LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

愛とは何か

まぁ、対人経験値があまりない私の話です。ここで言う愛とは、相思相愛、相互理解、パートナーになる…みたいな時に必要な愛について述べます。

 

前の記事で書いたことが下敷きになっています。相手を理解し尊重し譲歩する。相手に理解され、尊重され、譲歩される。これが愛で、互いにそうすることが出来た時に愛は相互に了解される。すなわち相思相愛と考えます。

 

具体的には後輩が言っていた恋人の定義と、家ついてって…という番組のあるカップルの発言を参考にしています。共通するそれは「尊敬出来る」という言葉です。相手の人間性を評価して「尊敬できる」から愛して最終的に結婚に至る。自分はそう思います。

 

現実には、そこまで相手を理解しないまま、流されるままに、結婚に至ることが多いのでしょう。お見合いや許嫁のように、相手を評価する時間を十分に貰えない場合もあるでしょう。結婚したら豹変したとか、何とか。あとはまぁ腐れ縁みたいな感じで、長く暮らす内に仕方ないみたいな心境に至る等。

 

例え定型であっても、論理的な理由で付き合って、結婚する人は少ないかもしれません。多いと思うのは、昔の夫婦みたいに夫に従順な妻とか、あるいは逆だとか、その場合、片方が片方を支配しているみたいになるのだと思います。

 

要するに、そういう結婚をした人はDV等に会いやすいということでもあり、自分に暴力や暴言を言うような人物と結婚すること自体、私には意味がわかりません。脆弱な人間が強い人間に縋るように結合しているのかもしれないし、強い人間は一方的な奉仕を要求するのかもしれません。要するに二人共ろくでもない。

 

思うにそうなってしまう事情は、時間が無い、等の理由から相手を完全に理解しきれていなかったとか、相手にフィルターを掛けて見ていた、とか、自尊心が高くないから、相手への要求のレベルをかなり下げてしまった…とかが考えられます。

 

「私なんかで良いんですか」等とよく聞く了承の言葉ですが、それは相手に関して問うべきものです。「こんな相手で良いのでしょうか」と自分に問うべきです。相手の情報を集め評価して自分が相手を尊敬できるか否か、こそ問うべきで、

 

「こんな私なんかで…」というくらいなら、そもそも結婚するべきじゃないです。自己評価ははっきりさせるべきでしょう。「自分が相手と釣り合うのか」という点も考慮すべき点です。自分がマウント取られるだけ、という未来が見えていて結婚するとしたら、その人は特殊性癖があるかただ愚かなのだと思います。

 

相手を理解出来るか、相手が自分を理解してくれるか、そして相手を尊敬出来、尊重出来るか…その程度は分かって無ければ、そもそも友人としてさえどうかと思います。

 

現実的には自分の近くにいる人の中から候補者が出てくるものでしょうが、だからといって、ハードルを下げるべきじゃないです。少なくとも「基本的に他者を尊敬したり尊重していける人間」くらいの条件は付けるべきです。最低限、最低限の人間性(まともな人)を持ってる人から選ぶべきです。

 

でなければ関わらない方が良いです。世の中を見ていると、ろくでもない人間がろくでもない人間と引っ付く場合がよくあるんだなぁと思います。どちらかがろくでもないという状態もよくありません。寄生されるので。結局の所、結婚出来るだけの人間性を持ってない人間が結婚しようとする…から酷い家庭が生み出されることになるのでしょう。

 

人のレベルがピンキリであるため、それは仕方ないことかもしれません。ただ私はここで愛に必要な条件を自分なりに語ってるだけなので。愛が必要ないなら破滅的な結婚をしてくれても正直どうでも良いのですが、出来るなら子供とかを巻き込まないで欲しいですね。

 

人並みの幸せが欲しいという人は何時でも見かけますが、私なんかは人並みでないことがよく分かってるため「人並みの幸せが欲しい」とは思いません。自分が人並みであって、初めて、人並みが要求出来るのです。まず自分が「人並み」であるのか、そこから内省してみなければなりません。

 

結果として「人並み」でないのなら、あなたに人並みの幸せを得られる道理はありません。能力が無いものが専門職に就けないのと同じ理屈です。

 

誰もが愛を享受出来るというのは嘘です。基本的には人を愛せない人間はまず相思相愛になれないのだから「相手が自分を一方的に愛する」という条件が発生するでしょう。それは単純に不公平です。私とあなた、二人の了解があって初めてそこに愛が繋がります。私はあなたを尊敬し、相手も私を尊敬出来る。そんな関係が理想です。経済的に言えばwinwinで無ければなりません。

 

しかし、現実は「シャア・アズナブル」みたいな心を患ってる人間が多く、父や母を求めてる身勝手な人間がゴロゴロしている、と自分は思います。その結果が相手への寄生でしょう。

 

結果として相手にモラハラパワハラをして自分に従わせようとする…みたいな愚かな関係が発生すると思います。

 

発達障害者もまた相手に粘着してしまう…傾向があると思います。少なくとも私は他者を愛することは出来ない。とすれば論理的に相思相愛は無理だと考えるので、他者の愛を求めることもしません。家族の愛が受けられるかもしれませんが、家族自身が発達障害等の傾向がある場合には、愛は受けられないでしょう。

 

友人さえ作れないのに、恋人を作るのも無理でしょう。ただ、私は愛が無くても生きていけると思います。誰かに愛される必要も誰かを愛する必要もありません。

 

じゃあなぜ人間は愛を求めるのでしょう。よく考えれば、十分な理由は無い、と考えます。孤独だとか寂しいだとか、それくらいでは無いでしょうか。それらは別に解消されなくてもどうということはありません。