LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

絆・繋がり・団結…デジャブ!これはもう私の入れない領域になってきている…っ

最近のSNSを見てきて、このコロナ自粛の中、絆・繋がり・団結・みんなで一丸となって…!的な流れが、何というか時代を逆行してるんじゃないかな…みたいな気がします。

 

団塊の世代ってやつですね。みんなで高度経済成長的な…。それが学生世代に直撃すると、それを守らないやつ=排除、という流れになるというあれですね。今回は「コロナ」という正当性があるわけです。

 

で、それで弱者になるのは「コロナ自粛」に対応出来ない人たち、ですね。そこでの正論は「コロナ」という実害があるから、という話になるわけですね。「コロナ」があるから私が言ってることは正義、お前がおかしい、と人格攻撃になれば、それは誹謗中傷でしょう。

 

「いじめられる側にも原因がある」と言う論

「いじめられる側に原因がある」という論、多くの人は「に」と考えており「にも」=自分にも原因がある、ことは認めない。

 

これがいじめですね。「にも」と分からないから自己正当化出来る。「にも」と考えていれば、距離を置いた発言も可能かもしれない。

 

そういう「いじめ」の中に国民全体が入ってしまっている…と思います。入りたいかどうかではなく、その場所に踏み込んでしまってるわけです。まぁ、コロナからこっちに来たわけで、誰が悪いという話じゃないです。

 

コロナ自体より、ステイホームでSNSで繋がって、支える的な一連の共感することを強要される「なんとかチャレンジ」みたいのありましたよね。ああいうの自分は無理です。おうち時間みたいな話も、いや別にコロナ前と後でやること変わらなくない?と思います。結局、アウトドアの人間が余暇をどう過ごしたらいいか、という話なんだろうけど、やはり私としては気持ち悪いです。

 

コロナ・ムーブメントと呼んで良いと思いますね。一種の祭現象だと思います。その根底には不安があり、それを集まって何とかしよう、みたいなことなのかな、とは思います…。物理的な密を避けた一方で、心理的な情報社会的な密を迫られた…のかな。

 

それによりやはり排除される人はいるんだろうなぁ…と思う。マジョリティの祭で、

 

「お前らマジョリティだろ!」

「応!」

「…」←マイノリティ

 

マイノリティとしてはああした空気に入っていけないです。