LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

漫然と生きている日々

まぁ、所謂「目的意識も無く」日々を何かのステップアップのために利用するでもなく、何かをするでもなく、あてもなく、やる気も無く過ごしている。

 

そこに悪気を感じるわけでも無い。罪悪感を感じろ、という人もいるだろうな、と予想はするが。最近思うのは「人はそれぞれ別の人生を送るのだ」というようなこと。

 

まぁ、人で無くてもそうなのだが、殊更述べるようなことでも無いかもしれない。

 

一億層活躍という言葉が世間で踊っているが、団塊とか一億火の玉とかそんなイメージ。「お前も私も同じように頑張らねばいけないのだ」というメッセージ性を感じてしまう。

 

しかし、私としては、そうした二人三脚は人生早々リタイアしてしまったので傍観する。それは参加選手の話だから、社会生活は見学して過ごす私の問題では無いと思っている。

 

毎日規則正しく何らかのノルマをこなして生きるということがどうも出来ない。気力もやる気も問題意識も動機も特別なものが無い。そして、社会的な摩擦によって直ぐに私の行動力を支える意志は削がれる。

 

大抵の場合、なんで生きているのか分からなくなって、生きるためには働かなければならず、それは前述したように支える意志が削がれて日々を規則正しく働いて生活を支えようとする気持ちも自分の中には無く苦痛だけが身体を苛むのだろう。

 

であれば、生きるのが苦痛で不安でしか無く死のうと思うだろう。穏やかな日々を過ごしたい為に。

 

私は現状、漫然と生きていて、それで良いような気がするが、あくまでもそれは社会の中で許されて無ければならない。それがやはり一番の問題であろう。現実的には生存権は無条件では中々認めては貰えないだろうから。

 

端的に言うと、一生それなりの刑務所の中で良いから、殆ど働かずにだらだらと適当に暮らしていたいという人がそれなりにいるだろうと思う。勿論、贅沢は別に出来なくても構わない。

 

結局、フルタイム等の現実の尺に自分を合わせて日々を過ごすということが苦痛で仕方が無いのだと思う。身体に合わない服を着たまま生きていくことに耐えられない…。

 

そんなようなことがあるんだと思うんですよね。みんなが耐えられる訳では無く、特に発達障害者的なコメントをすれば、私たちは実際、合わせることに耐えられない人間なわけです(;´・ω・)

 

その辺、障害も含めて人間には差があって「同じでは無い」という風に了解をいただきたい。食べ物にアレルギーがあるように、我儘なりの事情というものが色々あるわけで。

 

そんなわけで、

私は自分とも他人とも戦う意欲が無いので、流されるまま生きている状態ですね。今後どうなるかは分からないけれども、どうする気力も無いので、波に流されるままに生きてるな…(-_-メ)

 

 どんな生き方が正しいのか?そういう話では無くて、私自身は今の日常の過ごし方にはある程度満足を覚える。

 

友達もいないし、交友関係とか0だし恋人もいたことが無ければ童貞だし結婚の予定も永久に無いし社会的な地位を獲得したいとも思えないけれど、今の生活にある程度満足を感じる。

 

 プレステ4欲しいな、と思ってもポンと買えない生活です…( 一一)基本的に5千円以上の買い物は躊躇するような。貧乏を賛美してるのではなく、単に社会参加できないような底辺の障害者に資金力とか無いんで(´・ω・`)

 

ダイソンの掃除機とか、羽の無い扇風機とか、もうちょっと広くてエアコン付いててベランダで布団が干せて風呂が一々浸水しないマシな部屋に住みたいとか、欲しいものはあるっちゃありますよ。ただ得られる能力が私には無いだけで(苦笑)

 

とりあえず騒音が理由で人に殺されるようなアパートとか碌なもんじゃ無いですね(;´・ω・)なんで息を潜めて日常生活を送らないとなんないのさ(笑)そんなの絶対おかしいよ!

 

多分、私の住んでるところは、そんなことは無いはず…。いや、上階や隣室の音は多少聞こえるけど。苦情送る程互いに問題は感じていないはず(/ω\)

 

まぁ、だけどジャイアンリサイタルみたいな真似はできないですけどね。ひゃっくりが止まらなくなって、上階がなんかざわざわし始めたりということがあって(;´・ω・)もう少し防音仕様だと良いんだけどね。

ふぅ。

 

・友達・恋人・結婚・家族仲

私は最近、こういうものにそんなに拘って無くて、全部無いですけど(爆)それで不幸かと言われれば、そうでも無いし。他人と関わると「不幸なことにされる」というか。無けりゃ無いで良いっていう人もいるんですよ。

 

世の中のマジョリティは友達や恋人や結婚や家族なんかにそれなりに縁があるから、縁の無い人が信じられないだけで、そういう人もいるし、じゃあ、マジョリティじゃないから直ちに不幸になるのか、というとそういう訳でも無い。

 

確かに学校で省られるなんてのは辛いけど、私は友達がいないこと自体はどうということも無い。あくまでも「他人の目を気にせざるを得ない状況を外側に用意した状態における居心地の悪さ」みたいなもんだと思う。

 

友達が欲しい…云々は、「恥ずかしく無い世間体(建前)が欲しい」くらいの感覚で友達・恋人・結婚なんかは考えられがちだと思う。

 

現代においてもやはり人は「体面を気にする」と思う。私もあれもこれも持っていない・できないからと言って「可哀想な人」なんて思われたくないし。

 

恋人も結婚も自分の生活の中に入り込む余地が見えないですよ(^^;

私が結婚できないのは「おかしい」って言っている人っているけど、私は私がもしも結婚することになったとして、それこそ何かの間違いだと思うよ(´・ω・`)友達も恋人も私の眼鏡に適う相手が現れたとしてそれは何の冗談かと思うでしょう。

 

そのくらい私にはそれらが自分とは向いていない関係性だと思う。だから無理して、そういうものを得ようとか、それが得られれば自分が幸せになれるとも思わない。

 

それについて「可哀想な人」呼ばわりする人が結構いそうだけれど、あなたにとってはそうなんでしょうね…( 一一)としか…。10人中9人が私について「可哀想な人」と思ってくれたとしても、それは「10人中9人が私を可哀想だと思う」ということでしかなくて、私は別にそれで不幸だという訳では無い。

 

話は変わるけど、最近、もう一生童貞で構わないんじゃないかという気がしてきた(笑)反対材料が見当たらないというか…。私が童貞で誰か困る訳でも無いし。私も困らないし。性欲が減ってきて女性に対する見方が逼迫したものから余裕あるものに変わってきた気がする。

 

30秒に1回Hな空想をしなければ死んでしまうということも無いし…(´・ω・`)昔は女性と見るとHなセンサーが超反応してしまう病気でしたが最近は若さを失ったので、微反応くらいですね。

 

もうねHをして満足を得られる旬な時期を逸してしまったんじゃないかな…という( 一一)性的に乾いた時期に性的なものは与えられるべきなのであって、今はもうね。

 

要するに、眠気があって寝るから気持ちいいのだし、お腹が空いて食べるから美味しいのだし、性的に飢えていてHするから満たされるわけですよ。

 

だから性的に飢えていないのに童貞を失ったところで何の喜びも無いと予想できる…(/ω\)

 

夫婦のセックスレスとか問題になるけども、性的に欲求が無いのにHしてもしょうがないでしょ…(´・ω・`)愛があるとか無いとかの問題じゃ無いと思うな。性欲の問題。AVコーナーでも作って自慰してればいいの。

 

まぁ、だから、その辺は風俗行って来たら、でも割り切れちゃうんだろうな(;´・ω・)人によってはね。愛人とかは私は割り切れないけど世の中には割り切れちゃう人もいるんだろうさ。

 

まぁ、じゃあ「愛」ってなんなのさ、と言うと、その人と「家族」をやろうとすること、だと思うけどね。そこじゃやはり信用されるように振舞わないと絆ブレイクすると思うし(´・ω・`)

 

犬の飼い主は飼い主らしく振舞うでしょ。家族やるには家族らしく振舞わなきゃならないし「信用」されることって大事。「信用」されるように振舞うことは中々難しいかもしれない。嘘を付かずに生きることは難しいから。

 

どうしても「ごにょごにょ」濁したくなるような問題って出て来てしまうような気もするし。話せないようなことも。じゃあ、その黙秘やら嘘や誤魔化しは正当な判断だと言えただろうか、と自問自答する。

 

それらを胸中に秘めていて、私は「信用」に値する振る舞いを取れているだろうか…みたいな。その辺は善くあろうとするような道徳性の話だけど。

 

で、家族が不倫やらしてしまうと、信用してくれと言われても、ゲージ振り切って壊れますよね( 一一)私的には一発レッドカード案件というか。

 

家族=無礼講みたいに思ってる人多い気がするけども、主に男性(笑)でも、家族ってのはそうじゃない。共同体で共同生活する小さなコミュニティが家族だから何をしても無条件に許容される場所なわけではない。

 

そこに関係性が生じるのであれば、誰とでも、親しき中にも礼儀あり、だと思うな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本好きの下剋上 感想 予想

561話辺りの感想

 

・ヴィルフリートの話

何だかんだアウブになりそうな予感。前からローゼマインとの結婚は無いと予想はしていたが、やはり、という感じ。ローゼマインの呪縛が解けたので自分の意志でアウブになりたいと志すのでは。

ヴィルフリートに難色を示すコメントが散見されたが、私はかなり優秀になったな、と思う。ローゼマインと比較され続けて憎悪しても良いところを感情を諫めて飲み込める力もあるし、兄妹としてなら関係を続けていけると呑み込めている。更に加護の数にしてもローゼマイン以外と比較して飛び抜けてる。

普通、ヴィルの境遇を考えると腐って性格が曲がってしまっても仕方ない状況だと思えるところ。そこを真っ直ぐ育とうとしている辺り私は見所あると思うが。読者がマインの味方過ぎるんだろう(苦笑)

 まぁ、彼らにとって政略結婚なんて苦痛以外の何物でも無いですよ。マインはジキス王子とも予定が立ってしまったけれど、これも愛情なんて端から無いですし、そういうの無関心になる以外に取り繕えるマインさんでは無いようですな(´・ω・`)

ランプレヒトに対する「八つ当たり」というのも、単に何でも話せる間柄で不満や弱みを見せられる相手なんだろう、と思うが(´・ω・`)それで人でなし扱いされるヴィルが可哀想だわ(苦笑)

養父様に関して、やはりヴィル優先というのをローゼマインは「自分は目に映らない」と書いていたが、それは血の繋がりとか家族として一歩劣るみたいな感じなんだろう。それでも大分目にかけているはずではあるが。

元々、ローゼマインは自分が利用価値云々で取引される道具的な達観してるからなぁ…。

それとヴィルとマインは兄妹逆転してるんですよね。実質マインが姉の役目を担う羽目になっていたわけで。でも見た目は兄妹で兄の方が妹より劣ると目されてしまう、という。

それ自体、歪な状況だったし、当初、マインはヴィルを見下してたと思うんですよね。「何この悪ガキ…みたいな」その心証から婚約者という扱いになるよと言われても、そもそも無理があったわけで。

ヒルデブラントとヴィルは同列だと思う。マインからしたら育つ過程にいる子供(に過ぎない)。彼らからすればマインの来歴を知らないのでそうは思わないだろうけど。

 

 

シャルロッテ

姉に付いてきたりして(´・ω・`)無いか。お姉さまを支援するのが私の生きる道、的な。うーん。

 

・ダームエルとフィリーネ

恐らく中央へ来るだろう。コンラートは独り立ちの予感。二人はくっ付く気がするな…。

 

・ローゼマインとフェルディナンド

当初から最終的に二人がくっ付くと予想。図書室も用意できないジキス王子では役不足ですな…。逆にあれだけの蔵書を与えられる人間がフェルディナンドくらいしかいないという話で独走態勢に入った感。

 

王族が図書館与えなくて正直ほっとしましたね。フェルディナンドの行為が台無しになるところ(/ω\)いや、図書館くれって王族にも要求しちゃう辺り台無しにしているのはローゼマインだけども。

 

ヒルデブラントはそもそも子供臭しかしませんし…(;´・ω・)まぁ中央に行ってからラオブのクーデターが起こって、マインがフェルディナンドにグルトリスハイトを投げるんだと思う。最終的にフェルvsラオブのフラグはあると思うし。でグル典投げたマインは女神と(´・ω・`)

 

フェルディナンドは政治能力も王族のお墨付きだし(´・ω・`)

 

ジキス王子には苦手意識持たれてるし、アナスタージウスはマインを用が済んだら返却扱いだし、トラ王は盲目的にツェント命だし、王族登録だけ養女になって貰う感じですな…。多分、他人に与えるにも条件があって、その結果、フェル様しかいねーや、ってことになる気がする。そして、トラ王はツェント命だから。

 

養女→グル典入手→ラオブ叛意→ラオブvsフェル→フェル王就任→マイン・フェル婚約?

 

おじいさまやヴィル兄がその辺どう思うかは微妙だけど(;´・ω・)まぁ、ジキス王子の第三夫人とかの決着は物語的に無いでしょう。王子も悪い人じゃ無いんだけどね。

 

家族を思い出して家族同然さんに縋る程度にはローゼマインはもう(´・ω・`)下町家族は欠片も出て来ない辺り(/ω\)やっぱ守って貰える立場だからな…。下町の方は守ってやらなきゃならないが。

 

ただ遠距離恋愛的な断絶は感じるので、予想はしても確信は持てないですね…。

 

 ・下町関連

ベンノ・ルッツ・トゥーリ辺りは中央に進出してくるかな。

 

基本的に悪役は悪役らしく裁かれる話だと思うので、逆に言うと悪役じゃないキャラはそこまで酷い目には遭わないだろう。

 

 

 

 

 

失敗を許す

世の中、一度の失敗で全て台無し、ということが多い。けれど、失敗を許す世の中であって欲しいと思う。

 

勿論、許されざるようなことも多いが、日常生活における殆どの失敗はあまり問題が無いことも多い。失敗の結果の安全が保障されているのであれば、失敗を重ねても問題にはならない。

 

私などは失敗を冒して初めて気づくということも多く、それが一度の失敗で身を破滅に追い遣るような問題だとどうしようもない。

 

例えば歩きスマホなんかは、実はかなり危険だが、危険な目に遭ったことが無い運の良い人が、それに気づかず、危険を重ねていたりする。

 

その手の失敗の話ではなく。

 

日常で何かをやろうとしたときの失敗。料理に失敗した、とか掃除で失敗した、とかいうのは、失敗したからやめる、というのではなく、次のチャレンジに繋がると良いのに、と思う。

 

失敗を活かせ、というと私などは尻込みするので、失敗に怖気づいてやめてしまうことが勿体ないこともあるのでは、と思う。

 

少し考えれば失敗を避けれるかもしれないのだが、行為そのものを断念してしまう。そういうような在り方になったときに、立ち止まって考えられると良いのかもしれない。

 

行為の遂行の中に失敗を織り込む。

 

そう考えて「失敗した際の立ち直り方」とか「やり直し方」というのを学べると良いと思う。武道でも「受け身」は稽古の毎回で行うけれど「転び方」に対する対策は人生において重要なんじゃなかろうか。

 

上手くいく方法ばかり考えて、上手く行かなかった時のことを考えていない。この煮詰まったり、上手く行かないときの対応やら心構えというのを色々知っておきたいなと思ったり、覚えておきたいなと思ったりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

REゼロ感想 7話

ベアトリス可愛い。

 

ベア子、エミリア、ロズワールは声が合ってると思う。

スバルは次点。

ラム・レムは合ってない気がする。若い声優だろうな、と思ったら予想が当たるレベル…(´・ω・`)ジブリっぽいんだよね…。

小説を読むときはスバル=圭一君、で補完してるので、キリト君だとまた違うなーという感じ。悪くは無いと思う。ただ、ちょっと落ち着いて感じられてしまう。

 

演出面は涙流れ過ぎだろ、と(;´・ω・)滝かな、って感じである。もうちょっと自然に泣かせられないのか、と。

 

ラインハルトの時もそうだったけど、アニメーションと考えると拙い演出が見える。画数も少ない?

 

死んだレムを助けてという場面があるが不自然。もう死んでるし助けよう無いじゃん(;´・ω・)

 

最後の流れが心理的に、俺はお前らが好きだから絶対助ける、に繋がる気がしないんだよね。その辺の誘導が下手かも。

 

もう無理わけわかんないし、死にたいし、というところから、手を繋いでいてくれたかもしれない、からと言って、絶対助けてやるわ、って覚悟を決められるような描き方じゃ無かったような気がした…(;´・ω・)

 

スバルの心理描写を描くシーンが結構多い作品なので、そこに説得力をもたせられないと白けちゃうかな。

 

 

 

 

 

 

 

REゼロ 感想

6章辺りの感想。

5章プリステラは悪く無かったかな。

 

6章はスバルの幼稚さがぶり返している気がする。調子に乗った失言が多い。5章ではそういう部分はなりを潜めていたので6章でダメスバルに逆行している気がする。

 

あとハーレムだなぁ、という感じがとても強い。ジゴロキャラになってしまっているというか…(;´・ω・)クズから成長したら周りが信頼してくれて更には普通にしているだけでハーレムが築けるとか。

 

引きこもりが異世界行ってちょっと禊を終えたらモテモテになれる?いや、マイナスだったのがゼロになるだけだかんね(/ω\)そこをリア充でもあり得ないプラス補正しちゃってるので萎える(笑)

 

それと基本的に抱きしめたり、頭を撫でたりという描写が目立つ。スバルの価値観が全体的に古い男女観に基づくなぁ、というのはあるんで。つまり男は女に「かなわないもの」で「守ってあげなくてはならないもの」。男は女の胸で泣くんだよ、とかそういう価値観が全体的に古い…(苦言)

 

そこにハーレムがぶち込まれると、ちょっとアレルギー反応が…(´・ω・`)あとスバルのシャウラに対する扱いとか酷い。コメディにしたいんだろうけど「いじり」という名の「いじめ」ですよね。周りもその扱いは無いんじゃない?みたいに苦言を呈するべき。そういう周りの目線を意識してないやり取りに見える。

 

その辺も価値観が古いんだと思う。最近のお笑いは知らないけど過度な「いじり」ってのは好まれないんじゃないかな…(;´・ω・)6章は読んでてスバルの台詞の行き過ぎが目立ちますね。

 

それとキャラ毎のかくあるべしみたいなテンプレが見えるというか。「お約束」のやり取りが多すぎて、キャラが死んでる。スバルとユリウスとの間のやり取りとか、上手く通せてるように思えないんだよな…。ベアトリスもとりあえず「大好き」って言っておけばいいみたいな感じで、エミリアは天然にしとけばいい、みたいな。

 

扱いきれていない印象。だからスムーズに展開せず、読んでいてゴチャゴチャして見える。

 

ガーフィールとミミのカップルもミミは読んでいて「あざとい」ですよ(;´・ω・)天然を装って作者の代弁してるようにしか見えないので。「無垢=正しい」みたいなのを押し付けた気持ち悪いキャラだなと思う。ある意味、プリシラよりたち悪い正道。疑似「ありのまま」猫。

 

小説読んでいて何が気持ち悪いって、女性に対して「かなわねえな」とか言っちゃうのが一番気持ち悪いです(;´・ω・)すごくジェンダー的な模範意識とかを凝縮した言葉だと思う。「男女関係かくあるべし」みたいな背景の無意識を感じる。

 

そこにつまりは好きな女の子の人格を落とし込んでるわけで。その人じゃなくて、自分の理想の男女関係における正解はこうだ、みたいなものを凄く感じる。

 

それと女がいないと生きていけないスバル君はとても気持ち悪いです(笑)そこを言ってしまうとこの物語が終わっちゃいますが(;´・ω・)

 

仲間=小宇宙の話=ドラマみたいな。けど私、個人としては都市の中で一人疎外されて生きてるみたいな感じ。孤独を感じる。

 

そういう孤独を避けた、孤独を悪とするような部分がある話な気がする。私は孤独とか肯定してるので。

 

村上春樹の小説的な感じで内面的な話が私は好きなのかも。全部が全部繋がっちゃうと私は辛いな。全ての時間を他人と共有しなければならないとか悪夢だし。

 

 集団の中でいると私個人の意志、考えを巡らす機能が阻まれる。周りとの関係性の中で言葉を選択する必要があるから、それに応じて、思考の巡らし方も変わらざるを得ない。

 

孤独でいる意味は、周囲のあり方に左右されずに自分の思考を巡らせ考えを構築できる点にある。そういう時間が私にはとても重要。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっぱりハーレムはキモイな…

REゼロを読んでいて、やはりハーレムは無理だな、と思いました。なんでハーレムになったんだろ(苦笑)

 

人を殺しちゃいけない、と思ってるのに、何股掛けても問題ないとか頭のネジ飛んでるだろ(´・ω・`)もうね、ポケモンとかにしたらいいと思うんだよね。美少女風のポケモン

 

だから何匹集めてもOK。常にモンスターボールの中でOK。

 

もうね、レムが好きだけど、エミリアが一番だから、エミリアを取るから、でいいのよ。キリトさんくらいけじめつけようぜ(´・ω・`)その上で命を諦めなきゃ良い。

 

何度読んでも、二股の言い訳が辛いわ(´・ω・`)強欲だから?サウジの王子か。エミリアも言ってやれよ。私、ユリウスとも関係持つから、とか。そしてスバルはそれを許せ。

 

男女平等にやるには多夫多妻制にするしかないでしょ。そんなん見境ない愛だよ(;´・ω・)純愛っぽい物語やってんのにハーレムはだめだわ。

 

前にも書いたけど。こういう話。

 

 

自分の殻

自分の殻に閉じこもる、とか自分の殻を破る、というが…そういう考えは危険だと思う。

 

慣用表現に過ぎず本質を見失う。ただ気合入れて人と関われば何とかなるとか、そんな感じである。

 

確かに小手先の技術は上手くなるかもしれないが、他人に対するキツさは慣れに依るしか無く、気力が減退すれば厭う類のものだろう。

 

コミュニケーションが苦手というより辛いのである。それは、どうも技術の問題では無いように思える。私自身のこだわりが人との関りを忌避している。

 

他人を好くことは生まれながらの本能では無い。コミュニケーションもまた。母性と同様に本能に帰属する、天賦のものであるのだと信じたいだけである。

 

必要性から逆算しているだけだ。社会に託けただけ。

 

大抵の処世術の哲学の倫理は前提として生存権が保障された社会の話ではない。働かねば生きていけず、大抵は働く場所は社会であるから社会性の無い者は振り落とされる。そういうシステムに「合った人間」が正解だと見做され、そのようになることが「処世術」であり「正しい生き方」の模範になっていく。

 

一方で、その社会性の処世術に合わない人たちの生き方は否定される。その前提がある以上、話にならず歪な論理が現実上の正論として罷り通る。「社会に合う人間こそ天与の正しさを持つのだ」と。

 

まぁ、そういう社会を風刺した結果が、勇者と魔王の戦うRPGなんだろう。敵を倒すために強くならねばならない。でなければ死ぬ。相手は分かってくれる存在では無いから、という感じなのでは。

 

私はそのように強く生きられるタイプじゃなかったからね。それは強い生き方であって、正しいとか間違っている生き方という訳では無いと思うのだ。

 

死ねば間違った生き方?生きられるのが正しい生き方?そういう前提の話なのだろう。認めるが迎合できなかったため、私はそこを解体する。出来ないのだから仕方ないのである(苦笑)

 

誤った人生も間違いでは無い。

 

 正しさというのは必ず何らかの前提条件に基づく正しさである。証明問題。論理の問題である。命題の証明である。

 

命題が間違っている時、結論も間違っている。

 

 私は間違った人間である。という命題は不可知では無いだろうか。