LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

勉強は役立つか、という記事

 「勉強は役立つ」と答える小学生が増える というスレッドを読んで、ちょっと考える。

 役立つという人と役立たないという人がいるし、コミュ力があればそれで良いとか、勉強法が分かることが大切とか、まぁ意見が割れる。

 個人的に感じたのは、知的労働層と肉体労働層で意見が食い違うのだろう、ということである。後者は勉強が役に立たないと考えるし、前者は役に立つと考えるだろう。また生涯を通して勉強し続けなければならない立場の人も多いと思う。そうなると最早、勉強すること自体が自明のことになるのだろうと思う。前者と後者の人間で立つ瀬が違うのだから、勉強に対してのスタンスが違うのは当たり前なのだろう。

 医師とかプログラマーなんかは常に勉強しなければならないだろうし、レジ打ちなんかが勉強する必要性は無い。必要性の無いものに必要性を感じることなんて無いのだから仕方ないだろう。社会的地位は前者が高くなりやすいだろうが、何れが良いとは一概に言えないと思う。

 意見の中には詰め込み教育に意味が無いと言うものがあり、ある程度共感できるし、あるいは将来になって詰め込まれたことが色々ピンと来るんだみたいな話があってそれもある程度共感できる。詰め込み教育だけでは応用が効かないという話である。勉強が役に立つ・楽しいという児童が増えている背景に、身の周りのことに引き付けて教える学習内容になっているのだ、というが興味があるし、羨ましいとも思う。

 勉強なんて必要ない。コミュ力だけで良い。という主張は、ちょっとアイシルの人々の主張を想起してしまう。教育なんて要らないと言うのである。コミュ力は必要だが勉強とは切り離して語るべき問題だろう。それは社会で成功するための条件の一つに過ぎないのだから。

 知識を引き受けるのは怖いし才能の差も怖いのである。例えば、このニュースにしても若者が自分たちを能力的に脅かすとして脅威を受けるかもしれない。私は勉強が楽しいと思えることは羨ましいなと思うし。無知を知ることは恐ろしいことである。自分が自分の子供より劣っていると考えることは恐ろしかろう。自分の立場が危ぶまれる。だから「出る杭は打たれる」とか言う訳だろうと思う。でもその精神性はアイシルとかがやってることと変わらない。

 何というか、人工知能に警鐘を鳴らす科学者みたいな話で、コンピュータの方が人間より賢いから人間が奴隷にされるというのと構図としては同じである。普通の人間とニュータイプやらコーディネーターやらの対立とかそんな感じだろう。

 優秀な人間が増えればその恩恵を受けるという考えが無いのかな、と思う。文明は一部の天才によって発展してきたと言われるが、割合、天才は逆境に追い込まれたりする訳で。地動説に対して天動説を唱えるとか、そういうテンプレなんだと思うんだけど。人工知能が人間を奴隷にする意味も無い気がするし。知ることが怖いことだというのは、その辺からでも分かると思う。怖いから耳を塞いで自分から遠ざけようとする訳である。