LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

ゴーストオブツシマ クリア感想

ツシマをクリアした感想です。

 

全体として、やはりグロテスク表現が過剰であった、という風に思いますね。首が串刺しにされてたり、とか。その辺はショッキングなゲームだったかなと思います。

 

あとは護符をもっと付けたかった、というのと、確率で発生、系は選び難い。また服の変更がショートカットキー等で可能であったならば、鎧毎の特色をより活かせただろう。

 

時代劇としてどうか、という評価をされる人がいたが、私はそもそも時代劇を求めていなかったし、侍ファンタジーであることは前提としてのプレイだったと思うので、歴史的考証をせず楽しめたと思う。

 

そうしたリアルさに対する考証に関しては、概ね同意できる。西洋のオープンワールドゲーに日本のサムライのスキンをかけている。その違和感に関しては、当たっていると思う。また、私の主観だと「誉れ」を批判し「冥人」を肯定しているように思えた。まぁ、この対立自体がリアルな思想ではないという批判を受ける的となったようである。

 

とは言え、志村のいう「誉れ」というものは、西洋でいう貴族の責務のようなものである。何れにせよ、民の模範とならねばならぬ、という思想である。仁の毒による殺害と蒙古の虐殺非道は鏡写しである。「やられたからやり返す」という思想は確かに正しくない。

 

要は、毒を盛った殺害というのは原爆投下による虐殺と同じである。

志村はそれを「非道」と呼ぶわけである。けれど、効率を考えてしまうと冥人に落ちてしまう。石川先生も割と「誉れ」寄りであり、冥人に堕ちるなと警告している。一方、政子に関しては仁は「修羅」になるな、と警告している。もうひとりは典雄である。彼は僧兵であり、僧侶と寺というものもまた物語上では重要な平和のシンボルである。仁は「誉れ」と「冥人」の間で自身の立場を模索しているように思われる。そして政子や典雄の立場を戒めている。つまり、仁のポジションとしては怒りや憎しみによる非道ではなく、あくまで勝つための策を弄する、という立場であった。合理主義とも言えるが。仁の価値観は西洋的なのかもしれない。故に志村を殺すにせよ活かすにせよ「誉れ」を否定する結末なのかもしれない。まぁ「武士道とは死ぬことと見つけたり」というのは正直、誉れと関係ないと思うが…。

 

そこでは寧ろ「誇りより地を這っても生きることを選ぶ」という感じである。そういう意味では私は仁の生き様が割と正しいと思った。とは言え、志村の規範という意識も分からなくもない。重要なのは義によって動いているか否かであろう。敵討ちとか仇討ちという表現が出てくるが、これもやはり「義」の問題であろう。

 

登場人物は誰しも己の「義」に忠実であったのかもしれない。