LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

未成年の実名報道と少年法について

某週刊誌が名大女子大生の実名を報道すると宣言したようだが、それは少年法を無視するということであるらしい。

この女子大生が何をやったにせよ、法は守られなければならないし、出版社が行おうとしているのは法律の無視だろう。

それは法治国家を認めないということなのかなぁ…と思うわけである。

報道者が裁判官気取りをしているように僕には思えるのだが…。これが「ペンが力」とか言ってる人たちだろうか…と。そりゃあペン(言葉)でも人は殺せますからね…。僕個人としては法律が定める罰則以上のものを犯罪者に課すことは無いと思うし、それは最早私刑というべきである。例えば、秋葉原の通り魔殺人事件の被害者のうちには被害者遺族だけではなく、実のところその家族も入っていた訳で。それは社会的制裁という名のリンチだろうと僕は思う。きっと、そういう宗教なんですよ。村社会的な。気持ちとして「関わり合いになりたくない」くらいは分かるけどさ。その辺を越えて何ら関係の無い第三者が熾烈な攻撃を加えるというのは「無し」だと思う。そういうことをすると「いじめ」や「体罰」を正当化することになるだろう、と。それらは当然な「しつけ」だとか言われる訳だろうし。もうね「テロリストと同じレベルだろう」と。「あいつは悪なんだから何をしても構わない」みたいな。大義名分があるとか思い込んじゃうともうダメだなーとか思うんですよね…。

そんなものは認められないだろう…と僕は思う。そりゃネットじゃ名前なんて隠せ通せないだろうけどね。それでも個人がやるのと企業がやるのとじゃ意味合いが違って来ちゃうと思うんですよね。法に守られて生きてるのに法を破ってどうするのかと…。その某週刊誌はこの女性が罰せられて当然だと思ってる訳なんだろうね。でもそれを決める場所は別に決められていて、あなたたちの領分ではない。と僕は思いますが。

まぁ、これが日本の民度だと言ってしまえば良いのだろうけど。いじめや体罰が漸く少しは問題視されるようになってきたのも実は最近のことだと僕は思うし。「悪」だから攻撃して構わない、という理屈はかなり危険だと思う。正義も悪もその定義なんて出来やしないんだから。「犯罪者は人間じゃありません」みたいなね。単純性の中に逃げ込みたいのだと思う。

サイコパスというアニメで「シューティングゲームをやっているつもりが、警備ロボットを遠隔操作して人を殺していました」なんて場面があったけど、そんなに変わらないと思う。「死ね」と言ったら本当に死んでしまった、というレベル。彼らは「本当に死ぬなんて思わなかった」と言う訳だけれど、そもそも「想像力を自分から捨てにいってるんだ」と思うんだよね。

「想像力が無いんじゃなくて、敢えて見ないフリをしている」ということがあると思う。直視するのは怖いから。自分の行為を正当化したいから。相手より自分が上位に立ち相手を下位に置きたいから。とか、色々の理由で。

ネットは特に内弁慶になりやすいんですよ。MMORPGをやるとよくわかるんだけど。「だから、実名制にするべきだ」という意見が出てくるくらいには、そうだろうと思う。ただ実名制というのはリスクが大きすぎるだろうと思うけどね。僕なんかも気楽にブログなんて書けなくなると思うし。

家庭なんかもそうで内弁慶になりやすい。そういう人間は二面性を持ってるように見える訳だけど。亭主関白なんてのは内弁慶なんだろうなーと思ったりする。個人的に良い印象は無いですね。それを「本当の自分」だとか思ってると尚更質が悪い。増長してるだけだろう、と…。

なぜ強姦とかで女児の被害者が多いのか。ロリコンというより我儘が通る相手だと思うからなんじゃないかな。犯罪者を攻撃する心理も割と同じだと思う。見下していい(と思える)相手だから。僕はそれはとてもモラルが低いと思う。AKBとかを見ていても同じ気持ちが湧いてきて僕は嫌だなー、と思うが。子供を利用してるよな…と。モーニング娘。なんかでも大概だったけど。

芸能界というものに嫌気がさすのはそういう部分なんだろう。非常にモラルが低いように僕の目には映るなぁ。まぁ、最近はテレビを見ていないので、どうなのか知らないけどね。

自己責任論なんかも同じだと僕は思う。自己責任=だから悪い=仕方ない、という風に物事を単純に納得させたいだけ。僕は「なら口を閉ざしてりゃいいじゃんか…」と思ってしまう訳だが。自己責任という言葉は僕に言わせるとナンセンスというか無意味というかそんな感じだと思う。言っても仕方の無いことだ、と。じゃあ、沈黙してても同じじゃないの?と思う訳で。

問題の解決になんら寄与しない、というか…。

自己責任の反対は他人の責任となるのだろうか。

仮に自己責任じゃなくて他人のせいじゃないから何なのだろうか…というような感じ、というか。

秋葉原連続殺人にしても「母親が悪かった」とか言われる訳だが、責任という概念自体割と僕は欠陥品だと思っていて、結局母親は罰を受けず情状酌量の余地すら認められず犯人が全ての咎を負う訳である。

やはりというか僕は割と思う部分がある。発達障害は恐らく遺伝的なものだし他の欠陥も遺伝である。教育や環境もようは周りのせいなのに全て自分のせいだと言われ、掛かる苦しみは僕が全て受ける訳で。それはやはり「無常だなー」と思う訳ですよ。責任という概念が欠陥品だと僕が思うのは、そういう部分を敢えて全てスルーしてしまうから。

*割と僕は運命論者です。生まれた時から僕らは理不尽や不合理を背負わされている訳だから。

なので「犯罪者=悪=自己責任=死んで当然」という論理は僕は無理があると思う。僕は別に彼らの更生を信じている訳でも無いし、被害者感情が分からない訳でも無い。それでも自己責任と言い切ることには躊躇いがある。

そんな感じで僕的には死刑制度(どちらかと言えば絞首刑)に反対で出来れば恐怖や痛みを感じないような処刑法にしてやれよ、と思う訳だが。「ホントに社会に出しちゃダメなヤツは一生閉じ込めとけよ」と思う訳だけど…。まぁここで簡単に断言できることでも無い。

「人間は生まれながらにして平等では無い」とかは最近よく耳にするフレーズだけど、能力主義にしろ、個人主義にしろ、その根幹の部分は地について無いよね、と思う訳だったりする。

少年法は、その辺を鑑みて更生させる余地を与える仕組みのような気がするんだけど、どうなのかね。僕はそれを破って実名報道するってことは劣等な人間は始めから死んだ方が良い、みたいな主張のような気がするんですが…。殺伐としてるなーと思ってしまう。四民平等とかあれですよね。普通の人の話なんですよね。頭のおかしい人はこの中に入れないから…的な。僕は入れないなー(苦笑)

犯罪者が出れば「サイコパスだ」とかさ。性悪説を信じたいのかね…。

普通の人の普通の人による普通の人のための政治。というか国というかね。日本は大体そんなイメージ。普通の中には、日本人であること、平均並であること、とか色々入る気がするけど。単に僕のやっかみかもしれないけどさ。

時代の空気的なものかもしれないけど、余裕が無くて緊張してる感じがするんですよね。