まともな世界にはまともな日常が流れているが、まともじゃない世界にはまともじゃない世界しかないから、結果としてまともなことが何か知らない。
つまり、まともじゃない世界がまともである、と思い込んだまま生きている。ニュースやTVはそういう側面がある。
自分で思考し判断することは難しく、感情さえ放棄しがちで、世論が怒ることに対して自分も怒るという有様である。メディアリテラシーの実行は難しい。
最近の世論で指摘しておきたいのは、誰かが「過ち」を犯したからと言って、その人を「正義」か「悪」に二分して切り裂いて「やれ正義で悪く無い」の「悪で最悪だ」のと言い合う。
見ていると「犯罪者」は皆「死刑」みたいな一緒くたにしようとする傾向がある。それは「要約」だが、約せない数まで約すれば、それは計算間違いになる。
特に「まとめサイト」は「ルサンチマン」の存在が切っても切り離せない。簡単に言うと、負け組の勝ち組に対する嫉妬や憎悪を叩き付ける場所になってしまうことがある。
このブログもそうだが…。ネット上の記事は特にそれが無償なら自分の感情の掃き溜めにされる。それが情報発信の対価にされるから。
承認欲求でもそうだが、こうした場は、そういう欲望が動機になって形成されているのだと思う。どのような欲望か…は色々だろうが。だから「Aさんが悪い行為をした」と言えば「それは悪いじゃないか」と返される。
まぁ、炎上に対する燃料を与えるか、火の起こる材料を放り投げるか。その自然な科学的帰結。発火が起こっただけ、みたいな「まとめ」や「ニュース」。
それが人なら磔刑にされて燃やされてるんだろう。酷い言葉を投げて傷つける人たちは熱狂する群衆。
何がしたいか、と言えば「正しい意見を叫びたい」西洋社会が綺麗な人道を掲げたように。「犯罪者は悪い人で、嘘吐きは許されない」という正論を振りかざす。言葉の聖剣。
効果は絶大。炎上。轟沈。
まぁ、何れにせよ「大義名分」という水を得た魚がうるさく飛び跳ねた結果。喰いつく魚はピラニアか。丘ならジャッカルか。
まぁ、そういう所謂「死体蹴り」というのをやる。
MMOの初心者狩りみたいに。
そこにメッセージ「ざまぁ」「めしうま」
アサシンクリードをやっていると、彼らは死んで当然の輩だったから誰でも殺してOK。これでスッキリ。という感じだろう。
アサシンが認められるならね。
まぁ、アサシンはゲームじゃ英雄ですが、
現実じゃ死刑台送りでしょう。
そういうことで。