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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

ゼロ・グラビティ

映画

2013年の映画『ゼロ・グラビティ』を見た。

ソ連のせいで事故に巻き込まれ、中国の宇宙船に逃げ込んで脱出というのは、何とコメントして良いのか分からない。

とは言え、物語の大きな部分ではないだろう。

何が伝えたい映画か、と問われれば主人公ストーン・ライアン女史が「生きる」ために足掻くという話だ。彼女は孤独な女性で宇宙は「静かで良いわ」とか言ってたけど、いざ一人投げ飛ばされて見ると、誰かを求めて泣きわめく。ラジオで一人の男性の声に、あるいはマットという宇宙飛行士に、またはヒューストンに繋がりを求める。孤独でいたいというのは孤立したいというわけじゃないのだ、とまぁそういう感じなのだろうか。

そういう哲学的な話は置いておいて、本作の見どころは、無重力ということだろう。タイトル通りである。物語全編を通しての無重力の中の格闘しておいて、エンディングにおいて地球に降下してから、重力の影響を受ける訳だが、海に投げ出され、陸に這い上がって、無重力の影響から地に這いつくばる。それでも「やってやった」という空気が出せていたのが良かったと思う。

物語からの解放と無重力からの解放という部分がマッチしていて、美しい。その辺が本作の見どころだろう。

リアリティについてはよくわからないが、明らかに冷静では無いストーン女史と超冷静なお喋り男マットは対象的だった。スペインの監督だからお喋り男を肯定したかったのか分からないが・・・。とりあえず、道理を弁え過ぎだろう、と。反対にストーン博士はなぜ宇宙に来れたのか疑問なほど精神的に問題があると感じた。普通の人なら分かるが宇宙飛行士はその辺厳しい審査とかあるんじゃないか・・と。

また、幼稚園で転んで死んだ娘に対して依存し過ぎているように感じた。サラという娘を愛しているかどうかは兎も角、寄る辺にしてるのかなぁ、と。私的には死んでまで拘泥されるには4・5歳児は幼すぎると思う。他に自分に身寄りが無いということも関係しているのかもしれないが他人を生きる目的にする人の中には厄介な人がいるのだろう、と思う。

マットから離れて個人行動に移ってからの方が映画は面白かった。消化器に吹き飛ばされるというちょっと考えれば分かりそうなお約束をして「あちゃー」と思わせたが、あれは伏線だったんだなーとか。リアルドジっ子属性とか実写ではナンセンスだと思う。女の子って歳でも無いし。

中国語とか分かんねーし、って適当にやり始めた時は、もうギャグに入ってたような気がする。パラシュートの辺りとか、破片が飛んできて絶対絶命とかはやり過ぎかな。そこはもう死んでおけよ・・と。あの辺でこの人は生き残るんだろうなと察してしまう。所謂、主人公属性というやつである。

その辺、ところどころリアリティが崩壊している気がする。宇宙船の中で暴れたりとか・・・。まぁ、そういうのを置いておいても無重力の中というシチュエーションは面白いし、よく映像化できていた。

傑作とは言い難いが佳作だろう。宇宙空間における無重力系作品として見る価値はあった。