私は優しい人間です。と言えるだろうか。言えない。
それは観測した結果の誰かの感想に他ならず、じゃあ、私は優しいから〇〇してあげる、とか言うのだろうか。そういう風に、人は自分の性格を行為に繋げたがるが、私にはそれはオカシイと思える。
再帰的で、あるいはマッチポンプのようだ。他人に優しくしてしまうのは、自分が何らかの理由からそうしたかった、だけであり、結果として「優しい」という評価をされてしまう。
そういう問題なのだ。だから、性格の形容は本質を捉えていない。結論ありきの統計みたいなもので、結果に合わせて都合の良い数字や式を持ち込んだだけの形骸である。
自分を形容しようとする際の視点と、事に当たろうとする際の自己の視点は異なるものであり、ベクトルが異なるのだから、正しく写し取れているとは思わない。