LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

孤独に堕す

孤独耐久度診断…というのをやってみたんですが、

 

「このウサギちゃんが!お前程度の耐久度では、孤独の波動に触れた瞬間に塵と化すわ!」(要約)と言われた。

 

うっ…(-_-;)

 

グサッと心に刺さった。「寂しい死ぬ。もう死ぬ」が口癖です。

 

発達障害者は会話についていけないので、どうしても集団から排除されるし、仕事も要領が悪いからどうしても集団から排除されるし、どうしても集団から排除されるし、どうしても集団から排除されるし…ENDLESS。

 

耳が悪くなった老人とかさ、孤独になりがちだろうな、と思う。祖母がね、電話を掛けるんですけど、耳が遠くて聴こえない、と。そうすると、だから迷惑でしょ、ってコミュニケーションの機会が減っちゃうわけですね。そうすると寂しくなってしまうでしょう。TVの音量を馬鹿みたいに上げて…。だから私は近寄れないし。

 

そういう風に周りから人が去って寂しくなっていく。友人も死ぬし。

 

私は最初から寂しい人生を送っている。前に書いたが。一人病院のベッドで外を見つめる難病患者と似たようなもの。青春は無く、人生は最初から消化試合。生きるも死ぬも同じ。どちらかと言えば、いない方が良い。鎖に繋がれた犬と同じ。

 

私はどこへでも行けるが、どこへも行けないのと同じである。水槽の中の魚と同じ。健常者に飼われている。檻に閉ざされている。狭い小さな窓。

 

高IQの人の集まるスレ、とかいう興味深いものを見つけて読んでみた。彼らがきちんと世の中に通用する自分で在ることが羨ましい。

 

疲れて来た(苦笑)エネルギーも無い。日々のエネルギーは、絶望した生活からは生まれない。生きる力は人生に希望と展望が持てないと自分の中に兆さないと思う。孤独な兎は深雪に埋まっている。

 

高IQスレは面白く、彼らは他人を上から見下ろす。観察している。彼らの脳は問題解決を優先するが、無意味な会話にストレスを感じるそうで。会話とはコミュニケーションであり生気を充足させる手段だったりするわけだが、その辺が分かっていない高IQもいるそうである。

 

EQという概念が出てきたが、これは心の理論である。発達障害はEQに障害を抱えているのではないか、という話を聞いたことがある。但し、私は発達障害は広範な脳の障害で、どこか一つに問題があるというよりは、全体的に障害を受けているのだろうと思う。

 

だから、勿論、EQの問題もあるだろう。発達障害者の視点を追うと、物への注視、見方が健常者とは違うという。見え方だけでは無いのだ。見方が違うから考え方も、考えの範囲も違う。

 

その想像力の形が発達障害のIQを下げていると思う。あるいは、EQに負の影響を与えている。志向性に問題を与える。

 

 …

 

「頑張る」は無意味。

「頑張る」だけでは無意味。

 

高IQの人が男脳・女脳について考える。女脳は感情的。共感して貰いたい。男脳は論理的。問題が解決できればOKだろ、と考える。

 

「頑張った」という言葉を「無意味」と一笑に付す。「努力」は意味の無い言葉と結果が出なかった人を一笑に付す。これは男脳的な考え。高IQにありがちなようだ。

 

一歩進めると「感情に配慮した方が上手く行く」ということが見えてくるようだ。相互の関係性とか。女性が優先することの重要性というか。なんだったかな…(笑)ぼんやりだ。

 

「頑張った」ということを全否定すれば相手は潰れる。無駄な努力ご苦労様、と。「こんなに頑張ってきたのに」という自分の努力を自分で否定すると「もう何をやっても僕はダメだ」という気になる…潰れる、というか。再起するような元気は出ない。だってエンジンを潰してるわけだから(苦笑)

 

「頑張った」こと自体は肯定してあげなければならないということだろうか。失敗を上手くフォローして軌道修正し成功体験に繋げるためには「頑張った」という時点を決して叩き潰すべきではない。

 

あくまでも操縦とか、頑張り以外のどこが間違っていたのか、足りなかったのか、等を検討しなければならない。

 

「行為を非難せず人格を非難する」みたいな話で。「それは違う」という対象を履き違えている。

 

何か一部の部品が壊れてるだけなのに「全部交換で」という流れ。自分に対しても他人に対してもそういう大雑把な考えをしてしまう。細かいことを考えるのは面倒臭い・テンポが悪い・時間が掛かる・小難しいことはわかんないし…etc。

 

「努力」は無味無臭である。だから、そこを非難するのは間違いなのだろう。そして、「頑張り」自体もやはり評価して貰いたい。共感して貰いたいわけである。自分の行為が無駄じゃなかった、と言って欲しい。

 

「料理を作っても何も言ってくれないから作り甲斐が無い」みたいな話で。「問題が解決されたならそれでいいじゃないか」という論理脳に対して「そういうことじゃないの」という「話を聴いてもらいたかっただけ」という感情脳が求める共感というのは、その辺の話だろう。

 

モチベーションとか、メンタルヘルス的な。正論厨(造語)に足りないのも、その辺への考え…EQ的な能力と言えるのではなかろうか。