LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

オーバーロード web版の感想(悪口)

アニメとwebを見た。アニメ版のアインズの方が好印象かな。

ただヒロインキャラが増えるのが微妙かな。

web版はブラック企業のコミュ障社畜童貞がMMOに粘着した挙句、転生という感じ。

MMOのギルド(コミュニティ)とメンバーに固執している。彼の現実は孤独で惨めだったのかも。

まぁ「過去の栄光よもう一度」とか「あの頃に帰りたい」みたいな印象。過去は美化され過ぎてるんだろう。

コミュ障の同年代と関係を築けない人って、後輩とは上手く付き合える(後輩は譲歩してくれるだけ)のだが、

その関係は上司部下の利害関係によって繋がっていて友人関係にはならないんですよ。

例えばアインズの立場ならナザリックと管理者(あるいはプレイヤー)という立場が無ければ、

ギルメンNPCとも繋がり合えないだろう。

彼は他人を友人だということがあるが、実際には権力と暴力で一方的に脅している関係だ。

ナザリックが無ければ何も残らないのがアインズであって、それに取り縋っているという感じである。

非常に発達障害的な気がする。包丁を持って「私たち友人だよね」と言ってるわけだし、

キレると自分が殺されるような関係で対等になろうとしているのが愚かですよね。

「愚か」と言われるとキレて暴力の限りを尽くす、という「キレやすい子供」という感じ。

あとはナザリックというのは言わばヤクザ的な集団だと思う。勝手な仁義と忠誠と暴力で成り立っているわけで。

まぁ、だから感情移入はできないですよね(苦笑)主人公が愚か過ぎて嫌いなのは分かるな。

アンデッドの考えに引かれているというのは理解するけど、社畜としての常識も異常ですからね…。

上司としても無能ですしね。自分の無能がばれないように、としか考えていないので。要するに保身。

ナザリックを守るというのは綺麗に聞こえるけど、ナザリックが無くなったら全て失うので自分のためですし。

自分のため、というのを仲間たちの名誉のため、という風に捻じ曲げてますしね。大半辞めてるわけで。

骸骨というのも皮肉な風貌ですね。中身が無い。彼の怒りも中身の無いものです。

「俺のことは貶されても良い。だが仲間とナザリックのことは…」というのは、

要は自分の価値がそこ(素晴らしいものを持ってる)にしか見出せないので、

それら(自分)を非難するな、と言ってるわけで。「仲間たち」=自分ですね。

子供・妻とかを馬鹿にされて怒るタイプの人は間接的にその人自身が自分(の価値観)を馬鹿にされたと思ってるわけです。

で、子供や妻側としては「なんであなたが怒ってるの?」という感想を抱いても良い。「勝手に私の代弁をしないでくれる?」と。

要は首都圏に住んでる人が沖縄で活動したり、ジャーナリストが海外で難民可哀想・戦争可哀想、って報道したり、と、そういう印象を受ける。自分の承認欲求のため、みたいな部分が透けて見える、というか。

そう考えると、アインズという人物が見えてくるわけだが。

仲間、部下、ナザリック、身に付けている装飾品等は素晴らしいかもしれないが、アインズ自身とは関係無いよね?と。

肝心の自分に対する自信や自己肯定が無いのが惨めなんですよ。

それだけならまだ良いんだけど、他の富・権力・名声という外面を盾にとって自分の矮小さを隠す行為自体が俗物です。

何というか、虎の威を借りる狐、なのに、それすらも隠そうとしている。ジャイアンに対するスネ夫というか。

確かにナザリックの管理人をしていたわけですけど、それと偉いかどうかは別のベクトルなので。今現在、ギルドを私物化してますけど、本来(ゲームで)それは許されないです。ギルドの資産は共有財産なので。それと転移前のゲーム世界と転移後の現実化した世界とは不均衡なので「デス・ナイト程度に」と言ってるアインズが当初、外の世界は一人一人が自分たちより強いかもしれない…と言ってビビってたのを考えると、そういう考え方を外の人たちにも適用できないのか、と思います。大虐殺辺りで虫けらのように殺されたのが自分たちであったかもしれない、とか考えられないんでしょうね…。それが実に弱者を虐めて搾取する不良の理屈っぽい。

感情移入できるかというと、社畜ステロタイプなので、嫌悪感が強い。情けないんですよね。

普通の社畜だってここまで惨めに生きてないというか…ほんとTVのドキュメンタリーとかで見るくらい。

それと強いルサンチマンも感じる。謙虚なんじゃなくて自分を貶めて揉み手しながら皮肉ってる感じというか…。それが賢い処世術だと思ってるんですよ…。嫌なのはね、だからって、そこで傷つけられるような自尊心を家族や共同体という外に置いてるとこかな…。それは誰の許可を得たのかな…みたいな。

そうしてしまうのは実際は非難・批判されることに耐性の無い人間なんだと思う。他人と対立しない、意見を戦わせないのは、自分の考えに自信が無い癖にそれを守りたいからだったりする。自分の考えが否定されるのを恐れて意見を戦わせることをしない。引く理由は論破を恐れるネガティブなものなのに、謙虚であることに摩り替えてるというか。それが日本人は謙虚で素晴らしいと言う時、というより内向的でディベート能力が無く陰湿なんだよというのを隠して、本当に素晴らしいことにされてるのは、どうなのかな…と思ったり。

まぁ、そういう劣位に置かれてルサンチマンの強い頭の悪い人間に権力と武力を与えて俺TUEEで転生させたらどうなるのか?という実験という感じ。作者はモモンガを悪人と書いてますけど、ホントですよ(笑)「他人の立場に立てない」ということがどんなに相手を踏みにじる結果を容易にもたらせるようになるのか、結構リアルに描けてる気がするんですよね。ただ元の人格もコミュ障で相手の気持ちなんか分からなかったんだろうな…と思うけど。

向上心はありますけど、それはまぁあるだろうな、と。モモンガに特有の美徳というわけじゃない。大体、見栄を張るための努力ですしね。それは評価するべきことでも無いんじゃないかな、と。向上心があるにしても方向性が重要だと思う。それによっては美徳かどうかも変わってきてしまうだろう。そもそも世界征服するとか言っちゃったわけで。ナザリックやギルドを神か英雄にしたてあげるためにどれだけ犠牲を作り上げても良い、とか。それを仲間たちが喜ぶのかという点が既に(´・ω・`;)中身のせいなのか骨のせいなのか。ギルドをやっていた頃にしても私からすれば自己犠牲の見返りが欲しかった、という感じに見えてしまうな…。そして、自己犠牲とか思うのがナンセンスなんですが…。なら解散するか譲ってしまえ、という。

ナザリックがあまりに邪神教過ぎて辛いですね(笑)たっち・みー、がそもそもリーダーだった集団なのに、なぜここまで悪魔教徒ばかりになったのか…。セバスが気の毒過ぎる。

彼レベルの社畜ってのは要は善悪でいえば悪なんだと思う。弱者だから奴隷だから善だというのは、障害者を聖人にしたい、みたいな感情であって、実際にはルサンチマンの感情を強く持ってるとすれば、それは憎悪であり否定的で攻撃的な感情であって、悪というべき方向に流れやすいものでしょう。貧しさが極限になれば人は生に執着するため奪い合いを正当化するでしょう。貧しい人は精神的にも被害者的で劣悪になりやすいと思う。社会に対する被害者だから加害者に回っても良いと思ったりする訳です。

『無職転生』のルーデウスも私はモモンガに似ていると思うんですが…。度忘れして表現が出てこないんですが、嫌らしい妙な執着を持ってますよね。例えば、自分が得られなかったもの、家族、友人、恋人、青春等に対して。それらに対する羨望や嫉妬の感情がギラギラしていて、どす黒い感じ。ルーデウスは家族に執着しているのが凄く気持ち悪かった。

家族を大切にするのと執着するのは別なので。ルーデウスの執着は、恋人に別れ話を持ち出されて殺しちゃうような方向性だと思う。実際、エリスに捨てられたと勘違いして憎悪し見捨てようとしていた訳で。家族を大切にするという表面は裏の結果で、理想の家族を持ちたい(であるべき)という夢の押し付けが真実だろう。「生きる希望そのもの」みたいにしちゃうので裏切られると全てが無くなったと思うわけで。女性も子供に夢を押し付けようとするわけですし。自分の不幸を他人で賄えると思うべきではない。

そういう人達は、何が生きていて幸せなのか、生きることを肯定できない人たちなんだと思う。モモンガは元の世界に帰って何があるというのか…と言うわけであり、ルーデウスも似たようなもんでしたし。でも正直、この世界でも何にも無いんですよね。要は富はあるかもしれない。けど、外側のものだけじゃ人は幸せになれないんですよ。外側のものというのは家族も仲間も含めて。

社交的な人も逆に孤独が不安で他人といなければ苦痛、みたいな人がいる。そういう一人でいることに妙に耐えられない人もいるわけで。私は集団の中で耐えられなさを感じるんですが、まぁ何れにせよ、って印象。他人といても自分一人でもそんなに問題を抱えないでいられるのが幸せだと思う。

富にせよ他人にせよ、それが「失われるかもしれない」という気持ちの不安に晒されて生きねばならなかったりするわけで。

じゃあ、何が必要なのか、と言うと「留守番できない犬を留守番できるようにする」みたいな話で。分離不安の解消だと思う。子供は母親を内面化することで仮想的に一緒なのだという安心感を得て自立できるようになるらしいんですが、ルーデウスやモモンガにはそういう内面化された安心感が無いんじゃないかな。そういう人は自分の外側に何をもってきても、それらが離れてしまう不安に晒されて生きねばならず幸せになれないと思う。

だから「富は得られました、けど大切なものはやはり得られませんでした」という話にならざるを得ず、救われない話になる。だから、私は最初から人生を肯定してる自立してる主人公を持ってきた方が良いんじゃないかと思うんですけどね…。人生の初期に挫けちゃってる人を救う話にするのは難しいと思う。というか、自分を救えた人じゃないとどうやれば救えるのか書けないだろうと思うし。(物語の都合で)良い環境を揃えて生きさせることはできるけど、それだけでは人生を肯定して生きることができるとは思えない。

オーバーロードとか超越者とか言う割に、人並みの幸せも持って無い惨めな小人物、ってのが酷い話だなぁ、と思う(´・ω・`)そして、嘘か誠か「アインズ様!素敵!」とかいう読者がいることに眩暈がする。主人公はそんな偉い人間じゃないですよ(苦笑)彼が踏み潰す農民と同程度かそれ以下くらいの人間性だと思う。あるいは主人公に難癖をつけるチンピラレベルかもしれない…。作者は分かっていて書いてる風ですが、読者が分かってるのかなぁ…と。子供に核の発射装置を持たせたような感じというか…。

ただ群像劇として多くの視点で書いてるので面白くなってるんじゃないかな、と。アインズをヒーロー扱いで感情移入してると読むのは辛いですが。そういう主人公としてはセバスの方が向いてますよね(´・ω・`)ハーレム系主人公になってるっぽいですし。