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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

同性愛に関する勝手な想像と偏見

同性愛に関して

同性愛者は友達を作るのが難しいのではないか…。

なぜか。

同性に対して、恋愛感情を持ち込んでしまうから。

性的志向とはセックスしたい相手→恋愛したい相手みたいな話だと仮定して。

 

男女の友情が不可能だ、と言われるように、同性愛者の立場になれば、同性との友情の構築が不可能になるのではないか。

 

かと言って、異性は異性の側の性的志向の結果、友情を構築することが難しくなるだろう。

 

同性愛者には友達が少ないという傾向を予想する…(´・ω・`)

 

だから、パートナーにも依存し易いような気もする。

 

そんなことを考えてメモしておこうと思った次第。

 

異性愛者は「そういう人もいるよね」と言って「認める」というのだが、この「認める」は私と関係しない限りにおいて認めるという認めるであることが多いと思う。

 

異性愛者は同性愛者と関わり合いにはなりたくないだろう。それは同性愛への理解が面倒だからだと思う。

 

周りには同じ異性愛者が大勢いるのに、なぜ同性愛者と関わり合いにならなければならないのか、と。なぜ面倒か、と言えば、自分が性的志向の中に入れられるから。

 

女性が女性同士集まるように、男性が男性同士集まるように、性的志向を省きたい関係性というものがあって、同性愛者はその場にそぐわない。

 

だから、孤立しやすいのでは無いかと思う。同性愛が悪いというわけでは無く、人々の志向性の結果、そうなる、というか。

 

学校でも男女が同じ部屋で着替えるなんて光景は今は無いので。理屈上は同性愛だと性同一性障害と同じように、個室を用意する等しなければならないと思う。

 

そういう部分が物理的にも精神的にも面倒なのだと思う。そして、男女というシンプルな分類、認知を阻害し判断のスムーズさを害するので邪険にされてしまう。

 

発達障害者も特権階級などと揶揄されることがあるが、なぜ少数のマイノリティのために「そこまでしてやらねばならないのか」という異性愛者の同権意識のようなものがある。

 

要は左利きは右利きに合わせて右利きの道具を使え、という。

なぜ左利きの道具をわざわざ用意してやらねばならないんだ、という。

 

私たちには何の得も無いじゃないか、というお馴染みの「お前ばかりズルい」という心理である。

 

同性愛の人間の生きる難しさ、というのは、そういう話なので、ただ健常者が「認める」と言っただけで解消されるものではなく、色々配慮して制度を整えたり環境を整えたりしてやる必要性があると思うのだが、そういうと「なんでそんなことをしてやらねばならない」と健常者は反発するわけである(´・ω・`)

 

そういう類のものである、ということを殆どの健常者が理解していないというのがまた問題である。

 

要するに女性専用車両が必要でしょ、みたいな話と同じなわけで。そういう問題がマイノリティの数だけ増えるという面倒な話であることを健常者は理解せず、ただ「認める」と言えば済むと思っている。

 

この「認める」というのは「認めるが私の目に付かない場所で勝手にやってくれ」という話であることが多いわけで。

 

彼らからすると、何も困っていないのだから、そんな余裕は無いよ、という話であろう。

 

そういう生き難さなんだろうな、とか。

 

 余談だが、その私の理屈で言うと、同性愛者は同性愛の異性と友達になれると思う。互いに相手に恋愛脳を持ち込まなくて済むので。