LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

知識が無い状態で差別の如何を問う

まぁ、主題は黒人差別に関してなんですが、私は深い知識は持っていないことを明記しておきます。じゃあ、書くなよって話なんですが、「何でもそれを語るには専門知識が必要」ってなって、論文100本読んでから出直せというのでは結局じゃあやめとくか、ってなって考えないわけです。

 

なので私としては「知識無いけど、考えて見るわ」ってのが自分のスタンスです。後で知識を得て認識が変わるとしても、今考えるのと後で考えるのと、何れも経験にはなるかな、と思います。

 

黒人差別は根深い、ということをある方のブログで知っています。ただ、ここでは、そういう歴史的背景は持ってこず「肌の色で差別するな」というシュプレヒコールを持ってきて語ろうかと。

 

私自身黒人差別はあります。なんとなく「怖い」印象。暴力的な印象を抱きます。ただそうでないタイプの人もいます。有名な俳優等ですね。私はまず外見で判断し、その態度で更に判断します。

 

見た目で差別するな、という話ですが、人は見た目で判断します。見た目で判断するな、と言うと例えば、相手が子供、女性、老人、盲人等の判断もするな、ということですよね。逆説的に言うと、そうした判断はしているし、する必要もあるということです。

 

勿論、そうした判断をしても、それはまずは私の頭の中に保留しておきます。必要がある時だけ、そうした情報を参照し、どういう行動をするか判断します。私から見て、白人・黒人というのは、まず「会話が成立するか」という辺りからスタンスが始まります。

 

黒人差別が朝鮮人差別と類似のものという意見を見ましたが、理解出来る話です。今でも外国からの実技研修生に対する現状にも、そうした差別を見ることが出来るかもしれません。

 

あるいは先日見た終身刑の老人達の話等も微妙な話です。別に黒人だから犯罪の話をしたわけでは無いのですが、彼らの場合、見た目ではなく中身を差別されるわけですね。犯罪者→その心理の異常さ、という類推です。黒人→暴力的傾向、という風に考えてしまう人もいるかもしれません。

 

とは言え、私は日本人でも怖そうな人は無理ですね。主に男性となるわけですが、暴力的な雰囲気がある人は無理です。所謂、男らしい性格の人も難しいですね。そうすると、私の接しうる人は軟弱だったり柔和な人、となるわけですが。

 

ガンダムで例えるとドズル・ザビリュウ・ホセイは駄目で、カイ・シデンガルマ・ザビはOKという感じでしょうか…。「この軟弱者!」って叱られるような人の方が私はシンパシーを感じます。

 

有名人で言えば、ボブ・サップみたいなイメージが威圧的な黒人という感じです。ゲームで言えば、FF7のバレット辺りも私は無理だなぁと思います。彼を見てアバランチってやばい連中なんじゃ…って私は思うわけです。要するにそこには黒人差別があるわけですね。まぁ、黒人の中でも厳つい人に対する差別と私は思うのですが。

 

日本人の中ではそういう暴力的なステレオタイプと、ファンキーなステレオタイプが主に存在すると思います。まぁ、主に後者は、山寺さんの演じる黒人ですね。なんかジーニーみたいな。

 

まぁ、そういうわけなんで私は「男塾」みたいなのや「龍が如く」みたいなヤクザっぽい人は普通に差別します。日本人でも日本人に差別するわけですね。そこには黒人に似たものを感じます。要するに、反社会的であるような雰囲気を感じると駄目、みたいなやつですね。

 

じゃあ、反社会的な人物に対して差別は良くないよ、といったらどう反応するでしょうか。そうだな、と思うか、いや差別はすべきと思うか。警察ならプロファイリングするでしょう。そういう傾向がある場所は洗うし、人を穿って見るでしょう。コナンだって、見た目でものを判断しています。

 

問題は黒人に対してそういう傾向を読み取った場合です。黒人だから差別したのか、犯罪係数が高いから注意して身構えたのか。件の黒人は犯罪歴がありましたから、そういう虫眼鏡で見られても仕方ないのかな…と思う部分がありました。

 

勿論、そこから人種差別問題に行ったのは飛躍しているのかもしれません。黒人を結果的に死なせてしまった白人が、彼を人種差別したのか犯罪係数を測って対処したのか、それによっても、事件の見方は変わるはずです。最初「反抗的だった」というような情報も耳にします。

 

そこから暴動に発展し、被害者の弟という人がデモに対して声を挙げるまで、色々な人が勝手をしたわけですが…。まぁ、リアルの炎上という感じですね。一方で同じ白人に対する警官の暴行というニュースも私は見ました。警官の性質の話なんだろうか…という気もします。警察の中にも、やはり暴力的な雰囲気の人はいますし、私はそういう人はやはり無理です。

 

私は正直、朝鮮人と黒人が同レベルかと言われると、どうかと思います。また韓国と北朝鮮でどうか、と言われればまぁ韓国かなとも思います。韓国人と黒人なら比べられるのかもしれません。ただ韓国の国としてのスタンスは友好的では無いんだろうな、と思います。そういう意味で黒人が白人に対して対等であろうとする(国柄だと思う…)のに対して、韓国人はどうなのかな、という感じもあります。

 

まぁ、そういう大きな枠組みの差別は兎も角、日常レベルで言えば、分かり合えない人や、分かり合おうと思えない人はいるし、彼らと対等になろうとか理解し合えるとは思わないので、私は差別を語る資格ないかな、と思います。

 

人種差別←抽象レベルの差別の話

個人に対する差別←具体レベルの差別の話

 

という違いですね。抽象化というのは具体化からある要素を削ぎ落として成立する概念です。取り除いているのは個人レベルの性質でしょう。なので人種差別問題を語るなら、個人レベルでの差別も視野に入るのかもしれません。私は関わり合いになりたくない人には近づかない、ことを決めています。

 

駄目な人には近寄らない、これが真理だと思います。ただ現実にはそれが家族であるとか、近寄せてしまう要因があって、関わり合いになってしまう、という感じの不可避なことが多いです。

 

例を挙げれば「学校」「勤務先」等です。それらは「触らぬ神に祟りなし」とすれば近付かないで居られるかと言うと、近付かざるを得ないわけで。

 

そういう状態に対しては医者のような方々のセオリーを教えて貰うのが良いのかな、という気がします。特に精神科医は難しい患者でも対応しなければならない、という状況が不可避でしょう。

 

彼らの対応のエッセンスが学べれば、不可避な人間関係に関して、有効な対応と対策を考えることが出来るかもしれません。

 

私の黒人差別は具体的なものかな、と思います。同様に、具体的に人種差別している、という人もいるでしょう。結局のところ、オール・オア・ナッシングでは無いので、選り分ける必要がありそうです。