LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

テンプレとは学習されることである

なろうテンプレがどういうものか、ということを書いているなろう著者がいたりするが、私も一般的な「なろう感」というものを持っているため、同意出来ることも多い。

 

なろうを漁る日々で得られたものを考えると「なろうとは何か」という命題の答えが自分の中で形作られて行くことを感じる。

 

あるテーマについて自身の感想を抱きたいなら、そのテーマに関しての一定の理解が必要になる。それが無ければ、テーマに対して論説することは難しい。

 

例えば「ガンダム」について語りたい、なら少なくとも「ガンダム」がどのようなコンテンツなのか、実際に見る必要がある。私は「ガンダムウォー」というカードゲームで主に知った口である。それ以前ではプラモデルとかファミコンゲーム、プレイステーションのゲームなんかで「ガンダム」を知る機会があった。

 

そうした様々な媒体を通して得られた知識に基づき私は「ガンダム」というテーマに対して一定の論説する知識を有するに至ったわけである。

 

要するに何が言いたいかと言えば「なろう作品漁り」は「なろう理解」のスキルを伸ばす。別のジャンルにも「○○作品漁り」は「○○理解」のスキルを伸ばすだろう、ということである。

 

無理矢理な話だが、昨今、コロナにより教育が停滞しており、学力維持なり学力を高めたりだの、ということが障害されている世の中で、「自分の力で主体的に学ぶ」必要性が出てきた。けれど、基本的に日本の教育は受動的である、と言われる。

 

主体性とは何か、どうすれば主体的に学び得るのか…と考えた時、自分の持ち札の中から言えば「本を読む」ということが知識に結びつくと思う。「Dr.stone」を読めば理科系科目に対する興味が湧くかも知れない。

 

その中で、自分の中で語り得るだけの知識を得る方法が要するに「なろう漁り」みたいなことをすれば良い、という話だと私は思う。とにかく多くそのテーマの関連知識を蓄える。暇ならもうそれをやる、みたいに暇つぶしにでもやり続ける。そうするとある段階から、そのテーマに関するお約束やテンプレが見出だせるようになるかもしれない。

 

最終的にはそのテーマに対して自分なりの感想を言える、くらいの理解が得られるやもしれない。と、自分は思った、という話である。