LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

空白を満たしなさい 感想

まだ全部は読んでないのだが、あまり好きになれる主人公ではない。分人という概念がどうこうという話になっていくわけだが、ペルソナとどう違うん?っていう気もする。

 

まぁ、ペルソナよりも多重多奏的な形でそれは存在する、って感じなんだろうけど…。それで「幸せの絶頂で自殺する」とか「こんなに幸せなのに自殺するはずがない」とかいう話をくどくどやってるんだろう…。

 

けど、実際の現実はみんな別にそんな絶頂なんて言葉使うほど日々に幸せを感じていないけど生きてる。そして、別に楽しいとか嬉しいとか喜ばしいとか幸福だとか感じて無くても生きてる。逆に、最悪で死にたくて、苦しくて、意味わかんなくても生きてる。

 

それが生きるということだと私は思うが、主人公は「幸福になれなくちゃあ生きていても仕方がない」という考えの人間なのである。そして昭和的な核家族や仕事、コミニュティに幸せを求めていて、それがあるのに死ぬはず無いとか言ってる。人は空白を満たさずに生きてる人が圧倒的に多数だと思います…。だから宗教があるんだろ、と。

 

宗教ってのは「満たされていない」ことから始まることが多いし、つまりはみんな「満たされていない」ってことでしょう…。そして、ことさらに満たす必要性の必然性みたいなものは無い。

 

「別に朝食抜いても生きていける」みたいな話である。で自殺は「この世から消えてしまいたい」という形に変化していく。「死にたい」のではなく「消えたい」

 

私は貝になりたいみたいな話であり、誰もが輪廻からの解脱を求めている。まぁ仏教徒とかは…。そういう意味で自殺する、というのはあるかも?みたいな話である。

 

そういう話をするには主人公は些か歳を取りすぎている。まぁ、結局のところ、現実の重さに耐えきれないってことだろう、とは私も思うけど。

 

そして、消えて無くなりたい。まぁ、理解できる。死にたいとは結局のところ、そういう感情を行動に移すなら?の解答に過ぎない。死にたいんじゃなくて消えたい。

 

生きるとは自分のレゾンデートルにおいてその存在の重さに耐えていく行為なのだ。

 

まぁ、だからリセット癖とか理解出来るみたいなね。積み上げてきた自己像に耐えきれなくなる。これはお笑い芸人の自殺、俳優の自殺なんかを見ていると分かると思うんだが、彼らはキャラクターを演じなければならないという強迫観念を背負い込みやすい。でその「そういう私で無ければならない」ことに「耐えて生きている」そして、その耐えている重さに耐えきれなくなると、落下死するわけである。

 

というように私には読めた。幸福の絶頂で死ぬというのは前述したように虚無主義に見えるが…。世の中には生きている人がいてその人の数だけ生きている動機があり、かつ、それは定まらない焦点のようにふらふらしている。

 

生きる意味等は無いが、死ぬ意味は更に無いのである。それには死に至るようなハードルを越えなければならないから、容易に死のうとは普通考えないというだけのことである。生きることは現在形でしているから、生きる意味が無いだけである。死ぬというのは生きる状態からの変化であるから、そこに理由や原因を求めるが、普通、お前なんで生きているの?とは聞かないだろう。いや、気づいたら生きてたわ、みたいなもんである。

 

だから生きると死ぬとは2項対立ではないのである。存在することと、消滅することと言い換えても良いかもしれない。自殺というのは基本的に一方方向の行為である。死んだら生き返ることは出来ない。