日本社会は努力論と自己責任論とか強いですけど、
貧困は自己責任だというのは正しくないですよね。
頑張るのは当たり前で自己責任だというのも正しくないですよね。
これは感情的には反抗されるものでしょう。
ベーシックインカムの論理は大多数は暇なら働きたいと思うだろう、という論理を持っている。
マジョリティ(大多数)は他人と関わりたいし何か役に立たなくてはいけない、と思うだろう、と。
幸福の最も高い段階が自己実現をすることですから、努力は自ずからしようと思うことです。
マジョリティはそうでしょう。けどマイノリティは違う。
100%の人間が働きたいと思うわけでは無いので、働きたくない人間は働かなければいいわけです。
そこにも感情的な反抗心があるわけですが。
もう少しマイルドに言うと、努力したくない人はしなくていいわけです。
今の社会って万人が100%の努力をしなければならない、って価値観があると感じていて。
でも大体の人は65%くらいの努力で仕事を済ませよう、って思うんじゃないですかね。疲れるから。
きっと、日本人は、集団の場で100%の努力を強いられる空気があるから、見えない場所でさぼろうとするんですよ(´・ω・`)
そのイデアと現実の落差があると思う。
その上で20%くらいしか努力したくない人とか100%努力したい人とかいるわけですよ。
あと少ないエネルギーで多くのことができる人と、大きなエネルギーで少ないことしかできない人もいますね。
そういう偏差を見て欲しいなと思ってるわけです。
ちなみに努力したくない人の下限は一人暮らしでは餓死するレベルなんですよ(苦笑)
気力の無さ、ってのはそういうレベルの話。
そこから人によって上がっていって、一人暮らしはできるというレベルから単純作業くらいならというレベルとか、
努力できそうだな(耐えられそう)、というレベルが上がってくわけです。
そういうのも偏差的に存在しているから、みんなが努力できるわけじゃない、ということだと思うんですね。
働けないほど努力できない人が10%くらいはいるのかもしれない。
けどマジョリティはみんなそれなりには働ける人たちなので同じように働けと主張するのだと思うんですね。
90%の人は同じようにしている!と。それは多数決原理と強者の理屈ですね。リアルではない。
お前も男なら云々みたいな強制と同じ話なので。
そういう感覚は大昔のものではないので、今も生きている中高年の人間なんて、そういう強い文化の中で生きてきた人が多いと思うんですよ。そういう人たちが内心保持している価値観なわけです。
9割同じなら全員にしなければ気が済まない感じの病気ですね(苦笑)
100点とらなければ仕方が無いみたいなレベルで、でも実際は8割とれりゃ大したもんですよね。
まぁ、どこ由来の感覚かは推測できるんですけどね。ここ10年15年くらいで随分常識が変わったので。
そのくらい短いスパンだということは、逆にいうとそれ以前の常識も強く残ってるわけで。
政治家の失言なんかを見ていると、そういうジェネレーションギャップからくる常識的感覚の違いなんだろうな、と思えるものが多い。だから表面的には同性愛やら夫婦同姓やら女性登用やらというわけだけど、それは外側をなぞっているだけで、本質を理解できてないので、彼ら自身意味が格差や差別の問題を飲み込めていないから的外れなことしかできないのだろう、と。
政治家先生なんだから頭が良くてちゃんとすべてまるっとお見通しなはずよ!と思ってる人も多いけど、エリートでもそういうのはあるんじゃないかなーと思ったりする。自分より頭が良いだろう人たちに対しては、どこまでが過大評価なのか分かり難いんですよね。だから馬鹿なことをしていると思っても、きっと深遠なお考えがあるに違いない…!と思ったりとか(´・ω・`)
心が読めれば良いのに…って疲れそうだな(´・ω・`)