LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

理解できないということを理解すること

同性愛に関して、理解できないということを理解した方が良い。

そういう感覚が分かるかどうか。

私が異性愛者だから同性愛を理解できない。

理解=共感として使われている…というか。

同性愛には共感できないということを理解した方が良い…か。

 

同性愛者に共感する必要性も共感できる必要も無い。同性愛者もまた共感して欲しいと言うかもしれないが、同性愛者自身が異性愛者の感覚に共感できないのと同様に、異性愛者もまた自分(同性愛者)の感覚を共感できないのだ、と理解してみてはどうか。

 

「忌避感情」や「理解できない感情」が分かり易いから例として同性愛を使っただけである。

 

発達障害者の自分としては自分の障害に関して理解できていないということが理解できていない、と思う。だから自分自身も「克服」や「治療」と言うし「変わりたい」「変えたい」と言う。

 

けれど、問題があっても「変えられない」という程度は同性愛と同じ程度では無いかと思う。異性愛者は同性愛を「変えられないもの」として理解しているが、発達障害について「変えられないもの」と見做さず「治療」の対象にし続けている。

 

その態度の別れ方は健常者や社会の都合であり、同性愛者や発達障害者の都合では無いのだ、ということ。

 

だから「変わりたい」「変えたい」という発達障害者を私は可哀想に思う。同性愛者が「変わりたい」「変えたい」というのと同様である。

 

本来そこに境界は無いという意味である。本来、受容されるべきものが否定されているという話である。

 

自身の容貌を嫌うように。脳がこれじゃ嫌だと嫌う。同性愛者は「発達障害と同じにするな」と言うかもしれないが…。

 

 同性愛者を異性愛者にしよう、とか、なれ、というような「治療」が、発達障害者にも同様に強いられているという現実がある気がする。

 

それは治療という言葉が誤解されているからだと思う。一方で発達障害の「障害」を「治療しよう」と試みている分野もあるからだろうと思うが…。

 

「引きこもり」を認めず、社会で労働できるように発達障害を「治療」しなければならない。それは強制労働と言わないのかな、と思うわけである。基本的にやっていることは戦争中、ストレス緩和のために兵士に麻薬を投薬するみたいな話と同じわけで。

 

働かなければ投薬はいらないという人もいるわけで。知り合いには、薬を飲みながら何とか働いているという人がいる、そんな状態でも働かなければならないということが「当然」みたいなノリがあるわけである。 

 

きっと健常者たちは、そういった現実を批判されて初めて「俺もそう思ってた…」とか言い出すわけである。彼らは自分からは言い出せないし、言わない。そして空気に同調して問題視さえしていないかもしれない。言われて初めてそんな気がしてくる。

 

薬飲まなくてもいい自由みたいなものが欲しいな、と思う。精神物質が健常者と同じくらい出ていないとダメらしい。要するに健常者と同じ脳じゃないと働けないと生きていてはダメなのだ(-_-)不規則な生活を送る自由も無いから眠剤も飲まないといけない。

 

働かなければこの脳でも私は生きていけるが、それではダメだから、脳味噌を変えなければならない。

 

というのが発達障害者の置かれた状況であり、したがって「治療」の対象にされてしまう。世の中は、そこまでして誰でも働かせたいらしい(´・ω・`)

 

同性愛者に置き換えれば、治療をしてでもみんなが子孫を残さなければいけないから異性愛者にならなければならない、みたいな理屈である。

 

目が見えない人は見えるようになることが幸福である、みたいな。健常者がデフォルトだと思ってるからそういう理屈になるわけで。少なくとも先天的な障害者は障害者であることがデフォルトだと思う。

 

そこに社会の都合(不都合)が合わさって加味された結果、障害者はこのままが良い、と言っても排除や治療の対象になってしまうわけである。

 

結合双生児にも同様の問題が見られた。健常者は健常者の自分こそ正しいという感覚から、彼らが切り離されるのが幸福だと考えるわけである。

 

私的には生物のデフォルトはモンテカルロ法のようなものだと思う。総当たり方式。結果的に淘汰の理屈でその環境に強い安定した生物が生き残ってきただけ。健常者というのは地球のこの環境において安定して生き残ってこられた人の遺伝子配列であるだけ。

 

だから、マイノリティが生きて行くのに向いていなかったからと言って、だからこそ健常者こそ正しい人の形と主張することが正しいわけではない。勿論、だからマイノリティが正しいわけでも無い。

 

生物にこれこそが正しい形なんてものは無い。だから、現在の健常者の形を宛てにして、正しく無いものを人工的に淘汰するというやり方は当てにならない。

 

とは言え、多様性が何でも正しいとは私は思わないが。多様性というのは淘汰される前提であって何でも生き残れるわけでは無い。どちらかというと死を前提にしている。

 

人工的な淘汰というのは積極的な遺伝子組み換えみたいな話である。ブリーディングであって恣意的で何らかの問題を抱え込みやすい。そして、最早、優生学ですら無くなる。優生なものを自ら作ろうとするスタイルだろう。人工知能に怯えるように自分より優れた人間に怯えるというスタイルである(´・ω・`;)

 

そうなると最早それは人工人間である。

 

結局のところ、死ぬことを前提にして生物は生まれてくるのだから、それに対して正しいの正しく無いのと言ったところで仕方ないのである。社会的な正義の話、以上のものにはならない。

 

だから、発達障害者を「治療」してまで働かせたいという社会のあり方は、それを現代社会が是としているという話にしかならないのだろう…。社会的な問題に苦しんでいても生物的に「治療」されなくてはならないという問題である(´・ω・`)

 

敬虔なキリスト教徒であれば拒否りそうな問題である。

 

「ブスに人権は無い整形しろ」→「ブスにも人権はある!」

 

みたいな。発達障害者は積極的に「治療」される(´・ω・`)

 

→「ブスですね。見苦しいので整形しましょう」

 

という感じのノリである。

 

勿論「先生、私、ブスなのが辛いです…」と訴えるわけだが。まぁ、だから社会で辛く無いように整形されてしまうわけなのだろうが…。

 

社会の側で融通を利かせて貰える範囲が狭いというか、言われているのは「狭くなった」という感じだろうか。

 

 

逆に考えると

アニメで表現が規制され、グロい表現がモザイクで隠されたりする。

そうすると、私にとってはそのアニメを楽しめるようになる可能性がある。

 

と考えることもできる。

 

規制が無い方が良いという人もいるが、グロ表現については私は規制して欲しい派であり、そうすると私もついていけたりする。

 

一方、AV等、モザイクは要らない派である。但し、これも私は要らない派だが、逆に…という人もいるのでは無いだろうか。

 

 

性格が精神医学に分解されていく

昔、性格と言われていたもの、人格と言われていたものが、精神医学によって障害に分類され類型化されていく。整理されていく。

 

発達障害者は自分の人格や性格と思っていたものが「症状」に過ぎなかったことを知る。隣の人も隣の人も同じ性格と同じ生き難さを同じように持っていたのだと愕然とする…。

 

私は思うのだが、自己肯定するために「自分は自分でいて良い」と受け入れるのではなく、自分の「脳はこのような認知をする」と客観的に事実を受け止めていく方が上手くいくのではないか…と。

 

「障害」と分類された性質は治療の対象になり人格から切り離されて処分されようとする。自分の問題として乗り越えようとする場合も、受け入れようとする場合も、それは越えられるか越えられない障害に過ぎず、髪や爪のように自己自身でありつつも同時に自分では無いものである。

 

整形を可とするか不可とするか、の問題と同じく、自分であると同時に自分では無い問題である。

 

脳の問題も同様に感じる。変えようが無いものとして受容するか、変えられるものとして変更するか。要するに「デブだから痩せろ」というように「脳が不細工だから変えろ」と言われている訳である。「顔がブスだから変えろ」と言われているのと同様に。「右利きを左利きに矯正しろ」と言われている訳である。

 

医療倫理的な問題として議論されるんだろうけど(´・ω・`;)まぁ、論壇の場所も知らないのです。

 

例えば自分に暴力性がある場合、短気ですぐキレるヤツだったら、悪い脳だから改造しちゃいましょうね(>_<)と注射を打たれる。

 

まぁ、そういう感じである。その時に、脳=自分自身である、と思うと自己承認に都合が悪いわけで。自分≠脳。この考えは理解し難いかもしれないが…。でもみんな割とダイエット感覚でやっているような気もする。

 

発達障害も脳の不具合に関して、自分の体形のように客観化する必要があると感じている。これは更に突き詰めると、整形とか臓器の入れ替えとか、首から下を肉体を挿げ替えて…とかそういう話にイッてしまいそうだが…(*ノωノ)

 

まぁ、脳の問題はもう割と聖域ですよね(´・ω・`)結局、幾つかは「チェンジで」って言われてしまう現状があると思う。それはでもやっぱりその人にとっては自己否定的なんだろうなと思う。

 

まぁ、だから脳さえ客観化してデザインすることを最終的に肯定せざるを得ない気がする。要するに『風の谷のナウシカ』のバッドエンドを肯定する形というか。「少なくとも争わない程度の人間になれよ」ってことだと思うし( 一一)それは最悪、脳味噌弄ってでも。

 

それが民主主義だからね…(*ノωノ)ちょっと整形する人の気持ちは分かりますよ。私は脳味噌入れ替えろって言われてるんだから…(苦笑)でなければ死ねと言われたら?タバコは殆どの人が辞めたけど。

 

だから自分の死と引き換えたら、それを変えられるのか、という話ですよね。トカゲの尻尾みたいな。整形は要するに、そのくらい、その人にとっては人生の全てを左右してしまうくらいの障害なんでしょうね…。もしかすると( 一一)外見をどの程度自分が守りたいかにもよるけど。

 

要するに自分の脳を安く見積もっているのなら、その程度の価値で変えてしまえるんだろう、という話で。私の脳味噌は高いので。命の値段ですよ。下手すると。

 

そういう感じ。

 

 

発達障害者の生きる現実のキツさを表している秀逸な記事だと思う

さっきまで笑顔で話してた人が,あまりのドジっぷりに段々よそよそしくなっていくのが辛い…『ADHDとの関係における健常者の表情の推移と過程』 : 凹凸ちゃんねる〜発達障害・人格障害・生きにくい人のまとめブログ〜

 

この記事のAAが、発達障害だと大抵そうなるというテンプレですね…。トラウマが刺激されると書いている人がいるが(苦笑)

 

発達障害はコミュニケーションの障害といわれているが、実際は労働の要領も悪いドジッ子属性も付いてくる。仕事できる発達障害者も中にはいる、というのは健常者にも医者や弁護士がいるというレベルの話。

 

ビジネスの場では特に足を引っ張る行為によってAAの末路を辿る。義務教育の場でも、やはり運動会とか定期的な集団行動行事の結果、AAの末路を辿る。

 

友人付き合いでも「信頼を失う」というか「失望される」。「キャッチボール(会話)しようぜ!」と声を掛けてくれても「キャッチボール(会話)絶望的に不得意なんだよね」ということ。

 

ちなみにスポーツのキャッチボールも無理です。ボールを目で追えないので顔面にクリティカルヒットする(笑)

 

運動音痴も付属するし、あと難聴系主人公みたいな「えっ?何か言った?」状態。これは聴覚処理障害というものかもしれない。同時に建前と本音が分からない、相手の感情が表情から読めない。というのもデフォルトなので勿論、重なる。

 

だから、怒っている同僚に「え?何か言った?」と難聴系の返しをするわけで結果はお察しである。優しい人でも裏に呼んで「少しお話しようか?」となるわけである。勿論、彼は健常者の私に向けてなるべく傷つけないように苦言を呈し諭してくれるのである。

 

それでも障害ゆえに治るものでは無いので遂には「信頼を失う」ことになる。あるいは障害を理解した上での「可哀想な人なんだね…」という介護プレイである(´・ω・`)

 

無論、彼らは私を抜いた全員でLINEで繋がり飲み会をし、宅飲みをし、旅行へ行き、結婚式をし、裏で交友を温めるわけだが。

 

SNS?私誘われてないんだけど…」

 

(´・ω・`)「えっ、何の話ダロウ?」

 

そして、私を抜いた謎の連帯が生まれ、信頼関係が育まれ、私は彼らの結束を高めるための出汁に使われているというスタイルである。

 

何だろう、人間の尊厳的な意味で許せなくなる私が悪いのだろうか。この状況に人間として耐え難さを感じてはいけず、私を気遣ってくれることに対して感謝の笑顔を向けなくてはならないのか。私はそんなの気づいていないフリを続けなくてはならない。

 

仮に誘われたとしても私は行かない。そうした場面で上手く振舞うことが難しいからである。だから選択の余地も無いのだ。健常者はそこに反対意見を唱えるかもしれない。いや、唱えるだろう。それは「行けよ」と。

 

だが、職場で既に私に気を遣っている彼らのプライベートにまで私が付いて行って、彼らはそれを許せるのか?それは言わば「健常者の集い」である。例えば飲み会の無礼講の場に私がいることは相応しく無いと私は感じる。その罪悪感故に行きたくないし、かといって、仲間外れになっていくであろうことも同時に理解している。逆に行ったとしてもAA的な絆ブレイクへの秒読み段階の歩みを止めることは出来ないと感じる。

 

何れにせよ、実際に試してみたことはあるのである。無論、私以外にも。でなければ「あるある」にはならない。

 

会話というコミュニケーション手段では参加したところで私は相手の重荷にしかならない。「複数人以上の会話に入れない」という話があったが、入れないから「狸の置物」くらいにしかならないのである。

 

4人で道を歩いていて、

〇〇〇

●←私

 

になる、という書き込みがあったが、全く同意する。

飲み会においても、何においても集団ではそうなると思ってくれて良いのでは無いだろうか。

 

参加しても苦痛。参加しなくても苦痛という有様。

 

「前門の虎後門の狼」という状況である。そして友達も恋人も家族もいない状況を思い描いて欲しい。独居老人のように(´・ω・`)まぁ思えば10歳満たない頃から、物心ついた頃からそんな感じだったが。

 

それでも、スキソイドパーソナリティというわけでも無いので、人恋しさを感じる。「それはただの性欲?」…私には分からないが。

 

私は特に何もして来なかったのだが…(>_<)

 

それが悪いと思う?

 

努力が足りなかった…とか?

 

健常者は自分が他人と話すために何か特別な教育を受けた、特別な努力をしてきた、と?

 

みんなは母国語で話すために私の知らない特別な訓練をどこかで夜な夜な積んでいた?私は一応、狼少年では無いので。それなりに人と関わろうとしてきたはずである。識字率のように会話をするには特別な授業があったのだろうか…。

 

ちなみに、難聴の人でさえ私との対話には違和感を抱くようだ。

 

発達障害者の問題は「分からないことが分からない」ということである。

 

まぁ、自分がなぜ孤独なのかも分からないし、にも拘らず、

砂漠でオアシスを前に「待て」を命じられた状態で死ぬまで生きろと言われるわけである。

 

この状況で「狂わずに正気を保ち人生を最後まで(自殺せずに)生きられるのだろうか…」私はそう自問自答する。発達障害は二次障害が多く、鬱病になりやすい。ブログで見た数字だが、およそ半分が鬱病を発症するそうだ。

 

自殺の確率は健常者の9倍。境界性人格障害や反社会性パーソナリティ障害、自己愛性パーソナリティ障害、愛着障害との関連もあるとか。

 

前述したような社会的状況にずっと身を晒され続ければ、私も気づかない間に人格が破綻していくのではないかというような気がする…。いや、既に狂っているのかもしれない…とすら思う。

 

どこからが障害で、どこからがその結果なのか…。

 

私は最初のリンクのAAが殆どだと信じられるし、健常者には恐らく信じられない。私は健常者をそう理解するし、大半の健常者がAAが私たちにとっての社会なのだと理解できないだろうということも理解している。

 

そのAAを見て健常者は「みんなそんなもんだよ」と言うだろうか。だとしたらその社会ではやはり私はギブアップである。

 

 勿論、上手くやれている発達障害者もいるらしいが、私はそうではないという話で。「人それぞれ?」…ふむ。とは言え…健常者の半分は鬱病なのだろうか(*ノωノ)私はその数値に引くけど。

 

犬猫だってそんなに鬱じゃないだろう…(´・ω・`)

 

 

自分の文章を読んでいるとコイツ自閉症だなと思う

タイトルに意味は無く、雑感ですが(苦笑)

 

要するに、記憶の目立つ部分だけしか目に入らないから、話が飛ぶんですね。普通の人は時系列に論理を一つずつ進めて秩序立った文章を書く。相手に分かるように。

 

A=B

B=C

したがって、A=C

 

的なね。それが

 

A=B

だから、A=Cでしょ

 

みたいに飛ぶ。自称高IQの人がだからIQの低い人と会話が成り立たないと言っていたけれど、多分、発達障害を併発してると思う。自分にとって重要な部分だけしか意識が見られないから論理が飛ばざるを得ない。もうB=Cのこと、見えてないから。

 

高IQほど、発達障害系の問題を疑わないといけない。

けど、自閉症は自分の問題に気づかないという特性も持っている。

頭の回転が速いから飛ばしちゃうんだよ。凡人とはスピードが違うからね、とか言っちゃう(>_<)

 

だから、高IQでも自分が自閉症だと気づかない。なまじ、現実に無理矢理でも他人を見下しても適応できているから「これが健常者でしょ」と思う。

 

ギフテッドはそういう人が恐らく多い。何というか、言語IQ150だから自分はメイサでギフテッドで…云々という人がいるけれど、発達障害を併発していて、天才と思い込んでいるだけの単に偏ってる障害者もいるな…と思う。

 

その発達障害的性質を「私は頭が良過ぎるから凡人には私の気持ちが分からないのだ」ということにしている的な(苦笑)

 

彼に欠けているのは発達障害という知識や認識。「適応できてるなら障害じゃない」という人がいるけど「熊本で地震が起きても、私は関東にいるから影響無いし、地震なんて無かった」みたいな話でしょ(笑)

 

障害の定義から言えば、そうなんだけど「存在する」という事実が「じゃない」という文法で打ち消されて、誤魔化されるよなと思う。

 

行ったことも見たことも無いから「宇宙なんて無い」的な話で。健常者がこういう問題をどう捉えているか分からないんだけど、私は自分の目に入らないものは「無い」から(>_<)

 

宇宙?何それ?って思うんだよね。それが自閉症の認知の障害らしいんだけど。時間の感覚が無いのは、その理屈で理解できる。時計から目を逸らした瞬間、時計の存在を忘れるから(苦笑)ADHDのビデオでそんな感じの場面があったんだけど。

 

健常者はある程度、そういうものを仮止めして留めておけるんだと思う。

 

…この辺で私って自閉症じゃん、と思う。ギフテッドの話だったじゃん、みたいな(/・ω・)/気が逸れて話題が飛ぶわけですね(苦笑)

 

IQ150とかになるのは、多分、偏るから、そうなるんだと思う。WAISというテストでは言語IQや動作性IQという風にIQでも幾つかに分けられてるんだけど健常者のIQは平均的だけど、発達障害者は凸凹になる。

 

じゃあ仮にIQ150だとしたら健常者は他のIQも150近く無いといけないわけで…(´・ω・`)

 

発達障害は言語IQ150でも動作100でも良いけど。全部IQ150とかになる人は、きっと少ないと思う。そうすると否応なく天才のIQは凸凹型になるし発達障害を持つでしょ。

 

まぁ、仮にIQ全て150の天才がいるとしても、それは、かなり希少だと思う。だから特定のIQが矢鱈高いだけの中途半端に天才という人が結構存在していると思う。

 

IQ200云々とか天元突破してる人はほぼ確実に凹凸あるんじゃない…(´・ω・`;)いや、印象論なんだけども。

 

だから健常者のIQの限界みたいのは発達障害者より低めだけど、その方が論理破綻しないし、まともなんじゃ無いかと思ったり。

 

ちなみに発達障害の子供に対する理解は女性の方が優れているような気がする。ブログを読んでいて。要するに母親だけど。男性はどうしても現実的に適応させようとする見方をする。その過程で子供に無理を強いる傾向がある気もする。

 

母親の方が社会の側の問題を社会の側の問題として指摘している気がする。男性の側は社会は変わらないという前提があって、その上でどうにかしようとするので、つまり社会が正しい的な考えに振れやすくもなる。

 

みたいな印象を受けた。結果として問題解決能力の高い女性が何となく優秀な印象を受ける。健常者のね(´・ω・`)

 

 

 

愛とは何だ…

あれ…発達障害って他人を愛せないから、愛されない障害だっけ…と思って調べたんですが、

 

発達障害の子供を愛せません…

 

という親の記事ばかりでした(>_<)

えーっと、みんな他人のこと愛せない感じ?みたいなノリで調べたんだけどな…(汗)第一に愛されてなかった(>_<)

 

まぁ、暴力傾向のある自閉症…って感じかな。多いのは。それで愛せないし、嫌いだし、無理だし…みたいな。小さい頃から療育通わせるとか精神科の専門家と連携するとかしないとね。一人で抱え込むのは無理かもね…。

 

ただTVの乱暴な引きこもり解放軍みたいのはダメですよ^^;せめて精神科医に相談しましょうよ。役所とか。障害者窓口的な。たらい回しになるかもしれませんが、最終的にどこに相談すべきかくらいは知ることができるかと。

 

変なところに引っかかるのも怖いけど、家族とか一人だけで抱え込むのは良く無い。そういう事件あったじゃないですか。娘の暴力に耐えかねて、高齢の親が娘を殺してしまったという事件。自閉症統合失調症か分からないけど。暴力的な傾向がある人への対応がやっぱ難しいみたいですよね…。

 

まぁ、どの年代にしても「暴力傾向のある人」に対する対応が一番苦慮するのだろうけど…。

 

私も障害者支援施設を探した時に「暴力を振るってしまう人は無理です」って事前の注意書きにあって。じゃあ、暴力傾向のある人は門前払いされてどこに行くんだろう…と思いましたし。

 

前に書いたのですが、兄弟に暴力傾向のある人がいて、そういう人はどうするんだろうな~と思ったり。兄弟にそういう人がいると、やっぱり家族はその人を嫌うらしいですね(苦笑)私も無理だったし、今でも古傷が残ってるんですが(笑)

 

で母親がその子を愛せないみたいなのが多くて、愛せない自分は悪いヤツだ、みたいな。ネットで。でも重要なのは愛じゃなくて行為なので。療育とか、教育とか、精神科とか、見捨てずにそういう手を尽くしてくれることかな…と思う。

 

昔はどうしていいか分からないから家の中でネグレクトにしたわけですよ。仕方ないから。それでここまで面倒見てやったんだから大人になったお前の責任、みたいな。その結果の引きこもりみたいな、成人発達障害者は多いと思う。

 

私のとこもそう。父親も母親もそういう気質があるのか分からないけど、教育の責任の押し付け合いと時間稼ぎ。どうしようもないから時間が解決してくれる。目と耳を閉じてれば。的な。学校も児童相談所も役に立たないし(/・ω・)/診断は見逃されるし。恐らく兄弟全員見逃されただろう(笑)

 

だから、重要なのは「子供の教育機会を色んな意味で喪失させない」ってことですよ。不登校で10歳から20歳まで部屋の中で放置とか、その子の将来に対して、どれだけの喪失かという話(>_<)愛情云々ではなくて、八方手を尽くすくらいはして欲しい。ググるくらいしたら(笑)

 

私の親とか、たらい回しにされたら一度で一つの場所でもう全て諦める的な(*ノωノ)それで自分はもう十分何かやったつもりになってるんですよ…。生活保護窓口で一度断られたからもう自分死ぬしかないわ…みたいなノリ。子供のこと、他人事だからって諦めるの早すぎでしょ。

 

親はね。仕事が忙しい、俺だって苦労している、と言って放置ですよ。愛情はあったと言われても、それじゃダメだね。なら愛情無くても頭使えよ。手動かせよ。人に相談しろよ。情報を集めろよ。ATMで良いから放っておけ?そんな人間が子供作るな(/・ω・)/

 

まぁ、親自身が本人は否定するだろうが発達障害系の人だったんだろうなと思うし、特性を考えるとよくやった方なのかなとも思いますよ。子供の抱えた問題が当時は特殊で、親たちのキャパシティ越えた問題だった…というだけの話。

 

四人の子供を抱えて自営業で一家心中したシングルマザーの人がいたけれども、その状況でネグレクトしてると言われても、実際キツイじゃないですか。物理的に…(苦笑)そして、一人で抱え込んでしまう人間性というか器だったんでしょ。

 

何というか『ぷよぷよ』でお邪魔ぷよがもう逆転の余地も無いほど詰みあがってしまってる現実が気づいたらそこにあった…みたいな。タイムリープ系の世界なら「せめて子供は一人だけにしておけ」みたいな忠告をしに私は過去へ行かなきゃいけないと思う。できるなら子供自体辞めて置け、お前の遺伝子では無茶だとジョン・タイターを名乗って投書するわ…(´・ω・`)

 

何度繰り返せばあの人たちは諦めてくれるだろうか…。

 

私大の奨学金じゃないけどさ、放っておいたら、そういうタイミングで勝手に詰むまで自分から負債を積み上げちゃうんですよ…(>_<)

 

そうなる前に相談して(>_<)と言っても無理なんだろうな…みたいな。

 

今の女性の立場を考えたらさ、子供は何人が良いから、一気に何人作ってから共働きじゃないと将来アレだし仕事に復帰して…。で何人か作ったらあとで皆障害児でした…みたいなオチ。

 

一人暮らしで一気に家具入れる的な感覚で…。

 

社会復帰とか人生計画とかスムーズにいく前提でやるから躓く可能性とか微塵も考えて無かったと思うんですよね。ポーカーで全額賭けちゃうみたいな。

 

で一寸先は闇でした…みたいな。知能低い人ほど、こういうことをして、奈落に落ちる。

 

私はこんなに頑張ったの!…そうですね。頑張り、努力なんて結果が出なければ意味が無いんです。エネルギーの無駄です。それどころか赤字なんで。

 

親の頑張りに凄く哀れだと思うし、同情するし、悲しいと思うし、涙を禁じ得ないけど。あれもこれも全部無駄だったね…。

 

愛も同じ。頑張る。努力。そういう言葉と同じ。世間的なイメージは気合入れればスーパーサイヤ人になれる的なイメージでしょ。

 

病院へ行け。役所へ行け。発達障害者支援センターとかに行け。ググって本を読め。勉強しろ。相談しろ。他人のアドバイスをよく聞きよく考えろ…子供を理解しようと努めよ。愛は基本的にそういうことのために消費するエネルギーだから(>_<)

 

百度参りして「私は子供のためによくやった。やりきった…」とか自己完結、自己満足するためのものじゃないんだよ。神に祈るのは人事を尽くしてから好きなだけやれば良いと思う(>_<)

 

それで結果に繋がらなかったなら私もそれが君の限界だ…と褒めて遣わすよ。慰めてやるよ。けど基本、月9見てルーチンの日常を繰り返していただけじゃん(>_<)問題は振り向かなければ無いんだ!みたいな感じで。それで

 

…20年後

 

とかだろ。…愛を語るなら放置はダメだ。それは最早子育てじゃない。植物じゃないんだよ人間は(´・ω・`)実際、白骨化してた事件があったけど…(汗)

 

共倒れしろ、と言ってるわけじゃない。何も行動を起こせずに、本の一冊も読まずに、精神科とかへも行かずに、役所とかに相談もせずに、放置か共倒れしか選択肢が無いのはおかしいと言ってるの(>_<)

 

それは「見捨てない」ってことじゃないでしょ…(*ノωノ)ま、行き詰っちゃってるんだよね。家族の誰も問題解決能力が足りないから。引きこもりもそうなんだけど、現実の問題を解決できると思えないから行き詰って動けなくなっちゃうんだなぁ…。

 

例えば「仕事しろ」って言っても、職場で「切れて」暴力事件を起こすとか。そういう自分が耐えられない問題が社会にあって「働けない」。引きこもるしかない。そういう結論しか自分では見出せないから、投了するしかない。家族全体でそういう結論しか出せないならせめて「共倒れ」にしかならない。「見捨てる」か。

 

「文殊の知恵」ってのは誰かが問題解決能力を持っていると期待してるとかね…。持ってない場合には何人いても解決できない。

 

発達障害の問題って、そういう印象だな。私はね。日本の不況みたいに誰にも出口が見えないのに「なんとかしろ」ってせっつかれるわけさ…(*ノωノ)「母親だろ。なら何とかしろ」みたいな。

 

ISILの戦争なんとかしてこいよ、みたいな。アメリカよ、お前らの責任だろ、みたいな(>_<)

 

ダウン症でも知的障害でも親は似たような問題を抱える。でお手上げになって「共倒れ」か「見捨てる」。虐待して殺すとか…(/・ω・)/とにかくお前がいなければ全て上手くいっていたんだよ!とか悪役的な台詞を吐きながらね…。

 

もうとにかくね、問題解決の手段が自力じゃ分からないわけさ。そして、そいつを切り離せば自分だけは助かるという状況なわけで。なら切り離すでしょ。全部解決ですよ。

 

だから、当事者は兎も角、両親はね、被害者感情があるわけで。老老介護で旦那さんが奥さんに介護されていて虐待されてたそうなんですが、旦那さんは昔、奥さんが辛い時期に不倫ばかりしていた、という。そういう被害者感情が憎しみに転嫁され憎悪や虐待に繋がる…と。

 

まぁ、だから母親が子供を「愛せない」と言うんだろうな。憎んでさえいるわけですよ。ギフテッドのブログでその人は母親から憎悪ばかり向けられた…というんですが、一応社会に適応できた天才ですらそれですよ…気味が悪いってんで(>_<)

 

私は当事者なので「産んだのお前だろ」「お前の遺伝子だろ」「お前の過失だろ」と思うけど(苦笑)だって、傍から見たら障害児に生まれない確率の方が低いんだから。見事。全員障害者。やったね!

 

当時は恐らくそういう情報は知り得ないんですけどね。

 

今「タバコ吸うやつが悪い」みたいなのと同じですよ。1990年代はタバコが悪という風潮はまだ弱くて、嫌煙者が悪いみたいな風潮さえあったと思う。私は発達障害じゃなくともこんなヤニだらけの社会じゃ生きていけないと思ったもん。タバコの吸い殻もそこら中に凄い落ちてたんですよ。

 

だから今の世界しか知らない人は、タバコ肯定派の考えは分からないと思う。私は昔から禁煙者は滅びろと思ってたけどね。飲み会の慣習みたいのもそのうち廃れると思う。

 

アルコールとか。というか滅びろと思ってるんだけどね。飲み会やアルコールは。酒(ビール)が地球上から無くなるとは思わないけど、みんな酒飲まなきゃダメ的なのは廃れると思うんだけどな。

 

タバコの話と同じように私も親を今の私から見た感覚でバッシングするのは正しく無いんだろうと思う。それって現代知識無双だからね(苦笑)

 

ジカ熱とかでも産んじゃう人は産んじゃうんだろうな…とか。それで生まれた子供は親を憎んで良いのか。母親は生まれた障害児を恨んで良いのか…(´・ω・`)

 

愛せ、とは言わないけどさ。死んで詫びろ、とも言わないけども。例えば、暴力が酷くて…とかでね。DVに耐えちゃう人いるでしょ。私のせいなんだから…みたいな。なら施設に閉じ込めても仕方ないかな…とも思うし。

 

まぁ、憎悪してる間が不幸だよね。私も昔のことが結構、夢でフラッシュバックするんだけど。夢から醒めて最悪ですよ(苦笑)別に幸せじゃ無くても良いですよ。何も無い平穏な将来が微妙に不安で特にすることもないような代わり映えしない一日でも。

 

ただ他人を一日中、憎悪してるとかさ…。呪ってるとかさ。PTSDで悪い記憶思い出し続けてるとかさ…。そういうのはその時間ずっと不幸だし苦痛なんですよね。そういう意味で私は他人を憎しむのは自分を不幸にするだけだと思う。疲れるし。

 

ルサンチマンを原動力に生きている人もいる…という話では、憎悪感情に縋らざるを得ない事情がある人もいるんだろうけどね。昔は私も親を憎悪したこともあったし、嫌悪していて、今は疲れたし忘れるか…って感じですね。

 

関わらないのが一番いいや、と思って。関わらざるを得ないときに、じゃあどうなるのか…という。

 

炎上に加担するのは子供を持った親的な話を聞いたけど、まぁ、その辺の話と関わる気がしないでもない。憎悪というエネルギーを怒りという形で発散すると、その時に快の感情が観測されるのかもしれない。開放感的な。私は怒り方とか知らないですけどね(笑)

 

悪口や陰口は自然的に発生しますよね。原理が分からないけれども。何が楽しいのか分からないけれど、人が集まると、悪口大会が始まったりする。それによって何か得るものがあるんでしょうね( ..)φメモメモ

 

そういうのは嫌悪的な感情を生贄にしているような…(´・ω・`)

 

 

 

所詮、自分を犬と思っている猫に過ぎぬ

リア充コンプというか、健常者コンプというかね。

発達障害者やグレーゾーンにいる人とか、マイノリティは。

 

「定型発達者」「一般人」そういう書き方は「障碍者」と書くのと同じお為ごかし。どちらかというと、発達障害者自身に対して「障害者」という言い訳を封じさせてしまう気がする。そうすると自己責任みたいな話になり易い、と危惧する。

 

発達障害者は自分を「健常者」だと思い込み「健常者」の振りをし「健常者」の演技を求められ「健常者」の理想を理想とする。だから「左利きなのに右手で書くことを強いられる」みたいな状況にさせられているのに自分ではそれに気づけない。だから無駄に苦しむのである。魚が自ら陸に上がって苦しむのと同じように。魚にはその原因が分からない。

 

自分が発達障害だと分かって尚、健常者の夢を見ている。「リア充になりたい」と思っている。友達が欲しい。恋人が欲しい。結婚したい。そのイメージは健常者が思い描いたイメージであり、健常者にとっての夢であって、発達障害者向きでは無い。

 

黒人が「白人になりたい」という場合、白人の理想や夢を自分の理想や夢と履き違えているのである。健常者と発達障害者の場合、見た目にも分かり難いので、それを看破し難い。

 

ゲイである場合、男性の尻にツッコんで性行為をするのは、健常者の性行のイメージを重ねて見ているからである。要するに健常者ならこうするから健常者に倣ってそうしている。

 

結局、周囲から模倣して学ぶから、そのようにマジョリティの物真似になる。

 

「自分は自分でいていいんだ」とか「本当の自分になるんだ」とか言いつつ、お前たちが望むものは尚、健常者が、リア充が望むものである。友人、恋人、社会関係、趣味、伴侶。それらが健常者視点なので、自分がいないのである( ..)φメモメモ

 

自分がいるとその理想は成立しないから(苦笑)BLで自分がいないのは自分がいるとその理想空間が成立し得ないからである。あくまでも彼らの理想郷であって、私の理想郷では無い。

 

会話はキャッチボールであり相手が必要である。投げたらば受け手を描かねばならない。受け手のキモ引きニートを(*ノωノ)夢を見るのは良いが自分を変えられない。鏡を見れない。そんな夢は直視すらできないわ。

 

黒人が白人の子供を夢見る、的な(*ノωノ)白人の文化まみれで、その理想を押し付けられた結果、白人の理想を自分の理想と混同する。日本人になりたい外国人と一緒。

 

「隣の芝は青い」じゃないけど、それは隣の芝だろ…(/・ω・)/自分の庭を見よ(´・ω・`)お前の遺伝子は何色なの?(笑)

 

諦めろと言ってる訳じゃ無い。現実化したい目的としての夢なら現実的に可能な夢を想像しなければ意味無いでしょ( ..)φメモメモ

 

最近、私はサブカルチャーが楽しめないよ。インド映画見てるみたいな気になって(笑)ハリウッド映画でも良いけど。日本人は出演してるよ。人間が出演してるよ。でもこいつら健常者でしょ(´・ω・`)健常者文明の健常者村の健常者さん家の健常者さんでしょ。リア充でしょ。

 

昔は「自分もこうなれたら」なんて風に感情移入して見ていた時期があったかもしれない。

 

けど最近楽しめなくて「あぁ違う宇宙の話なんだ」と唐突な理解がやってきて。「サバンナのライオンの生態についてのドキュメンタリー映像」と同じくらいの感覚でしか見れなくなってきた…(>_<)

 

でも、それって恐らく健常者が知的障害者を見る目と同じでしょ。知的障害者に感情移入する?したとしても犬・猫に自分勝手な台詞付けるレベルでしょ。同じ人間とか思って無いよね?「可哀想な人」。私も健常者をそのように「別」に見てるから。深淵だよ(>_<)

 

地球人と宇宙人の対比ね。

宇宙人から見れば地球人こそ宇宙人なんだよ。

そして多数派はこの事実をすぐ忘れる。

 

健常者側は恐らく発達障害もメンへラも「同じ人間」だから感情移入できると信じて視ていると思うんだけど。偏差値のスライダーがあって、それを前後すれば自分もそうなれるに違いないみたいな。

 

男と女でさえ、断絶があると思う。だから、男性作者の書く日常系萌え♀キャラアニメが最近心に刺さる(>_<)『風の谷のナウシカ』のナウシカ宮崎駿の幻影じゃん…みたいな。ナウシカに惚れるということは駿に惚れてるんだよ( ..)φメモメモ…遺憾だよ。

 

あぁ、こいつら所詮、男の娘じゃん。という現実に気づいてね。あぁ、この娘所詮フォトショップ修正じゃん…みたいな。私はそういう子供騙し嫌いなので…。騙されやすい発達障害だからこそ現実を見極めたいと拘っているのかもしれない…。

 

「そんなの気にせず見ればいいじゃん」って人は私からすると、何にでも焼肉のタレをかけようとする人間。何食べても絶対うまいとしか言わない人間。味覚障害ですね(´・ω・`)男女の区別も付かないんだよ。

 

薄味で自然の味を生かして…とかやると味がしないとか言って焼肉のタレかけるんですよ。どばって。チャネリングの起こるマウスみたいに不良な感性しているだけ。田舎みたいに電波が届きにくい舌なんだと思う。

 

そういう人のいうことなんて信じない方が良いよ(>_<)どんなアニメ見ても「面白かった」って言うんだから(笑)参考にならない。もう黙ってろよ、と思う。でもそういうと深く傷つくわけですよ。

 

その敏感さを舌とアニメの感想に回して欲しい。

こういう人も発達障害的なのかもしれないけどね。

 

サブカル好きの発達障害者は、それが健常者文明なんだと理解した上で楽しむと良いと思う。アニメ好きが多いらしいんだけど。

 

アニメのリア充も基本健常者だから。楽しそうなほのぼの空間に君の入る余地はない。所詮、BLを愛好する腐女子と同じように蚊帳の外から指咥えて見ているだけしか許されないのです。

 

たまに、その辺と現実と仮想の区別も付かない認知の不足したおっさんが声掛け事案を起こすけれども…(>_<)それでどうなった?通報されて、逮捕されたよ!

 

正直、発達障害者の憧れは幼女と友達になりたい不審者に似ているよ。残念ながら健常者に声を掛けた時点で声掛け事案だからね(*ノωノ)

 

「勇気を振り絞った」と言われても。「心が叫びたい」とか言ってるって?…幻聴だろ。

 

寂しくて友達が欲しくて彼女が欲しくて場も弁えずアタックしちゃう非リアの同類が後を絶たないようだけれど…。

 

ADHDのビデオ」を頑張って視たけれど、衝動性によっても、そういう行動を取ってしまう。頑張れば何とかなるはず!と信じて。

 

「俺も幸せ(リア充)になる権利があるんだ」とか言って。友人・恋人・結婚・就職にしがみ付く発達障害者は実に多いと聞く…。所謂「人並みの幸せ」という概念。

 

それは「人並み(健常者)の幸せ」だから。己の身に過ぎたる力は身を滅ぼすんだよ。人並みという概念にも勿論しがみ付こうとするんだけど。じゃないと人間失格だという強迫概念があるのかもしれない。

 

まぁ健常者は失格だろうけど。そりゃ発達障害者だから。健常者以外人に非ずな世の中だと思ってるから人間失格になるだけで…。人の範囲が狭いと思う。高校生が友達できなくて自殺とかやってたけど、発達障害系だったとするなら「自分はまともな人間じゃ無い」とか思っちゃったのかね…。

 

義務教育はそういう空間だから。「君はまともな人間だよね?」という確認し合う空間というか…( 一一)クラスから出られないしね。大学なら友達いなくても生きていけたと思うけど。だから必死でまともな人間のフリをしないとならない…みたいな。

 

就職もあれは「まともじゃない人間」を落とす仕組みだから。「まともじゃない人間」は「まともじゃないといけない」を自己内面化するでしょ。だから発達障害者は「頑張らなきゃいけない」って必死。

 

そして自分の中の「頑張らなきゃいけない」という気持ちが折れた時点で人生からドロップアウトする…という印象。そういう哀れで必死な生物でしたっけ…私はね(´・ω・`)

 

だからね。

 

何度も言うけど必ずしも特定の相手にいじめられて死ぬわけじゃ無いんだ。社会の仕組み自体に淘汰という理由で自殺を迫られるわけ。それが未成年の頃からね。

 

リア充は健常者の最終クラスチェンジ先だからさ、発達障害者にはなれないんだよ。レベルが足りない場合もなれないし。発達障害者が幸せになれたとしても、それは健常者としての幸せとイコールでは無いと私は思う。

 

支援者でさえ健常者目線だからさ「適応しろ」のオンパレードで。発達障害者が自分の理想を考えることさえ許されない感じ。私は左利きなんだけど、習字で右利きを強要され、慣れればできるでしょ?と周りは言う。そういう似たようなことが繰り返されるんだけどね。

 

この健常者社会で「健常者に適応しろ」と言われて私は「発達障害」なんですけど、と言っても「慣れればできるでしょ」と言われる。同じことを繰り返されてるなと思うんだけどね。

 

それはやっぱり右利きを強いられてると思うな。左利きの矯正と同じで精神障害とかを抱えやすくなるのは、同じ理屈ですよね。発達障害が健常者になれと強いられ続けるわけだから、それでオカシクなるのは当然というか…(´・ω・`)

 

右利きになれと言われ、健常者になれと言われ、矯正され続ける虐待され続ける人生ですな…。私にとってはね。ギフテッドでもやはりそういう感じでね。なんか生物として真っ直ぐ育つことを許されなかった感じで歪んじゃうよね。

 

生きる気力なかったり、強迫観念的に生き急いでたり…そういうのって動作性IQ云々でなく、二次障害的な症状ないかと思うけどな…。

 

別に健常者じゃなくても良いんで、私という動物として真っ直ぐすくすく(笑)育ちたかったなと思うけども。