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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

治るとか勝手なことを言わないで

発達障害は治る病気だという人がたまにいるが、そういう人はまともな知識を持っていない

ダウン症が治るか、知的障害が治るか、というようなものである 発達障害という言葉尻だけで誤解している

人権がどうのという話で呼称を自閉症スペクトラムなどと分かりにくくした結果、

大した問題ではないと受け取られる結果を招くように思われる

発達障害が親の教育のせいだなどと、政治家連中が考えていた、というが、

当事者でもない無責任な他人のまともな知識のない発言なんてそんなものだ。

対処療法的に飲まされる抗鬱薬は、発達障害の治療薬ではない。そんなものは無い。

二次障害の鬱病、気分の低下を和らげはするが、他人との関係が上手く行くようになるとか、

認知の歪みがまともになって他の人と同じように活動できるようなことはない。

アルジャーノンに花束を」という映画があるがIQが上がっても多分本質的な異質さは解消されない。

この障害の治療を真面目に考えるなら、性同一性障害を薬で治せるかどうか、と考えるのと同じようなものだろうが、

そのように発達障害に関しても考えられているようには見えない。

表面上観察できる症状の対症療法としての薬では本質的な治療ができるようになるとは思えない。

にも拘わらず、「薬を飲んでるから大丈夫なんでしょ?」という人がざらにいる。支援者の中に、である。発達障害に対する抗精神薬なんてものは、末期がんの苦痛をモルヒネで軽減させるようなものだ、と言えば分かるだろうか。モルヒネは末期がんを一ミリたりとも消滅させたりはしないだろう。自浄作用で何時か回復する訳でもない。発達が遅れているからいつか追いつく、みたいな誤解を与える呼称だから、発達障害なんて言わず自閉症と言った方が良いと思う。正直、発達がどうこうはまるで関係ないと思う。五感のような受容器がそもそも狂っているのだろう。肉体的な物理的な異質さが体内にあるだと思う。構造的に。

抗鬱薬とか)それだって、慣れてしまえば苦痛が軽減されてるんだか何だか分からなくなる。環境は変わらないから鬱症状が治るなんてことは期待できないだろう。

そもそも、発達障害が異文化で悪いことではないと言いながら、治療できるの治るの、と言われる部分には私は眉を顰めざるを得ない。まぁ、建前と本音というやつなのだろうが、そういうのは本人のいない場所でやってほしい。正直、生まれる前に遺伝子的にどうこうすることはできるだろうが、後天的に治せる類のものではないと思っている。治療できるとか治るとか、人と同じように社交ができるとかいうのは「目の見えない人に頑張って目を凝らせ」というのに等しく、無理強いしてるのである。同じようにできる訳がない。同じ能力をまずもって求めてはいけない。

あなた方が推奨するように頑張ってコミュニケーションを取ろうとすれば積極奇異型になって煙たがれるだけだろう?それを分かって気遣いを強いられてるのは、健常者側ではなく障害者側である。コミュニケーションを取ろうとすれば酷い目に遭うので抑制するようになるが抑制するのは結構苦痛を伴う。そんなことをし続けていれば無気力になり、無感情になるかもしれない。カサンドラ症候群みたいな状態を招く気がするのだが。どうなのだろう。

しかし、私の読んだ本ではそういう状態が適応的だと書かれている訳である。よりよい状態だと。私からすればそんなのは厭世した結果だ。犬や猫は去勢した方が社会のためだというわけだ。

自発性を抑え込んでストレスを抱え込み、消極的にあろうとすることが良い適応だそうだ。二次障害の起こる確率は増えているはずだ。それが良い状態だというのは健常者に限って言えばそうだろう。我慢させられ続け爆発したところで私はそれを悪いとは思わない。自業自得である。障害者を人でなしだと思っているから、抑圧され続けるストレスに甘んじさせて、それが当然の歩み寄りだと言って軽視し迫害することに何ら罪悪感も痛痒も疑問も覚えない。

いじめを犯罪だと認識しないとか、体罰をしつけだと言い暴力として認識しないとか、そういう話で、グロテスクなことである。問題なのは、異常性に気づかないという異常性であろう。

異文化で悪いことでは無いにも関わらず、自分を抑え込み続けねばならず、コミュニケーションを取れ、みんなと仲良くしろ、明るく楽しくしろ、と逆のことを要請される。それは虐待じゃないのだろうか。それは二律背反な状況に置かれるということで、そりゃあ精神的におかしくなろう、というものである。そんな状況に普通で無くとも適応なんかできないはずだ。あなたたちは最大限の譲歩をしているそうだが。どこまでも健常者視点を譲らない。知らないから許されるとでも言うのだろうか。ま、言うのだ。表面のやさしさは偽善で金欲しさにやってることだから、他人への理解も努力もしたく無いだろう。そういう人と仲良くできるか、というと私は正直なので明言は避ける。

ハッキリ指摘することもあったが、だいたい私の頭がオカシイということになるのでやめた。相手は健常者だから頭はオカシクなくて、まともな対応をしていることに疑いが出るはずもないそうだ。だから、私は口を噤んで大人しくしていることにする。わざわざ軋轢を大きくしヘイトを稼ぎ居心地を悪くすることは無い。積極的で無いのと言われようが構うことは無い。口を開けばあなた方をうんざりさせるだけの常識のない狂言しか言わないのだから、黙っていた方が互いのためである。

要は、障害者の居場所であるという場所でも、郷によりては郷に従え、と常に言われるわけで。相手側はマジョリティなのだから、私の郷を理解する必要が無いそうだ。気に入らないならば出ていけ、そういうところばかりだ。勿論、やんわりと勧めてくれるわけだが。

生まれながらにして四面楚歌という状況に生涯甘んじ続けなければならない、そういう障害だろうと思う。死んだ方がマシだ、というのは正しい。

だからと言って、世界の全てを無視して、自分の世界に没頭できるほど、私は精神が図太くない。気になって仕方がないので集中なんて出来やしないのだ。