行った。ビデオテープと言って、ビデオを見るにはテープの入った結構大きな四角の箱をビデオプレイヤーに入れるのだ。

 

カセットテープというものもあって、やはりテープに音を入れるので、巻き戻すと「ジィー」っと右から左へとテープを実際に高速で巻き上げるのである。家にあるCDプレイヤーはカセットテープにも対応している。

 

私の世代を「現代」と称するなら未来から振り返ればパーソナル・コンピュータのルネッサンス時代という感じなんだろうか…。どのように現代は歴史教科書で語られるのだろう。

 

家庭用ゲーム機で言えば、まさに1から10まで時代を経験してきているような気がする。アニメ『タッチ』なんかでは喫茶店で「インベーダーゲーム」をしてたりする描写があったり…まあ、あの頃のゲームの感想は「ドット」だった…という感じである。

 

私達の世代は映像的な進化はFinalfantasyシリーズをプレイしてくると2Dのドットから3Dのポリゴンへと進化する過渡期を経験してきた。ポリゴンといえば『ポケットモンスター』のアニメでポリゴンの光の描写で気分が悪くなってしまう人が出る…といった現象があって、アニメのフラッシュ(光線)描写の規制が掛かったりといった時代を過ごした。

ゴジラ』や『宇宙刑事ギャバン』とか『ウルトラマン7』とか『仮面ライダー』等、特撮ものをTVで視聴することが多かったような気がする。CGが今ほど普及しておらず、特撮という方法に依ったのだろうか。

 

『Finalfantasy』というソフトは情報技術の進化を体現していた。3DポリゴンのFF7。より滑らかな3D描写を可能にしたFF8、そしてFF9、この3作をプレイすれば3D描写の技術がどれだけ映像的に進化してきたか…ということが体感できると思う。特にFF9のムービーシーンは美しい。

 

プログラミングで言えば、最初はコマンドプロンプトを弄って、次にBasicとか。機械語に近かったのが、Javaとか英語ベースのおそらく「アセンブリ言語」というのだと思うが、そうした使う側の言語に合ったプログラミング言語を扱うようになり、CUIからGUIへとオペレーションシステムも進化した。ドラマ『電車男』なんかを見ればわかるが、その頃のプロの人はコマンドプロンプトに直接文字を打ち込んで、あらゆるソフトを使用してしまう。どんどん窓とアルファベット、更には0と1の数字の羅列が表示されていく感じ。

 

コンピュータとは結局はスイッチのON・OFFの仕組みであり、だから2進数であらゆる命令が表現できてしまう。その0と1の世界を翻訳してC言語JavaRubyとかプログラミング言語として扱えるようになったのであり、更には「Eclips」なんかは直感的な操作が可能になるGUIのようなものさえある。

 

このあたりは私自身の理解が乏しいので説明が下手だと思うが容赦して欲しい。丁度、静的なHTMLが動的なRAI「リッチインターネットアプリケーション」に進化したような感じで、AdbeAIRなどで動きのあるHPが実現できるようになったように…

 

機械語CUIGUIになったように、より人間が直感的に理解できるような親切で私たちにPCの持つ機能をうまいこと翻訳して理解させるようにサポートされたシステムへと変わっていった。

 

これは丁度「携帯電話」が「スマホ」に変わったように、より直感的な分かりやすい便利で親切なシステムへと変わっていく。その実、裏で何が起こっているのか、ということは、あまりわからなくなっていく。

つまりコンピュータからすれば今でも我々がPCのボタンを一つ押すたびに0と1の数字がズラッと並んで入力されてCPUはその命令を延々と順番にあるいは並列的に処理し続けているのだということは遠くなり忘れられていく。

 

見ようとしなければ裏方の仕事がどのようになっているのか、ということは段々と複雑化し縁遠くなって見えなくなっていくように思える。

 

通販のamazonなんて調べてみると1998年に設立されていて、それ以前には無かったのである。それまでは私はコンビニや店舗に足を運んで欲しいものを予約したりして店舗で手に入れていたのである。『FF8』も私はコンビニで予約して買いに行ったような気がする。丁度1,999年のことで、この年のことは他の年よりもよく覚えている。

 

ノストラダムスの大予言」なんて言って世界が滅びるか賭けていた。そんな年にFF8をプレイした時の記憶はなんだかきらきらしている。その頃はゲームがどんなに問題を抱えていても楽しんでいた記憶がある。FF9なんて今プレイすれば、戦闘が遅くてダルくなるし、FF10ならマゾいミニゲームをクリアしなければ最強装備が手に入らなかったりする。FF10はとても楽しかった記憶があるが実際はマゾい。

 

3Dの進化はゲームだけではなくアニメでも起こった。『プリキュア』のEDで3Dのキャラクターが踊っていて、それが可愛くて3Dで可愛いという表現が出来るのだな…と技術の進化と表現の可能性を感じた。

 

ドラゴンクエスト11』では敢えてキャラクターをリアルにしないトゥーン化が施されているがアニメ調でかつ3Dのような方向に私が期待したのは『プリキュア』のEDを見たときが初めてだと思う。

 

『スカイリム』等、海外初のゲームはよりリアルに近づけるという3Dの進歩をみせ『Last of Us』等のゲームで殆ど最高に達したような気がする。それは翻ってグロテスクさになりゲームの体験が重くなることも意味した。TPSゲーム、戦争ゲームなんかはよりリアルになり血なまぐさい体験をしやすくなってしまうのは、人間にとって悪影響にもなると思う。

 

だから、ゲームをゲームのまま、アニメをアニメのまま、ファンタジーの世界に落としておく、ゲームの、仮想の世界に落としておくためにはトゥーン化しておく、トゥーンレンダリングの技術を発展させるということが不可欠のように感じる。

 

一つ予言をしておくとするならば、コンピュータグラフィックスの世界では現実の世界の生々しさを取り除いた世界にこそ私たちはイデアを見出すだろう。

 

現実を仮想世界に現実のように作り上げた世界の体験はいうなれば過酷で疲れるのであり、仮想の世界には私達人間の理想的な仮想を作り上げることこそが、最大の幸福を期待できると思う。可愛いとか楽しいというものの極地は想像/創造の産物だと思う。

 

アトリエシリーズ』(主にPSソフト)などは特に3Dでの可愛さを追求していて良いと思う。まあ、内容は少し飽きやすいのだが…。

 

FF14』なんかは、結構良いトゥーンレンダリングを施していると思う。「ミコッテ」の可愛さは異常であった。そういう世界で生きていけるということがVR世界では期待される。現の姿は仮初なのである。

 

私は『FF11』をプレイしていたので『SAO(ソードアート・オンライン)』のブームは理解できるものがあった。とはいえ結局みんなキリトになることはできないので『.hack』のようなシリーズが受けると私は思う。

 

.hackを突き詰めて、自分以外が意志のあるAIのような存在になるのが好ましいのかもしれない。まぁ、そうすると接待プレイにして貰わないと生きていけないと思うが…。

 

小説家になろう』でも「異世界転生」が流行るが、これはVRMMOと大差ない設定である。別の世界で生きる羽目になる、という。けれど、そこは自分にとって都合の良い世界である必要がある。

 

3DSでARのゲームを遊んでみて楽しかったのだが、それでも私は外へは出ない。「ポケモンGo」というアプリが流行って、みんな外へ出かけたみたいな話を見ても、私は外へ出かけたりあまりしないので、使わないのである。『電脳コイル』みたいな感じに現実を作り上げるのが理想だろうか…。

 

ま、そういう半分現実で半分デジタルな世界も悪く無いと思う。ゲームという枠組みを超えて、例の眼鏡のような装置を付けて、Googleグラス的なものが通常装備になる未来もあるのかもしれない。

 

現状ではIFの世界ではあるかもしれない…くらいだが。まぁ、そういうことができそうな段階に技術的には到達しているのだろう…という話であり、そういう世界に生きているのは奇跡的だよなぁという話なのである。

 

3DSの3D機能もそうだが、ああした立体視も私は期待するところである。TVではあまり普及している感じがしないし、3DSもきちんとした3Dと言うより、2Dに奥行きを与えて2D画像を立てているだけのような3Dが多いと思った。

 

3DSの3Dは実際には納得できるだけの3D機能ではないと思う。上手く焦点が合わなかったりもするし…。それでも3Dカメラ機能には可能性を感じた。

 

お金が無いので、環境的にも3DTVなどを用意することは出来ておらず、3Dを楽しむ環境が無いのが痛いが、今後は3Dコンテンツが最先端になるだろうと思う。現実に『電脳コイル』をやる場合でも、3Dの奥行きを見せる技術が無いと危険だという気もする。

 

まあ、兎に角、3Dの位置や焦点がどうのと、そういうレベルまで一般家庭で云々言えるまでに私達の技術水準が達したという訳である。

 

例えば、1次産業に従事していても、VRゴーグルを掛けていれば、時間を表示したり、次に行う工程を指示したり、ある程度距離が離れていてもメッセージをやり取りしたり、というコミュニケーションが可能になったりするかもしれない。

 

要するにバーチャルにポケモンじゃなくて標識を立てれば良いのである。そうすると、色々な技術革新というか日常を変えることができるだろう。

 

『SAO』は好きだけれど、きっと「リンクスタート」と言って、意識まであっちの世界に持っていくことは出来ないと思う。あるいは私の世代では到達しないかもしれない。

 

だから、ゲームはそういう方向へは進化せず、ポケモンgoのような現実+VRの方向への進化の方が進む気がする。

 

そういう意味ではARゲームというのはいろんな可能性を秘めているなぁと思う。とは言え外へ行ってゲームをする気は無いが。なので写したとしても狭い部屋だ。

 

そうじゃなくて、背景の世界をもってくる方が良いのだろうなあ…。部屋にいながらにしてエベレストに登るとか。飛ぶような操作の方が多分簡単に実現できる。なのでフライトシュミレータなんかを作るとVRで楽しめるだろう。詳しくないので既にあるかもしれないが…。

 

閑話休題

 

私はプラモデルやフィギュアが好きなのだが、高いお金を払ってまで買う価値があるかと疑問に思う人もいるかもしれない。けれど、立体というものの価値って私はあると思っていて、だから立体物を欲しがる人がいるのである。

 

まぁVRの3D技術が進歩すれば、重さのない立体物を手に入れる日も来るかもしれないが…。

 

あとは電子書籍も期待している。紙媒体が既に本の束を持ち紙を捲りページを保持するというのが面倒なのだ。Kindleで本を読むことがあるが、できれば持った状態で何か裏側にスイッチがあってページを捲れるとか…画面をタッチするのも面倒なのである。vitaの背面タッチパネルのようなものがあれば捲れそうだが…。あるいはLRボタンでも。

 

技術のブレイクスルーとか、そういうのが分かりやすい時代に生きてるんじゃないかと思っている。そういう意味では今死ぬことは勿体無い。いきなり死ぬことの話になるのだが…。

 

この死ぬということは病気や怪我なども含めてであって、自殺を示すのではない。死ぬこと全般である。老傷病含めて死ぬことは勿体無い。

 

生きることは大変だが、死ぬことは勿体無い。特に学生時代は私の場合、障害から暗黒時代だったのだが、それでも生きてきて、余裕が出来てくると、このブログを書いている今のように楽しい時間も過ごせることはある…。