LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

SNSと誹謗中傷等に関する感想

コロナの影響かSNSがヒートアップする傾向にあるようですね。確かに時間が潰せますが。人を潰しちゃ駄目ですよ。

 

誹謗中傷をする人は、若い傾向がある、という話を聞きました。私が若かりし頃はSNSなんて無かったわけなんですが…。私の経験では、友人に万引を強要されて、断り、やめた方が良いと助言さえしました…。巻き込まれないうちに逃げたので後のことは知らないのですが。

 

大学生になる頃には、過去の「いじめ」や「万引」その他「軽犯罪」等をしてしまったことを悔いてる人が割といました。その頃になると脳が成熟してきますから、少しは賢くなります。若者は過ちを犯しやすいです。思春期なんかもあって「学校普通に楽しかった」と言える人のなんと幸せなことか…と思います。どのくらいの人が学校生活を謳歌してるんでしょう。

 

さて、まぁSNSの誹謗中傷で炎上して云々に対しては、「中傷するのが悪い」「される側も身を守るべき」「される側は何も悪くない」という意見が主に分かれると思います。これはまぁ普通に「いじめられる側が悪い」「いじめる側が悪い」というやつと同じです。単に間に多くの無視する他者がいるだけです。私の読んだ本では学校という場でのいじめは「加害側」「被害側」「知ってて気づかない振りする人たち」という感じでした。

 

SNSでは3番目の人が多いため「無視しといて良いのかよ」と言う人が沢山出てくるというわけでしょう。そういう意味では、学校のいじめよりは陰湿でないのかもしれません(というか3番目の人の中から加害者が出てくるんですね)。まぁ、それも学校と同じではあります。

 

そういう話は昔からずっと繰り返し考えてるんで、結論から言うと「いじめ=犯罪」です…。いじめは犯罪です。ものを盗んだり、誹謗中傷したり、暴力を振るう…これらは犯罪です。学友でも友達でも家族でも赤の他人でも関係無いです。犯罪です。

 

それが公に罰則されない内側で処理されてしまうシステムが罷り通っていること自体、間違っていた(いる)わけです。いじめられたら速攻で警察を呼びましょう。その後もいじめられたら何度も警察を呼びましょう。第三者を介入させることでオープンな事件として扱って貰うわけです。そうすれば、その道のプロみたいな人が誰かしら出てくる可能性が高いですし、上手いことやってくれます。

 

まぁ、その辺が実際のところですね。犯罪に巻き込まれた時、自衛する必要が生じることもあります。これが所謂「中傷された側も身を守るべき」という論です。

 

事案:相手がナイフで刺し殺そうとしてきた

 

という場合、加害者が全面的に悪い。今すぐ刺すのをやめるべきだ。私は何も悪くない。だからここはノーガードでokなはずだ。流石、私、完璧な論理武装だ。

 

これが罷り通るか、という話ですね。結論としては理論武装して無敵の人になっても実際の防御力は少しも上がりません…。

 

事案:相手がナイフで刺そうとしてきた。

 

対応:避けた。逃げた。警察に駆け込んだ。

 

これが正しい対応です(身を守ること)。ナイフで刺すのは間違っている。だから避ける必要など皆無!と言ったところで、刺されれば実害があるわけで。

 

まず避けて、逃げて、証拠持って、警察に行けば良いんです。相手がどれほど間違っていても、実害を避けられ無い状況では、回避すべく行動を起こさないといけません。かなり当然のことです。とは言え、上手く回避出来る保証はありません。可能性にチップ掛けて頑張るしか無いです。

 

最後が「される側は何も悪くない」という論理です。これは間違いです。

 

例えば、些細な悪口を言った。

 

結果:酷く殴られた。

 

という場合、後者は罰せられるでしょう。ここで私は「悪口を言った」側です。「私は罰せられないし何も悪くない」と主張します。正しいでしょうか?正しくないですね。悪口は悪口です。

 

この「些細な悪口」という「きっかけ」があって加害という「結果」が起こった、という因果関係は割とあることが多いです。しかし、例えば「相手がイライラしていた」「そこに私がいた」という因果関係で加害してくる人もいます。マジです。実際、私はそういう目にあったこともあります。勿論、ここには因果関係はありますが私の責任は限りなく少ないでしょう。

 

まぁ、分かりやすい例を挙げると、

 

裸で風呂に入っていた。そこに裸の少女が入ってきた。少女に殴られた。

 

みたいな感じです。存在するだけで加害される例です。けど、これは随分、分かりやすい話です。

 

実際は、相手がイライラしていた。私が位置的に目障りだった。殴られた。

 

みたいな話です。したがって、殆ど相手の問題で自分に責任が無い場合もあります。ただ、ここでは「火種(きっかけ)」を抱えている人に関する話です。根本的に、小さな火種でも普通に炎上します。結局はその配分で悪いとか悪くないとか揉めるわけですね。

 

ある人がコロナで「性差別的な発言をしたから」、「炎上するのは当然」という感じです。ただそこには差別的な発言という「火種」があって、SNSでは燃える材料が沢山あった、みたいな話です。要するに、

 

可燃物がある場所に火種を投下すると炎上する、という話です。

 

当たり前の科学現象なのですが、なろう主人公が転生先で原始的な手段で火とか起こして俺すげー、ってなるやつですね。まぁ、そこまで発展してない異世界ものも少ないですが。

 

可燃物+酸素+火=あとは分かるな!?ちらっ(わかんなーい

 

この場合、本来第三者である人が加害側に回るわけですね。まぁ、そうなるともうその人はイジメに加わってるわけですが。つまり加害者になってるわけです。学校における第三者も似たケースは多いです。空気的に断れずにイジメに加わる…と。

 

きっと「万引」だって同じようなものでしょう。

 

問題は「火種」だというわけですね。けどそんなものは多かれ少なかれみんな持ってるので。「いじめられる側が悪い」というのは、そんな火種持ってるのが悪い!という話です。

 

「いじめる側が完全に悪い」というのは、仮に相手の火種が100(最大)だとしても悪いというわけです。何かこう諸悪の根源みたいなやつでも…。最早、入る前から燃えてるのに…。けど、燃えてるところに更に可燃物を投下するのは駄目ですね。それは追い打ちです。死体蹴りとも言います。火に油を注いでるだけです。

 

火に油注いだらどうなるかわかりますね?(と例えれば明らかに分かることでも、例えられる前にはどうなるか分からない人がいるんです)

 

 

加害者側は完全にアウトですね。ただボヤで済むか山火事になるかは周りの人の責任だと思います。第三者ですね。油を放り込むか、火を消そうとするか、傍観するか…という人たちです。

 

私は障害があるので、いく種類もの「火種」を持ってます。だから燃え移る可能性も高いです。「いじめられる側は何も悪くない」というのは、どれだけ火種を持っていても何も問題がない。因果関係もない、ということです。

 

けど論理的にはどんな場合にも因果関係があります。その「きっかけ」がどのようなもので、そしてどのくらいのものか、という話になります。この時点で、0か1か、という話では無くなります。

 

所謂「情状酌量の余地があるか」みたいな感じで、点数を付けます。どのくらい悪かったか、それとも悪くなかったか、みたいなことを因果関係を認めつつ、秤にかけてくわけです。

 

まぁ因果関係があろうと自責が0の人もいます。私みたいに自閉症(フラグ)抱えてる人とか、その他の弱者とかですね。知的障害があったり認知症の老人や、介護が必要な人であったりとか。

 

性格に難を抱えてる人もいますし。ここに人種やジェンダーとか、見た目や性別、まぁ宗教とか信仰とか、全部を挙げれないですが、ギスギスする何かを何かしらの事情で抱え続けていたり、そうせざるを得ない人もいるわけです。

 

「原因自体はその人のせいでなくてもいじめられる原因を所持している事実」は変えられません。「いじめられる側に(も)要因がある」こと自体は当たり前のことです。しかし、そこに責任があるとは言い切れませんし、責任があっても無自覚である場合等もあります。

 

仮に原因を所持しているという責任があるからと言って、いじめて良いということにはならない、ということです。

 

私は落ち度の塊みたいなもんです。それは否定出来るものじゃない。そういうものが自身にあって「そこに居ただけで殴られる」なんてことは恐らくしょっちゅうおこっています。

 

ただ、そのような理由で人権を侵害されることは許されません。というか、自衛のため、とかでなければ、どのような理由でも侵害してはいけないのですが…。

 

まぁ、それが私の結論です。

 

ちょっと文章がよくないですね…。もやもやしてる気がします。こういう話はもっとシンプルに書くべきでした…。

 

例えば、キリストが石を投げてる人に言うわけです。

 

「犯罪をおかしてないものだけが石をなげよ」と…

 

そうすると全員投げるのをやめるわけですね。多かれ少なかれ、みんな燃える時には燃えるんで。

 

まぁ、実のところ「犯罪」を「刑事上の」と考えてしまう人間は石を投げるでしょうが…。「ボクは逮捕されたことない!」とか言って投げるでしょう、きっと。

 

まぁ、だから人には教育が必要なんですが。

 

引用先では「人を裁く権利や資格を持つものはいない」と何か格好良さげなことが書かれていました。

 

まぁ、これなら人なら誰であっても資格ないんで石投げないでください。

 

これもまぁ裁判員裁判みたいなことがあるので引っかかるんですが。

 

とは言え、法が人を裁くのであって、人がその独断で人を裁いてはならないとは言えるはずです。

 

その辺までは論理で言える話だと思うので、いじめ論みたいのは結果出てる人も多いと思うんですが、炎上する度に単にまたその話蒸し返すのかよ…って感じです。

 

最近ことわざ辞典を読んでるのですが、例えが時代外れで面白く無いんですけど、この二つは大切だな、と思ったのを書きます。

 

・喉元過ぎれば熱さ忘れる

・後悔先に立たず

 

ですね。最近思うのは、喉元過ぎれば熱さ忘れる、ために人は同じ過ちを繰り返すのだ、ということです。警察の世話になっても同じことするくらい、すっぱり忘れちゃうんですね。人間って。

 

自閉症だから忘れるんだろうか…。いや、世話になったのは私じゃないですけどね。

 

後悔先に立たず、というのは所謂、喉元過ぎれば熱さ忘れる、とコンボになってるんですね(笑)その辺を説明します。

 

1.後悔先に立たず、のためにやる前にはやった後のことなんて考えもしてみない。

2.痛い目に合う

3.喉元過ぎれば熱さ忘れる、のために痛い目にあった記憶を忘れる。

4.1に戻る。後悔が喉元を過ぎて忘れ去られてるので、同じ過ちを繰り返す。以下、ループ

 

というわけです。

 

やる→痛い→忘れる→やる→痛い→忘れる→やる

 

この負の連鎖が続いてくわけです。スパイラルで落ちてくんじゃなくて、ループですね。この場合。ただ現実には罪を犯すほど重くなっていくのでスパイラルしていくと考えられます。なので実際は負のスパイラルになるかもしれません。

 

強力なことわざコンボでしたね…。

 

・人は痛みをいつか忘れるけど痛い目にあった記憶を教訓にして忘れないようにし、同じ過ちを繰り返してはならない

 

教訓です。