BLは大体、TS(性転換)なので、男性作者が女性だけの日常系を書く際、その関係はホモっぽくなるだろう。つまり、男性読者はホモ的やり取りに興奮しているわけである。と、考えることができる。
これはBLは宝塚的なものである、と考えれば、レズものは、その逆と考えた場合である。所謂、女子高のボーイッシュなお姉さまとBL系の王子はほぼ同じではないか、と。
私は男性が女性を描き、その女性に惚れた・俺の嫁と思うことに、何だか最近は躊躇いがある。その事情が上述した部分で、大抵、男性作者が書いた女性像である、という点。特にハーレムものは、そういう作家のエゴが出やすいと思っている。
登場人物というのは大抵、作者の分身だったりするので…あとはお察しである。まぁ、印象は作家による部分があるが。まぁ『風の谷のナウシカ』だって宮崎駿の趣味全快であり、考えると頭が痛くなる。
それを理想というのは駿の脳内妄想少女=俺の嫁ということであり、やはり受け入れがたいものがある。下手な作者の場合、相応にキャラクターはあざとくなる。
更に下手な作者の場合、TSである。女という設定の「オレ」である(笑)まぁ、男性化した女子高生と思っても良いかもしれないが、何れにせよ間違っていると思う。
男性を描こうとしている『鋼の錬金術師』も女性作者らしさがキャラクターに投影されていると思う。そういうものが男性作者らしさが女性キャラクターに投影されていると考えるべきであり、二次元を愛するということ自体がホモっぽい部分を嗜好する結果になると思われる。
なぜなら、大抵の場合、少女を描きたがるのは男性だからだ。とは言え女性が少女を描いた場合、現実感が持ち込まれ、空想的少女キャラとでもいう「ふわふわした」二次元属性も吹き飛んでいく気がする。所謂、少女漫画的な少女になるわけだが…(´・ω・`)
まぁ、呂布がとか劉備がとかいう三国志趣味になるんですね。大抵。『海月姫』の話ですた。
高橋留美子の描く女性キャラ好きですけどね。多分、年齢が少しいった女性の方が、現代的にジェンダーが男性に寄ってないので良いのかもしれない。
何かウーマンリブ的な女性解放運動って逆に男性になればいいんだ!みたいなものを目指したりして、女性性を新たに作ろうとか無いんですかね(´・ω・`;)男になってどうするのか、という…。
まぁ、女性はどういう風に振舞ったら良いか、男性に少なからず踊らされてるような気がする…マドンナとかね。「セクシーでしょ?」みたいな。sexualを求めるのは、まぁ異性へのアピールなんだろう。
まぁ、孔雀みたいなもんだよね(笑)
とりあえず萌え的な少女ってのはユニコーンみたいなもんだから。ドラゴンとかグリフィンとか、ファンタジーの生き物で、存在しないけど、だから好きみたいな。だから女性 ≠ 「少女」だなー。
そこを理解せずに、女性とイコールで結びつけられると思ってしまうとそれはナンセンスだと思う。どちらかというと二次元の時点でケモナーとか、そっちの域に入ってるんだと思うけどね。
まぁ、目のデカさとか揶揄した作品もあったりするが(笑)割と好きですよ。横から見たらショッキングな感じ。仮面ライダーみたいな。
まぁ、それで二次元趣味の男性を馬鹿にする人いるけれども。リアルの女性と二次元は熊と「熊のぬいぐるみ」くらい違うものなので(笑)
犬って書こうとして止めた(*ノωノ)
だからリアル女性を好きになるかはまた別の話。二次元が好きだからリアルから目を逸らしているわけじゃない。リアルはリアル、二次元は二次元。それとこれは別。ということが、ごっちゃにされる場合があるのは、それは違うんじゃないの、と思う。
私は少なくとも違うので。リアルはリアル。二次元は二次元。二次元が好き(ぁ
リアルはなー…そもそも人付き合いに支障があるスペックだからね。好きになるとかならないとかいうレベルではなくて、付き合えない。知的障碍者に結婚できると思ってんの?と言った医者が居たっていう話聞いてね。まぁ、統計的に結婚できないし、恋人もできない傾向が高いんですよね。
それって、その最たるものが「宝くじに当たる確率」で。ほとんど当たらないって思うじゃないですか。なのに恋人は「できるかもしれないじゃん」っていう。希望的観測ですよ(+_+)「かもしれない」っていう夢を買って、終わりb
それにしたって、上手くいかないのに、結婚したり、恋人作ったりしてどうするんだろう、と思いますね。結婚や恋人が重要で「なぜそれが欲しいか」は重要ではない。
持つことがステータスなんですよね。普通は持っているから、とか。
でもマイノリティから言わせて貰うと、自分は普通じゃないのだから、普通のやり方じゃ合わないんだよ、と思う。