LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

TVでは変わった人間を持て囃すが現実は逆である

同調圧力…というものが日本ではあると思う。

一方で、マスメディアは変わった人を取り上げて「色んな個性の人がいますね」なんてやる。しかし、それは単に変な人を募集しただけであったりする。

 

まぁ、司会者等はちゃんとした人を出来るだけ選ぼうとしているように見える。問題はレギュラーではない取り上げる人間の質であるのかなと思う。

 

食レポを最近良く見るが「おうちごはん」なんてものもリアクションは基本的に同じであるから、結局、外で食べるのと自炊との間に最早差異は無いのではないだろうか。勿論、ちゃんと美味しそうなものはあるが、毎日のように繰り返す企画の場合は怪しくなってくる。

 

そもそも美味しいものを食べて、数秒で表情が笑顔になって、などということは実際は無いわけで、みんなでリアクション芸を見守っている風になっているわけで。別に特別な場所に行かなくても、その辺のコンビニでも十分に美味しいご飯が食べられることは、それもTVメディアが放送していたわけで。

 

ある本ではNHK以外、見る価値は無い、という方針だった親がいたとか聞くが、さもありなんという気もする。ただ時折良い企画というのはやはりあるので玉石混交であると思う。

 

ただTVというのは常に流すものではないな、と私は感じている。まぁ常に流していた頃があったから気づいたような気もするが。

 

病院なんかは娯楽が無いからと言ってTVを流すが、それより書棚を充実させて欲しいと思う。誰が読むのか子供向けの絵本と、面白味のない週刊誌くらいしかない。散髪屋の方が漫画の品揃えが良い。賞を取った小説や漫画くらいは揃えて欲しい。雑誌は流行りものだから止めた方が良いと思う。何年前の雑誌だろう、みたいなヨレヨレの雑誌がおいてあったりするのだ。その点、漫画や小説はある程度、年月に耐えうる。

 

TVよりは漫画を読んだ方が、自分の好みに合うものと出会える。TV番組はずっと見てれば、マンネリになってる部分が把握できるようになると思う。今は毎日「コロナ」「コロナ」しか言わないし。

 

タレントを見ていると経年で人が入れ替わるから、まぁ大体の場合は人当たりが良く、人格が安定している人間が残っていくように感ぜられる。この辺りは刹那的な人間を切り売りしているコーナーとは違い、経年劣化に耐えうる人間性のある人物が残るべくして残っているような気もする。無論、例外もあるだろう。

 

要するに一発屋がブレイクして司会者やひな壇タレントになるというのが、芸人の目指すところの成功だろうと思うわけだが、そういう人物は運があるかもしれないが、選ばれて後にTVに耐えうる人間が残るのである。

 

これは声優も似ている。長く続けるには「安定」が必要なのだ。そういう意味で現実に求められる人間は「耐久力がある人」という風になるのだが、それはその人の人格がしっかりと根が張り、ある程度の質が保たれている人が選ばれるのだ、と思う。

 

今のお笑いのBIG3とか言われる人たちも、毎回の仕事で必要とされるパフォーマンスを発揮できる人たちなのである。むらがある人間はどこかでギブアップするので時流の中で残っていけないと思う。

 

耐えられない人は何かしら問題やら不祥事を犯したり、その前に上手いこと引退したりしてTVには見えなくなる。勿論、病気とか事故といった想定外の災難が理由であることもある。

 

youtuberとかいうのも同じである。まぁ、印税を貰う仕事なら一発当てれば良いみたいな分野も未だあり、そこには「夢」があると思う。

 

ただ安定した作家のような存在になるためには芯が無い人は残っていけないのである。大抵1作目が当たり2作目以降不振という人は、自分の引き出しが有限で一作目に全部ぶち込んだために、2作目以降は似たようなものしか作れない(同じ引き出ししかない)から売れない…みたいになると思う。これは私のイメージである。そういう人は一時の芸術家であって、プロ作家ではないのだ。

 

私はハンター漫画の人はプロ作家だと思っている。とは言え、漫画は完結しそうにないが。彼にあって、一発屋に無いのは、引き出しの中には具体的なものではなく、抽象的な物語に関するオノマトペ…セオリーがあって、それを基に色んな素材を加工し漫画の中に落とし込んでいくことが出来るかどうか、みたいな話だと思う。

 

例えば、ウテナピングドラムには根底している物語の型枠のようなものがあると思う。要するに色んな要素に何らかの隠喩を混ぜ込んで哲学風に仕上げるみたいな。まぁ何やらセンセーショナルな要素がそれらにはあった。要するに社会風刺的な側面があって、それでメッセージ性がある作品と受け取られて、人気を博したみたいな作品群である。

 

例を上げれば、エヴァまどかマギカ化物語系、攻殻機動隊サイコパス涼宮ハルヒブギーポップ…etc

 

とは言え、今の時代にはそんなにセンセーショナルなものがウケる下地はそんなにないような気もするのだが。ただ、まぁその時代の空気を切り取って風刺的に描くドラマがいつの時代もキャッチーで受けるという傾向はあると思う。「カクシゴト」なんかはそういうネタである。

 

露骨に言えば「こち亀」や「銀魂」のような作品はいつの世も受けると思われるが、きちんとその時代の文脈を追っていなければ描けない作品であると思われる。

 

まぁ、だから言ってしまうと、普遍的な作品ではないから、経年劣化して埋もれていくと考えることが出来る。今の社会で若者がエヴァンゲリオンを全話見ても「心の壁」があかんのや…とか思わないだろう。要するに私が挙げた作品は社会的背景があるライブ感が重要な作品なのである。

 

歌も同じで尾崎豊が流行ったのは、その時代のその空気という背景が仕事していたからであって、今ああいう歌詞はウケないだろう。中島みゆきの方が普遍的なことを歌っていると思う。「糸」とか。

 

まぁ、そんな風な作品の一方で「タッチ」みたいな名作は普遍性を扱っていると思われる。ジョジョ寄生獣スラムダンク…みたいなまぁそのレパートリーはどうかと思うが、私の中では普遍的な価値がある作品だと思う。私はどうもその時代の社会問題と自身が切り離せなかったこともあって、時代的な作品を好む傾向があったと思う。

 

プロの人は自覚的に物語を描けるんじゃないかなぁ、と素人考えしてみる。

 

まぁ、最近は現実と距離が取れているので、社会風刺的な物語は昔ほど心に刺さってはこないのである。そうなってくると、読書論なんかを読んでいると、結局は「古典」だよね、っていう話をしているのが今の所立て続けているので「古典」=普遍的な題材、が良いのだと思う。

 

「立て続いている」というのは、幾つか「読書論」というテーマでランダムに読んだ本に共通して「古典」読み、が良いと書いてあった、という話である。