LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

オープンワールドRPG系の好き嫌い

スカイリム・ウィッチャー3・Horizon Zero Dawn…、ニーア・オートマタ、ゼルダの伝説(ブレス・オブ・ワイルド)辺りをプレイして思ったこと。

 

スカイリムやウィッチャー3はグロテスクな生物が敵として出てくるが、私はこれが苦手。Horizonやニーアは主に機械を相手とする。ゼルダはトゥーン化してある。リアル化・機械化・グロテスク化…とかあって、ワタシ的にはトゥーン化してあるのが良いかなぁ…と思った。

 

要は、ゼルダが一番灰汁が無かったというか、入り込みやすかった…か。人を殺したり、動物を殺したりすることも私は抵抗があると思った。まぁ、だから、倒した(殺しては居ない)という風に解せる描き方をして貰うと遊びやすいのかもしれない。

 

ニーア・オートマタは、ストーリー上の敵が、殆ど人型の機械生命体であるとか、自分たちは「アンドロイド」であるとか、人間のようでいて人間じゃないアピールをしているが、まぁ、人間にしか見えないので、グロい。

 

それとストーリーに突っ込んでおくと、主人公のアンドロイドは人間味が有りすぎるし、いや人間じゃん、と言っても良く、アンドロイドですよ感情とか飾りですよ、といったアピールが少なすぎるので、機械とアンドロイドと人間の境界を描きたかったのだとすれば、それぞれの設定にリアリティが無くなる訳である。つまり、それぞれの存在としての限界を線引して描かないと、ただの猫耳少女と変わらない「擬人化しただけ」の普通に人というフラットな世界にしかならないと私は思う。

 

つまり、各々変装した人間に依る人間劇に過ぎなくなる。とりあえず一周だけした感じでは私としてはアンドロイドはデータをバックアップしているため、エラーが生じても「巻き戻せる」ならば、涙する程の損失ではない、と普通に人でも思うと思う。

 

それに対するB2の人間的感情は人間味が有り過ぎる。そして、また機械生命体に対する「感情が無い」発言やアンドロイドに対する「感情が無い」発言にせよ、どう違うのか分かり難い。

 

まぁ、ニーア・オートマタの評価についてはアンドロイドの定義に依ると思う。機械生命体とアンドロイドの存在が=なのか、あるいはその他であるのか…。まぁ、何れにしても高度な機械は知性を持ちうるのか?という問いや、じゃあそこに命という概念を認めるのか、みたいな問題が提起され、じゃあ考えてみてよ、みたいな話なのかなぁ。

 

これは他に、自分の記憶すらもコピーしたクローンはその人であり得るか、みたいな問いも含んでいる。後半の9Sに対するb2の感情はそういった分別の問題では無いだろうか。けれども、ワープしている時点で、常に自分を複製していぅてるんじゃ…とか言う問いも、これはエミールが体現しているが…。

 

まぁ、そうした世界観で無慈悲に機械生命体を蹂躙し、装備を強化するためにその辺の無抵抗な鹿やイノシシを屠殺することにプレイヤーとしては気怠さを覚える。通常の人倫と比べて「ゲームだから」と言い切れない部分が、確実に自分にあって、殺すのも破壊するのにも抵抗を感じる。

 

特に、人と変わらない機械生命体を殺した際には、それなりに衝撃を受ける。まぁ、その辺りも作品のテーゼなのかもしれないのだが…。

 

Horizonの場合もやはり機械を倒すのはエゴによる部分、無責任な部分がある感じがした。襲ってくる機械は仕方無いとしても、やはり自分から壊すのは気が引けるかな、と思う。

 

現実に、猟師になりたいというような人も、猟友会に入っている人もいるだろうが、命を奪うという行為に対して、やはり私はあまり興奮を覚えない。では、まあスニーキングプレイをすれば良いんじゃないか、という話になり、それで良いような気もするのだが…。

 

とはいえ、良く考えてみるとゼルダが一番、罪もない動物を殺戮して回っている気がしてきた…。トカゲにカエルにカブトムシ…。