非情にドロドロしてるなー、という印象。殆どの優しさは気味が悪いものだ。だから、優しくされるのは好きじゃない。
その裏に自慰感情を感じるから。あなたは自分の傷だけ舐めてなさい。鬱陶しい。そうした言葉の裏を感じるのが気に障る。そして、私は受け流せるほど耐性が無い。
昔も思ったが、自立することが難しいのである。金の話では無く、精神的な自立の話。精神的に生きるために他人の支えを必要としてしまっている。
友達が欲しい、恋人が欲しい、結婚したい、云々。そこに必死さを感じる。人間関係のコツは人間関係に執着しないことだ、と言われるが、彼らは執着してしまう人達であり、何が悪いかと言って、その必死さの根幹を内省しないことだろう。
だから、仮に友や恋人が出来ても問題は解決しない。解決されずに放置されるだけだ。介護されてるだけ。
まぁ、良い。
このところ、気力・体力が無いのがあれだが、精神的には穏やかな日々を送っている。他人の心への干渉がやはりイケないみたいだ。
こうしてただここで生きていていいのでさえあれば、友達も、伴侶も、家族も、ペットも必要では無い。
思うに、生活の不安や命の保証が無いから、そうしたものにヤキモキせねばならないだけだ。不安だから頼れる相手が必要なのだ。
日々働く人は夢や目的を叶える時間が無いと言うが、私から見れば、果たすべき夢や目的など人生にありはしないのになぜそんなことを言うのか、という風である。
意味や意義が欲しい、という。でも、そんなものは無い。じゃあ、それは本質では無いのかもしれない。そういう言葉で別の主張をしているのでは無いか。要するに楽になりたい、とか。