LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

親を語る時、そのバックグラウンドを考える

発達障害者にとって、多くの親は毒親であろう。カサンドラでそうなったのか、親にも発達障害のような性質があったのかは分からない。

 

ただ現在において発達障害を問う時に、親に対する私達の非難は正しく機能しているだろうか。

 

私の親の世代は、19xx年の生まれである。だから、19年の後半辺りで成人しているわけである。そうすると、発達障害に関する情報は手に入らない。それが表に出てくるのは日本だと1999年頃の話である。

 

現代のように早期発見と養育でサポートするという時代では無かった。また、そうした常識も知識も無かった。自閉症というのは知的障害を伴うものがメジャーだったのではないだろうか。だから、発達障害は固い人、とか奇特な人という感じの「変わった人」として認識されていたのではないかと思う。当時は同調の時代で、みんなが中流階級になれると考えていて、年功序列が強く、少々使えない社員もそれなりの場所が与えられたりしていた。

 

それでも自殺率は高く、その中には同類が居たであろうことは想像に難くない。その時期の引きこもりというのは今よりも厳しい世間体に晒されていただろうし、世紀末的な空気も世の中にはあった。

 

けれど、それは一部の人の趣味であって大衆は右肩上がりの経済的成長と変わらない経済世界を信じていた。だから、将来は家庭を持ち、子供を作り3世帯住宅を作り子供に介護させ…という感じの家族観・人生観があったと思う。丁度、私が学生の頃に、就職氷河期とか右肩下がりの経済とか核家族化と言った概念が出てくるのである。

 

それはつまり私の親の頃の教育では無かったものである。それに何れにせよ、私の親は高卒である。当時は高卒で就職列車に乗り、サラリーマンをやって、子供は大学に行かせよう、みたいなノリだったのではないかと思われる。

 

将来に対しての考えは甘く、現実がそのまま続いていくことを幻視していたから、子供は一姫二太郎が良い等という絵空事を本気にして、家族計画を立てて、それなりに子供を育てようと苦労したが、結局その子供は発達障害で、普通に育てることは難しかったわけである。

 

過去を鑑みれば、そこには試行錯誤というかまぁ苦悩と戦いの日々があったわけである。けれども、例えばペニシリンが無い時代に、免疫系の病気に掛かるようなもので、解決の糸口を掴むことは容易ではなく、結果として厳しく躾ける、とか、愛情を注ぐとか、民間療法のようなレベルの対応をしたわけである。

 

その辺が毒親という所以であろう。過去の所業を許せないと思いつつも歴史的背景から已むを得ないと考えるのもまた正しい了解であるように思える。功罪という言葉があるが、まさに何れかと切り離すことが難しい問題である。

 

結局の所、私を救ったのは親の愛ではなく、時代の進歩と医学の進歩…そうした外的要因である。たまたま発達障害に関する進歩があり、私が発達障害だと感じて受診し、そうだった、という話である。

 

要するに、他者を計りに掛ける時には、その文化的背景も勘案しなければ誤解するということである。体罰が是とされてきた時代と現代とではその常識に開きがある。モラハラパワハラは最近の概念である。つまり過去には罷り通っていて、だからこそ、個々人に対する同調圧力が強く、パーソナルな問題は内に秘めたまま吐き出すこともままならなかった。だから自殺者が多かったと考えられる。

 

現代は科学においてもモラルにおいても随分進歩した時代であることをまず根底に置かねばならない。そのうえで過去に遡行した時に、現在の常識が一つ一つ欠けて行った時に、どのような社会像が浮かぶのか、ということが重要である。

 

どのような社会常識の中で生きてきたのか、ということが、その時代に生きた人を理解する上で大切な前知識となる。勿論、自分の親等に関しても、現在と過去を比較する中でどのような展開をして今の形にいたったのか、という想像力を働かせることが重要である。

 

ナチスが政権を握っていた頃、精神障害者は全員ガス室送りだったと聞く。その頃の常識と現在の常識には差があり、それに関する想像力が無ければ、その時代の人の思考をバカにして終わってしまうかもしれない。一方で限られた情報の中から最善を尽くそうとする人々の苦心もその中には顧みられるはずである。

 

人間を理解したいと思うなら、歴史を紐解く必要があるだろう。