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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

働くことは吝かでは無いが

働くこと自体は吝かでは無いが、他人との相互行為がなるべく起こらない範囲で、ということになるだろう。

そうでない場合、早晩、うつ病に悩まされるだろう。

うつ病でも薬を飲みながら働けば良いという人がいるが、うつ病のまま死ぬまで働く気なのかと思う。

そういう人が周囲にいる。

うつ病というのは健康問題における自殺の第一要因である。自殺する動物は人間くらいしかいないと言われるが、おそらく自殺するまで精神的に追い込まれるような社会に暮らしているのが人間くらいに過ぎないのだろう。

日本国民には文化的な最低限の生活を送る権利があるが、この中には物質的な面と同時に、精神的な面も含まれるべきだろう。うつ病というのは一寸先が自殺なんていう悲惨な精神状態が続く病気である。この状態の生活を継続することは文化的な最低限の生活を満たし得るだろうか。私はそうは思わない。健康で文化的の健康には精神の健康も含まれるだろう。

かつての日本には隠居という言葉があって、隠居後の生活こそ自由な人生だと思われていた時期があったらしい。現在も老後の人生と言って線引きがされるわけだが。けれど、それ以前の人生が働くだけというわけではあるまい。人生は生きている限り恒常的なものだし、人権はその間守られるべきだと思う。

まぁ、マイノリティでアウトサイダーな私が主権とか人権と言ったところで、それは98%の人には関係の無い話かもしれないが。

ツレがうつになりまして

を視聴したのだけれど、頑張らない宣言というのは、非常に世間から浮く言葉であるなーと思ったのである。私、頑張りませんというのは、現在社会において勇気がいることである。

発達障害者で私が悲壮だと思ったのは、勉強会に出ていて、自分は自立するんだ。頑張るんだ!と意気込んでいる?人です。それは明らかに周囲の社会が彼に期待していることそのものであって、彼の生活の実感からはかけ離れたことのように思えました。

彼は障がい者用の作業所に通っていて、一般就職にチャレンジしたい!と思っているが、周りの職員からは止められているようでした。世間が障害者に期待するのは障害者枠ででも一般就職してもらうということで、彼もそうしたプレッシャーを受けて頑張らなければならないと思っているのかもしれない、と私は感じたということです。

企業側はきっと障害者枠を作れと言われたからしぶしぶ作ったというところでしょう。そういう場所に障害を理解されて働けることを求めて入って果たして大丈夫なのだろうか、という警戒心が私にはあります。決して、歓迎はされていないことでしょう。

企業側の価値観では、障害があっても頑張ってくれれば良いみたいなところがあって、ここでいう頑張るとは一般社員と同じかそれ以上の成果・効率を案に期待されているのではないか、ということです。また精神的にも周囲に合わせるように期待されるでしょう。

私の存在と言うのは基本的に企業側の利益にはならないものだと考えられるべきだろうと思います。少数の発達障害者が活躍しているからと言っても、誰でも普通社会に付いていけるわけではありません。現に普通社会から脱落することで発達障害だと分かる人が多いのですから。

発達障害者が一般社会に認められるような働きをするといのは、普通の人が夏目漱石黒沢明レベル(一角の人物)になることを期待されているのと同じようなものでしょう。

私は働いて労働力を社会に何かしら還元すること自体は吝かではありません。しかし、うつ病になって薬漬けになり死んだ方がマシだと思いながら涙を流してまで、働き続ける気力はありません。