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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

道徳の話

義務教育が嫌い・苦痛・死にたくなる…。

 

それは不適応だから。自分には向いていないから。苦しいから。

あなたのせいでは無いと思う。

 

システムのせいである。

 

30名のクラスメイト。みんな同じ仲間だから協力して頑張れる。二人三脚や百足競争。足を引っ張るやつが悪い。足を引っ張るやつを袋叩きにする。

 

ついてこられない奴が悪い。努力が足りない。不細工。デブ。挙動不審。普通じゃ無い。虐められて当然。

 

こんな30名のクラスの中で今日も明日も私、生きてくの?「みんなに合わせろ」と周りは言う。私は合わせられない。お前が悪いと周りは言う。二人三脚。百足競争。何の意味があるの。一人一人違うのに。基準以下だと虐められる。

 

人間を工場の機械に入れたら、平らになって同じ形で出て来るかしら。

 

「みんな仲良くしましょうね」

 

「はい。無理です」

 

それが現実。互いに競争しあわせ、協調し合わせれば、仲良くはできなくなる。劣った人間は足手まといだ。足手まとい。足手まとい。足手まとい。足手まとい。足手まとい…。あんたなんかいなくていいのよ…。

 

そういう雑多な連中を行進させようとする。行進させたいなら、行進を強調してできる人間だけを残さねばならない。あとはクビ。左遷。排除。

 

排除された子は違う場所に回され、適当な場所で活用すりゃ良いんじゃないの。義務教育にはそういう流れる手段が無いからな。子供は窮屈な教育システムの被害者。

 

役立たずは陰口を叩かれる。靴に画鋲。ノートは隠される。シャーペンは取られる。流れられもせず、流れさせようと虐めの対象になる。ここは私の居場所じゃないのに出て行けない…。

 

ニートになるのは「親の愛情が足らなかったせい」という人が未だにいる。要するに「努力が足りなかったせい」である。努力。まぁ、努力なんて言葉に意味は無い。努力云々を抜いてしまえば、

 

親に「教育・解決の方法が分からなかった」ということである。ニートになる子には発達障害が多いと言われる。例えばその「教育の方法がわからなかった」それは知識と知能の問題。

 

それと、そうした対策は近年模索されてきたばかりで情報も少ない。解決方法の分からない未知の症状…とでも言うべき。それを親の愛情の一言で片づけるのは違う。解決手段が誰にも分からない問題から逃げて女のせいにしているだけ。

 

ニートは社会システムの中では、そうならざるを得ないような個人の特質を持っていたのだろう。そして彼らに対する問題への対処は後回しにされてきた。問題児の一括りにされて。自己責任で封じ込められ。

 

怠け者のレッテルを貼られ、生贄の羊役。あなたはこうならないでね…という見せしめ。当人には無意味であり悪影響だ。

 

買い手の決まらなかったペットのようだ…。可愛く無いから悪い。雑種だから悪い。愛想が無いから悪い。病気だから悪い。だから、お前は要らない子。

 

「家も学校も会社も友達も私なんか要らないんだってさ」

 

だから苦痛。孤独。不幸。つまらない。もう生きているのなんて嫌。

でも死ぬのはもっと嫌。…辛いよ。

 

「人生が怖いのよ…」

 

 「普通の人だけが人間」役立たずは「人に非ず」そういう健常者至上主義。特別階級の人たちの世界。私は人にあって人に非ず。だから、守られない。殺してもくれない。私はあなたと同じ人間じゃないから。

 

存在意義なんて無い。人間以下のアウトサイダー。犯罪者のように、普通の人の中に紛れている。迷惑な目障りな障害物。

 

ニートは普通の人のように社会で認められたいのだ。勝手にクズにしないで欲しいのだ。何の役にも立たないのは事実だが。社会にいても良いんじゃねと言って欲しい。

 

人間として認められて、教育を受けたい。本当の意味で自分の可能性を伸ばせる適当な教育を。