LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

SAOホロウ・フラグメント ホロウ編クリア 感想

ホロウ・フラグメントのホロウ編をクリアしました。もうね、アインクラッド攻略は放置で…。

 

片手剣を錬成できる場所があって、ドロップ+25くらいの良い品が出たのだけれど、直後にフリーズして…。ほんと、フリーズしたのはそれっきりという…。もうね、誰か憑いてるんじゃないのか、と。

 

それから、セーブを心がけたのだけれど、あれ程の片手剣は出なかったですね…。

 

あとは刀以外のスキルが1000に到達。けど、スキルポイントが足りないから、ソードスキルが覚えられません…(汗)

 

SAOの感想は、やはり戦闘の調整がザックリしている…という感じかな…。死ぬ敵には死ぬし、やれる敵には案外あっさりと勝てるというか。

 

もう少し攻撃的なスキルがあると良かったのだけれど。難点はスキルの使用時間とか、アイテムの使用時間とか、アイテムに至っては、戦闘中の使用が中々難しかったり…。

 

アイテムはもう納刀してから使う方が安定するんじゃないかな、と思いますね。

 

まあ、あとやっぱりスキルポイントが足りないから、何か一つソードスキルを取ってお終いかな…と。パズルのピースが足りないゲームみたいな…。ま、完成しちゃうとそれはそれで物足りないのかもしれないが。

 

物申したい部分は、ラスボスがなんか近寄りがたい感じだったこと、とか…。すぐフィールドの縁の部分から遠ざかるので攻撃が出来ないとか、技も殆どガードとか出来なさそうだし。

 

スーパーアーマーも効果があるのかイマイチ不明…。

 

まあ、そんな感じで、あとはクリア後のフィリアのラブコメ的なADVがね…要らないかな…と。ユーザーは求めてるのかなぁ。ああいうの。フィリアもストレアも大概だなぁと。

 

そして、キリトは難聴系・なあなあ系主人公になるし。

 

「今、なんて?」

 

ってお前何回言った。キリト。

エロシーンとかね…求めて無いんだけど、ゲーム的にはそういう部分を追加するのが楽なんだろうな。こうアニメオリジナルストーリーとかそういうのを入れるシナリオライターとかがいないとか、許可が取れないとか?

 

もうね、階層をすすめる度に、ヒロインキャラとのエピソードで好感度を示されてるとウンザリしてしまうというかね…。ああ、好きなのはわかったから。うん。クラインを連れ回したいっすよ。彼が居るからまだマシなんだけどね…。

 

まあ、浮気するんですよね。私は好感度あげて無いし、そこまでやり込む気にならないから良いけど。ベッドシーン的なものがあるそうですよね…。こうね、キリト的には、もうちょっと放っておいて欲しいと思うわけですよ。距離をね。

 

まあ、だからフィリアやストレアは好きじゃないし、ヒロインインベントを無理やり入れたことでキリトが浮気男になるのも嫌だな、と。アニメのリズベットはどこへ行ったんだ…みたいな。

 

だって、リズベットはキリトへの好意をアスナが居るから、断腸の思いで断ち切ったというのに、まあリーファにせよ、シリカにせよ、そういう退く場面があったというのに、ゲームではキリトの気を引こうとしまくっていて…。

 

それにしても、やっぱりマゾゲーだな…と思う。特に秘匿領域。125階まで、MAP無しのエリアを行くのか…と。うん。やらない。

 

世界の中心でね「MAPをください」って叫ぶよ。ホロウ編クリア自体は秘匿領域の10階制覇だけでよくて助かった…。

 

 

 

 

 

 

FF15が怖い。その他、MMOの話とか

私がPS4を買おう買おうと思ったのは、FF15が出ると聞いていたからでした。けれど、買う日は訪れず、FF15が発売され、ドラクエ11までも発売され…。

 

そうしたらレビューが酷いことになっており、あぁ、FF13…という風に感じました。今でも少しプレイしたいような気はするのですが、他にきちんと面白いソフトが欲しいな…という感じ。

 

とは言え、7からFFをプレイしていますが、良さげだったのは、FFTFF8FF9FF11FF12FF14でしょうか…。オンラインのFF11FF14は両方プレイ済みですが、良かったり悪かったりという感じで賛否両論でしょう。

 

個人的にはFF11が好きでした。家庭用ゲーム機の初めてのVRMMOというので販売前にはワクワクし、プレイもワクワクし、3年間程ハマり続けました。風鈴の心のメインジョブは暗黒騎士です。

 

鎌をメイン武器に両手剣も使えます。まぁ、色々歴史がございまして…片手武器onlyな時代も鎌不遇の時代も業の深い時もありました。

 

今思えば実験的なRPGで最終的に非常に上手くまとまっていたように思えました。…閑話休題。口調を戻そう。

 

暗黒騎士の良さはサブジョブで戦い方がかなり変わる点。まぁベーシックなのは戦士かな。話は変わるけれど、仮面ライダービルドという番組がやっていて見たんですが、謎の機械をシャカシャカ振って、ベルトに装着して、レバー(リール)をぐるぐる回しなら忍者と戦士をインストールしてましたね…(笑)ダサいことを真面目にやっていて笑えました。

 

商業的に見れば、アニメで使った武器を玩具として売って収益をあげるために、ああいった形になったんだろうな…と思いますね。イケメン目当てに主婦層に向けた番組になったりとか、商業的・経営的な目線でダサくなるのは何とも言えないです。まぁシュールな気持ちになるかな。

 

けど「竜巻斬り」とかいって剣を円を描くように回したら風を纏った魔法剣になって、ザシュザシュ斬り裂いてたのは、なかなか爽快感があった。まぁ、ダサいんですが。

 

その後に宇宙戦隊キューレンジャーとかやっていて、こちらは敵の能力で歌舞伎化したイエローの演技が凄かったですね。「何でも曲げる力」をもった敵で性格が豹変したんですが、ナルトがやるような「てやんでー」みたいなことをするんですよ。私にはあの演技は無理だなーと思って。皆よくやれますよね。ダンスとか見ていても「どうなって動いてるんだ」と思って…。それとレッドがイケメンだった。

 

11では暗黒騎士をやり、14では吟遊詩人(弓術士)をプレイしてましたね。今思っても良くやれたな…とか頑張ってたなとか思います。ただ結局、エンドコンテンツといって攻略難易度があがっていって、ついて行けなくなったりするんですよね。

 

14では暗黒騎士はタンク職になってしまい、その頃には私はゲームから離れていたのでどうなったのか知らないのですが、あくまでもDPSとしての暗黒騎士というか、魔法剣士的なところも好きだったですね。

 

その後は、タンク・アタッカー・ヒーラーと役割を決めてしまって、公式にもそういう役割でプレイするようになっていったんですが、11の頃はそういう言われ方をしたことは無かったんですけどね。

 

私的にはやはり準タンクぐらいの位置のジョブが好きなのかもしれない。まぁ、暗黒騎士ってスタンとMBとアブゾ(ステータス吸収)という感じになったんですが。スタンが出てからは暗黒騎士の代名詞になりましたねぇ…。

 

Just to change the subject for amoment…(ちょっと話は変わるけど)

 

SAOホロウ・フラグメントをやっていて、スタンにJustアタックに、Just回避というシステムがあるんですね。

 

Justアタックというと、FF8のガンブレードのような感じは好きだったのですが。ホロウ・フラグメントはもう少し演出が欲しい。

 

ま、スタン役とか面白いですよね。確か暗黒魔法だったんですが…。暗黒騎士は、暗黒魔法・精霊魔法・弱体魔法が使えてですね。

 

暗黒魔法に関してはエキスパートという立ち位置で。スタンしてWS的なことが出来ればプレイ出来るので、良かったです。

 

まぁ、ホロウ・フラグメントは誰でもスタンできるんですけどね。Just回避が難しい。

 

別に大抵の戦闘ではJust回避しなければならないって訳でも無いんですが、上手くアクションゲームしてプレイしようってなると必要になってくるようになっていて。

 

丁度、こうデモンズソウル系の確殺だったり、転身(ローリング回避)だったり。そういうユーザースキルが問われる系なんですよね…。

 

ただSAOのタイミングはかなりシビアというか、分かり難いな…と。私は蜂くらいしかかわせない。それ以外も、かわせるんだけどJustって出ないですね…。

 

上手くプレイするには、リスクというパラメータを低く保つ必要があって、Just回避で減らせるのと、スイッチすることで減らせるのと手段があるんですよね。

 

でJust回避にも「Justサイドステップ」と「Justバックステップ」があって、どちらかを決めるとCRIが上がったり、攻撃力が上がったり違うんですよね…。

 

まぁ、だから戦闘を上手くコントロールしたいな、ってなるとリスク管理を上手くしたい。そうなるとJustアタックとかJust回避の必要性が出てくる感じですね。

 

Just回避はね…もう主人公が時を司る能力で、「攻撃タイミングが視覚的に分かる」みたいな能力を持ってる設定で、まあ若干時が止まると良いですよね。

 

the world!

 

一瞬止まりましたね?そう…これが「空欄の能力」…。いや、別に。

 

まぁ、だからねぇ…。敵の攻撃予測が出来ないんですよね。貯めてから技の出が早すぎて。こう…何秒貯める技だか分からない的な。

 

貯めから唐突に、攻撃を食らうので、くる…くる…くる…きた!って感じにならないんですよ。貯めモーションから1,2という感じに、武器なら振りかぶってほしいんですけど。

 

貯めから「くっ」と一拍踏み込むアクションが無いんですよね。だから、貯め>既に食らった後…みたいな。

 

それがね…私は上手く避けれないですね。どうしても早めに避けてしまう。呼吸を合わせて避ける…ってしたいけど、敵に呼吸が無いんですよね。わかってもらえるかなぁ。

 

あとホロウ・フラグメントで厳しいと思うのは、対複数になると、複数のタゲを取るのが難しいし仲間が違う敵に攻撃を仕掛けてしまったり…という感じ。で気づいたら仲間やられてるし、MMOで言うところの駄目な子になってしまうんですよね。

 

もう少し命令が欲しいな。「同じ相手を攻撃しろ!」とか「攻撃を止めて安全な場所へ退避しろ!」とか「ヘイトを下げて敵の後ろへ回れ」とか…。

 

その辺が…やっててどうも命令出来ない感じ。スキルは入れ替えが十分出来るのに、仲間への命令は固定されてる感じがする。

 

それとどうにもソードスキルの要求が多くて多くて。武器スキルあげてるんだよ!と言いたくなる。「ソードスキルを使うな!」とか無いのかな…こう私がスキル上げとか回避回数を重ねて目標数回避しようとかしていても、仲間が初っ端ぶっ放して。「それ奥義じゃね…?」みたいな。

 

その辺が、やっぱりコミュニケートできない感じ。疑似でも空気読んで欲しいし…。仲間と話し合えるって一人MMOの目指すべき境地かな…と。

 

 

 

 

ゲームの歴史と奇跡の世代

FF8がPCでプレイできたらなぁと思っていたら、1500円くらいで売っていることがわかり、嬉しくなった。

 

歴史の授業を受けていると、21世紀の現代に生きていることは、奇跡みたいに思える。私は丁度、ファミコンにも触ったことのある世代で、ゲームボーイで「マリオブラザーズ」をプレイしていた記憶がある。

 

ファミコンは「ドラクエ3」をプレイしていた。それで時々セーブデータが消えるのだが「デレデレデレデレデンデレレン…」という呪い的な音楽が鳴るのである。

 

他にはロックマン7とか。「デュンデュンデュン…」とかいう死亡した時の音をネタにしていた知り合いがいて、例えば体育の授業で試合に負けると、その音を出してきて、殆ど声をあげて笑うことの無い私は吹き出してしまったのを覚えている。

 

PCもwindows98を学校で見たことがある。winXPが普及して便利だったために、win7とか、その先に乗り換えないという現象が起きていた。私は専らXPを触っていて、今はwin10になっている。

 

丁度、フロッピーディスクを使ったことがあるし、MDプレイヤーなんてものが流行った。ビデオテープと言って、ビデオを見るにはテープの入った結構大きな四角の箱をビデオプレイヤーに入れるのだ。

 

カセットテープというものもあって、やはりテープに音を入れるので、巻き戻すと「ジィー」っと右から左へとテープを実際に高速で巻き上げるのである。家にあるCDプレイヤーはカセットテープにも対応している。

 

私の世代を「現代」と称するなら未来から振り返ればパーソナル・コンピュータのルネッサンス時代という感じなんだろうか…。どのように現代は歴史教科書で語られるのだろう。

 

家庭用ゲーム機で言えば、まさに1から10まで時代を経験してきているような気がする。アニメ『タッチ』なんかでは喫茶店で「インベーダーゲーム」をしてたりする描写があったり…まあ、あの頃のゲームの感想は「ドット」だった…という感じである。

 

私達の世代は映像的な進化はFinalfantasyシリーズをプレイしてくると2Dのドットから3Dのポリゴンへと進化する過渡期を経験してきた。ポリゴンといえば『ポケットモンスター』のアニメでポリゴンの光の描写で気分が悪くなってしまう人が出る…といった現象があって、アニメのフラッシュ(光線)描写の規制が掛かったりといった時代を過ごした。

ゴジラ』や『宇宙刑事ギャバン』とか『ウルトラマン7』とか『仮面ライダー』等、特撮ものをTVで視聴することが多かったような気がする。CGが今ほど普及しておらず、特撮という方法に依ったのだろうか。

 

『Finalfantasy』というソフトは情報技術の進化を体現していた。3DポリゴンのFF7。より滑らかな3D描写を可能にしたFF8、そしてFF9、この3作をプレイすれば3D描写の技術がどれだけ映像的に進化してきたか…ということが体感できると思う。特にFF9のムービーシーンは美しい。

 

プログラミングで言えば、最初はコマンドプロンプトを弄って、次にBasicとか。機械語に近かったのが、Javaとか英語ベースのおそらく「アセンブリ言語」というのだと思うが、そうした使う側の言語に合ったプログラミング言語を扱うようになり、CUIからGUIへとオペレーションシステムも進化した。ドラマ『電車男』なんかを見ればわかるが、その頃のプロの人はコマンドプロンプトに直接文字を打ち込んで、あらゆるソフトを使用してしまう。どんどん窓とアルファベット、更には0と1の数字の羅列が表示されていく感じ。

 

コンピュータとは結局はスイッチのON・OFFの仕組みであり、だから2進数であらゆる命令が表現できてしまう。その0と1の世界を翻訳してC言語JavaRubyとかプログラミング言語として扱えるようになったのであり、更には「Eclips」なんかは直感的な操作が可能になるGUIのようなものさえある。

 

このあたりは私自身の理解が乏しいので説明が下手だと思うが容赦して欲しい。丁度、静的なHTMLが動的なRAI「リッチインターネットアプリケーション」に進化したような感じで、AdbeAIRなどで動きのあるHPが実現できるようになったように…

 

機械語CUIGUIになったように、より人間が直感的に理解できるような親切で私たちにPCの持つ機能をうまいこと翻訳して理解させるようにサポートされたシステムへと変わっていった。

 

これは丁度「携帯電話」が「スマホ」に変わったように、より直感的な分かりやすい便利で親切なシステムへと変わっていく。その実、裏で何が起こっているのか、ということは、あまりわからなくなっていく。

つまりコンピュータからすれば今でも我々がPCのボタンを一つ押すたびに0と1の数字がズラッと並んで入力されてCPUはその命令を延々と順番にあるいは並列的に処理し続けているのだということは遠くなり忘れられていく。

 

見ようとしなければ裏方の仕事がどのようになっているのか、ということは段々と複雑化し縁遠くなって見えなくなっていくように思える。

 

通販のamazonなんて調べてみると1998年に設立されていて、それ以前には無かったのである。それまでは私はコンビニや店舗に足を運んで欲しいものを予約したりして店舗で手に入れていたのである。『FF8』も私はコンビニで予約して買いに行ったような気がする。丁度1,999年のことで、この年のことは他の年よりもよく覚えている。

 

ノストラダムスの大予言」なんて言って世界が滅びるか賭けていた。そんな年にFF8をプレイした時の記憶はなんだかきらきらしている。その頃はゲームがどんなに問題を抱えていても楽しんでいた記憶がある。FF9なんて今プレイすれば、戦闘が遅くてダルくなるし、FF10ならマゾいミニゲームをクリアしなければ最強装備が手に入らなかったりする。FF10はとても楽しかった記憶があるが実際はマゾい。

 

3Dの進化はゲームだけではなくアニメでも起こった。『プリキュア』のEDで3Dのキャラクターが踊っていて、それが可愛くて3Dで可愛いという表現が出来るのだな…と技術の進化と表現の可能性を感じた。

 

ドラゴンクエスト11』では敢えてキャラクターをリアルにしないトゥーン化が施されているがアニメ調でかつ3Dのような方向に私が期待したのは『プリキュア』のEDを見たときが初めてだと思う。

 

『スカイリム』等、海外初のゲームはよりリアルに近づけるという3Dの進歩をみせ『Last of Us』等のゲームで殆ど最高に達したような気がする。それは翻ってグロテスクさになりゲームの体験が重くなることも意味した。TPSゲーム、戦争ゲームなんかはよりリアルになり血なまぐさい体験をしやすくなってしまうのは、人間にとって悪影響にもなると思う。

 

だから、ゲームをゲームのまま、アニメをアニメのまま、ファンタジーの世界に落としておく、ゲームの、仮想の世界に落としておくためにはトゥーン化しておく、トゥーンレンダリングの技術を発展させるということが不可欠のように感じる。

 

一つ予言をしておくとするならば、コンピュータグラフィックスの世界では現実の世界の生々しさを取り除いた世界にこそ私たちはイデアを見出すだろう。

 

現実を仮想世界に現実のように作り上げた世界の体験はいうなれば過酷で疲れるのであり、仮想の世界には私達人間の理想的な仮想を作り上げることこそが、最大の幸福を期待できると思う。可愛いとか楽しいというものの極地は想像/創造の産物だと思う。

 

アトリエシリーズ』(主にPSソフト)などは特に3Dでの可愛さを追求していて良いと思う。まあ、内容は少し飽きやすいのだが…。

 

FF14』なんかは、結構良いトゥーンレンダリングを施していると思う。「ミコッテ」の可愛さは異常であった。そういう世界で生きていけるということがVR世界では期待される。現の姿は仮初なのである。

 

私は『FF11』をプレイしていたので『SAO(ソードアート・オンライン)』のブームは理解できるものがあった。とはいえ結局みんなキリトになることはできないので『.hack』のようなシリーズが受けると私は思う。

 

.hackを突き詰めて、自分以外が意志のあるAIのような存在になるのが好ましいのかもしれない。まぁ、そうすると接待プレイにして貰わないと生きていけないと思うが…。

 

小説家になろう』でも「異世界転生」が流行るが、これはVRMMOと大差ない設定である。別の世界で生きる羽目になる、という。けれど、そこは自分にとって都合の良い世界である必要がある。

 

3DSでARのゲームを遊んでみて楽しかったのだが、それでも私は外へは出ない。「ポケモンGo」というアプリが流行って、みんな外へ出かけたみたいな話を見ても、私は外へ出かけたりあまりしないので、使わないのである。『電脳コイル』みたいな感じに現実を作り上げるのが理想だろうか…。

 

ま、そういう半分現実で半分デジタルな世界も悪く無いと思う。ゲームという枠組みを超えて、例の眼鏡のような装置を付けて、Googleグラス的なものが通常装備になる未来もあるのかもしれない。

 

現状ではIFの世界ではあるかもしれない…くらいだが。まぁ、そういうことができそうな段階に技術的には到達しているのだろう…という話であり、そういう世界に生きているのは奇跡的だよなぁという話なのである。

 

3DSの3D機能もそうだが、ああした立体視も私は期待するところである。TVではあまり普及している感じがしないし、3DSもきちんとした3Dと言うより、2Dに奥行きを与えて2D画像を立てているだけのような3Dが多いと思った。

 

3DSの3Dは実際には納得できるだけの3D機能ではないと思う。上手く焦点が合わなかったりもするし…。それでも3Dカメラ機能には可能性を感じた。

 

お金が無いので、環境的にも3DTVなどを用意することは出来ておらず、3Dを楽しむ環境が無いのが痛いが、今後は3Dコンテンツが最先端になるだろうと思う。現実に『電脳コイル』をやる場合でも、3Dの奥行きを見せる技術が無いと危険だという気もする。

 

まあ、兎に角、3Dの位置や焦点がどうのと、そういうレベルまで一般家庭で云々言えるまでに私達の技術水準が達したという訳である。

 

例えば、1次産業に従事していても、VRゴーグルを掛けていれば、時間を表示したり、次に行う工程を指示したり、ある程度距離が離れていてもメッセージをやり取りしたり、というコミュニケーションが可能になったりするかもしれない。

 

要するにバーチャルにポケモンじゃなくて標識を立てれば良いのである。そうすると、色々な技術革新というか日常を変えることができるだろう。

 

『SAO』は好きだけれど、きっと「リンクスタート」と言って、意識まであっちの世界に持っていくことは出来ないと思う。あるいは私の世代では到達しないかもしれない。

 

だから、ゲームはそういう方向へは進化せず、ポケモンgoのような現実+VRの方向への進化の方が進む気がする。

 

そういう意味ではARゲームというのはいろんな可能性を秘めているなぁと思う。とは言え外へ行ってゲームをする気は無いが。なので写したとしても狭い部屋だ。

 

そうじゃなくて、背景の世界をもってくる方が良いのだろうなあ…。部屋にいながらにしてエベレストに登るとか。飛ぶような操作の方が多分簡単に実現できる。なのでフライトシュミレータなんかを作るとVRで楽しめるだろう。詳しくないので既にあるかもしれないが…。

 

閑話休題

 

私はプラモデルやフィギュアが好きなのだが、高いお金を払ってまで買う価値があるかと疑問に思う人もいるかもしれない。けれど、立体というものの価値って私はあると思っていて、だから立体物を欲しがる人がいるのである。

 

まぁVRの3D技術が進歩すれば、重さのない立体物を手に入れる日も来るかもしれないが…。

 

あとは電子書籍も期待している。紙媒体が既に本の束を持ち紙を捲りページを保持するというのが面倒なのだ。Kindleで本を読むことがあるが、できれば持った状態で何か裏側にスイッチがあってページを捲れるとか…画面をタッチするのも面倒なのである。vitaの背面タッチパネルのようなものがあれば捲れそうだが…。あるいはLRボタンでも。

 

技術のブレイクスルーとか、そういうのが分かりやすい時代に生きてるんじゃないかと思っている。そういう意味では今死ぬことは勿体無い。いきなり死ぬことの話になるのだが…。

 

この死ぬということは病気や怪我なども含めてであって、自殺を示すのではない。死ぬこと全般である。老傷病含めて死ぬことは勿体無い。

 

生きることは大変だが、死ぬことは勿体無い。特に学生時代は私の場合、障害から暗黒時代だったのだが、それでも生きてきて、余裕が出来てくると、このブログを書いている今のように楽しい時間も過ごせることはある…。

 

 

 

 

ナイトメア 悪夢

悪夢を見た。

小さな上手くいかないことが増えて、色んな人たちから私のミスを指摘される夢。でも、やはり上手くいかなくて、空回りしていた。

 

頑張っても頑張っても空回りして、必須で地味な作業すら理想には届かない。そもそも理想に届かせる過程すら想像してられないのだろう。その結果、間違った方法から正しい方法へ徐々にシフトチェンジしていくことが、どれだけ繰り返しても上手くいかないのだと思った。同じところをグルグル回っている。

 

そして、そんな無様な自分自身を映しだされることが私の悪夢なのだ。経験そのものが失敗体験が降り注ぐ夜。やはり、私は他人様に影響を及ぼすような作業をやらない方が良い…と思わされるのだった。

 

成功体験が足りない…というより、成功体験に向かって自力で軌道を修正していくことが出来ない、という感じがする。

 

これは「想像力の欠如」による問題なのだろう。良い想いをするには…?という打算を打てない。結果、散らかした汚部屋になったり、やろうと思ってやらなかったりすることが多いのかもしれない。

 

理想という「お手本」を頭の片隅に置きつつ、作業を行う…ようなことが出来ない。WM(ワーキング・メモリー)の問題もあるのかもしれない。

 

あとは、他者の指摘を柔軟に受け入れることが出来ない、ということだろう。どうしても反発して、受け入れられなかったりするようだ。todoリストや、日記や、スケジュール帳に家計簿なんかをやってみては放棄されていく。

 

私はスクラップブックというソフトウェアを使っているが、これも大抵、既に、どれが目的のドキュメントなのか分からなくなる。整理整頓がなされず、混沌と化す。

 

規則的で無い、ということは、規則を作れば良いと思われるかもしれないが、それは一つのルールで縛るということだけを私に要請するだけで、私自身が規則を発見し、規則を編み出し、規則に則って事を為すことができるようになる訳では無い。

 

数学の応用問題が絶対に解けない人のようなものではないだろうか。不器用と言われたことがあって、器用に何でもこなす人とか、要領の良い人とか、頭が良い人を発見して、自分と見比べる。

 

そうすると、やはり根本的な何かが私と彼とで異なっているように見受けられる。それは個性というものでは無くて、機能が無いといった感じである。そのことで成功体験から活力を得ることが出来ない…とか、日々を生きることの糧のようなものが見つけられなくなるのだと思う。

 

それが結局は鬱病になったりする。日々を健やかに生きるバイタリティ(体力)をどうやって人々が養っているのか…最近の私はそういうことが良く分からなくなった。

 

人間は昔から良く働いてきた。その働く歴史の中に自分を挿入することが出来ない。ある自殺者の言葉だが

 

・ハッピーで無いのにハッピーな気持ちは分からない。

 

という。私もやはり同じ気持ちから労働に挫けるのだと思う。気分はクレイマー対応の役職に就いた感じ…というか。私は何時も職場で排除される感じに圧迫されている。

 

本当は、上手くいった時に喜んだり、楽しくて笑ったり、という経験が、体験が自分を潤してくれるのかもしれないのだが、風鈴は喜んだり楽しくて笑ったりということをあまりしないのだ。というより最早、出来ないのである。

 

だから感動する映画なんかを見て涙活してみたりするのだが、やはり快活であるのは、笑ったり喜んだりできることだろうと思うのだ。

 

私はバラードを専ら好む。井上陽水とか、サザンオールスターズとか、しんみりする楽曲を好む。けれど、彼らが齎す哀愁は、笑ったり喜んだりという感情とは遠いのかもしれない。

 

お笑い番組を見てみても、だいたいは笑えないし、楽しくも無い。ガヤというのか、笑い声をバックで響かせる演出があっても、私的にはちっとも琴線に触れない、ということがある。

 

きっと自分を抑圧して、かつ、働き続けるということは難しいのだ。私は色んな職種に就く人々がなぜ、その仕事を続けていけるのか本当に理解できない。毎日毎日長時間の仕事を続けていける彼らが本当に理解できない。

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。

徳川家康のこの言葉、風鈴は好きなのだが体現は出来そうにない。TV等で労働者を観察していると、マゾなのではなかろうか、と思う程に、仕事は重荷に映る。働かなければ生活水準が維持できないから皆、働くのだと理解は出来ても…風鈴は重い荷を背負って歩いていくことは出来なかった。

 

軽い荷しか持てない風鈴は悪夢を見る。この悪夢は世の中に対して何も出来ない風鈴に向けた意趣返しなのかもしれない。私たちは嫌でも働かなければならない。そうでなければ人間の生活水準を維持できなくなるからである。

 

そして、多くの人が風鈴には負えない荷を背負って何とか生きている。私からすれば一つのプラモデルを組み上げることが働くということだとして、私はもう1か月も一つのプラモデルを完成させられないでいる。

 

暇があっても時間を割けないのだ。皆、家事に仕事に時間を割くのに私は時間を割けない。その差が悪夢になったのだろうか。

 

昔のことを夢に見てうなされることもある。例えば転生したとして義務教育を再度受けるということは地獄のようにも思える。大学教育でさえ、今は耐えられる気がしない。

 

歳をとったから、そうなったのだろうか…。俳優なんかを見ていると、死ぬ直前まで働いて、ガンや病気で闘病の果てに亡くなったりする。死ぬ直前まで俳優として活動していたりもする。

 

そういう生き様をみると、なぜそこまでするのだろう…と思う。そういう人たちとリタイアする人たちと色々であるが…。私等は早々にリタイアしてしまえば良いのにと思うけれど…。

 

年金を70歳からにする等、老人を戦力に数えようとするが、私はそこまで働かなければならないのか…という風に思う。それこそ死ぬ直前まで働くという人も多い気がする。

 

介護が必要になって初めて隠居が許される…みたいな。病院にいても他者と関わり合うことが推奨されたり。老人ホームに入っても、他者との交流を勧められるのかもしれない。

 

部屋で一人でゲームしたりTV見たりということが、出来なくなる。要するに施設に入るということは自由で無くなるかもしれないということなのだ。隠居といって、施設に入っても、自分のしたい生活は出来ないのかもしれない。

 

じゃあ、何時になったら、悠々自適になれるのだろう。若く働いても、年老いて施設へ入れられても自由が無いとなれば…。だから、やはり自宅が良いという風になるのだろう。

 

病院もサナトリウムも娯楽に乏しい環境で、療養…という風なのが多いのではないだろうか。そうすると、PCに張り付いたり、自由に色々な本を読んだり、一人でゲームに打ち込んだり、料理を作って見たり、ということがし難くなる、か、出来ない。

 

集団生活を余儀なくされ、娯楽も他者を気にしなければならなくなる。そういう環境では、質素な生活で死を待っているだけみたいになりそうだ…。

 

コストを気にするとそうなりそうで鬱屈する。だから、やはり自宅が一番ということになるし、死ぬまでは家事くらいは自立してやれねばならないとも思う。

 

呆けてしまえば、あるいは頭がおかしくなってしまうと、最悪、布団とトイレだけの部屋に入れられる。そうすると囚人と何が違うのか…みたいな日々を送る羽目になるだろう。

 

認知症も癌も闘病生活というのは、恐らく、日々の潤いが消える。病院での療養というのは、買い物に行く自由なんかも無くなるかもしれないということだ。だから、死にそうになって初めて自由になるなんて考えていると、自由になった時には身の回りの娯楽が無くなってしまっていたなんてことになったりするのかもしれない。

 

隠居するのは病気をする前にしなければ楽しめないだろう。お金が無いのか、あるいは働くことに価値を見出すのか、健康だからパートで働く高齢者の方もいる。

 

ただ、やはり人間は高齢になる程、弱くなっていく。弱って、だから人の世話になるのだが、人の世話になると、その人や組織に自分を託さねばならない。そういう風にすると、どうもそれなりの扱いを受ける可能性もある。

 

私の経験上、ある程度のプライバシーが侵害される。優しい扱いでは無く「あなたは困った年寄りですね」という扱いを受ける。その自身に対する扱いは病院や施設によって違う。ただ、やはり田舎程雑で悪いように思う。

 

看護や介護の基本的な方針。規則。相手への配慮の仕方。そういうマナーを受けた教育された人材がいる施設なら良いのだが、パートの延長のような人が相手をしている施設なら、対応はイメージ的なものになるのだろう。要は「情に基づいて優しく接する」という感じが強くなる。ヘルパー資格程度では、感情的な付き合いが目立ってしまうのでは無いだろうか…。

 

看護師の資格を持った人の方が人当たりは良いように思う。まぁ、結局のところ、人付き合いしなければならない、そういう施設には風鈴は送られたく無いと思う。先入観かもしれないが…。

 

私としては若くして死んだ方が楽で、後になるほど死は苦しむ羽目になるのではなかろうか、と思う。若いうちは仕事に苦しみ、老いてからは不自由に苦しむ。

 

人生とは苦である…と風鈴の経験は告げる。けれど、違う見解を持つ人もいるのだろう。これだけの文化があって尚、私たちは働き苦しんでいる。働くことが辛いとか苦しいとか決め付けるべきでは無いのかもしれないが…。

 

文化があるからこそ働き、苦しむ…いや、世界を滅亡させるラスボスみたいな話だな。全ての苦しみから人類を解き放つために我は世界を滅する!みたいな…。

 

人を見る時、私は「よく耐えているな」と思う。耐えることが人生だと言われれば、そのようにも思うし、忍ぶことが人生だと言われれば、そのようにも思う。だから家康の言葉は的を射ているように思われた。

 

それはやはり私だからこそ思う部分だと思う。耐えられない私だから、毎日車で会社へ出勤する人たちを見て「よく耐えられるな」と思うのだから。毎日毎日、同じ作業を繰り返して、少しずつ、少しずつ日々を消化していく。

 

毎日、お風呂に入り、歯を磨く…。そういう作業さえ私はもう嫌になってしまったのに、他者はそれに耐えている。

 

よくやれるな、と思い、よくやれたな、と思う。けれど、やはりやりきれなかったことも多い。小学校の頃から、やはり、やりきれなくて。今でもやりきれない自分のままだ。そして、やはり他者はやれるのだな、と思う。

 

生まれながらにして、自分は自分で、己を変えることは出来ない。ただより強く耐えねばならないとか、そういう風にしか変われなかったと思う。それは心労を増幅し、何時か弾ける。

 

私は今のところ、私が私であることを、ある程度、許されているけれど、この先どうなるかは不明だ。結局、自分を変えることは出来なかったし、生理的な問題に負け続けている。

 

自殺は難しかった。どうやれば楽に死ねるのか。どうやれば他者に迷惑をかけずに死ねるのか、私には分からなかった。主に、環境が足りていないことも問題だし、飛び降りる勇気も無かった。

 

生きることが苦痛だから、自死を選ぶ心理を私は理解していると思う。日々、小さな苦痛、大きな苦痛に晒されて生きていると、未来もそのままだろうと思う。だから、これ以上、生きていたく無くなってしまう。

 

生きていようという気持ちと、生きていたくないという気持ちが交わり、天秤が生きていたくないという気持ちに傾く地点において均衡が破れるなら、その人は自殺を考え始めるかもしれない。

 

私は訃報を見るのが割と好きだ。ガンで亡くなったとか、自殺で死んだとか、他殺されたとか、事故死したとか。

 

人の死に様を見ていると、やはり苦悩に満ちている場合も多く、その事実は苦痛の無い自死を選択する権利が必要で、「あるべき」だと思う。その「あるべき」ものが無いのは、恐らく命が尊いからというよりは国のインフラを支える労働力を失いたく無いから…という感じの為政者の思惑だろう。文明を支えるために人々には甘んじて機構を支えるだけの労働力となって貰わなければならないから。死なれると働き手が減って困るのである。

 

俺が自殺出来ないのはお前らが悪い!』という感じの漫画・アニメを見てみたいところである。異なる可能性もあるが、風鈴としてはマジでその通りだと思う。

 

自殺する権利はあるという人もいるが、凄惨な方法しか無い状態では禁じられているのと同じだと思う。建物から飛び降りたり、電車に跳ねられたり、首を吊ったり、頸動脈を切ったりという行為はぞっとしない。

 

とある文学者…作家は、自力で生きるのが困難になってきた際に、投薬自殺をした。自分が苦しまないための方法として私はそれを支持する。

 

あらゆる文明で「簡単で安らかに死ぬ方法が用意されている」というのは普通は必然だと思う。寧ろ、だからこそ、それが無いということはやはり故意なのであろう。

 

そして、若しかすると多くの文明で「楽に死ぬ方法」が無いとするなら、無い理由が必ず存在するはずである。それが何なのか気になるところだ…。尊厳死をさせてくれる機関について知っているが、どの程度の国で許可されているのかは知らない。

 

ブラックジャック(手塚治虫)のDrキリコを思い出すなぁ、と何とは無しに思った。

 

私は若干、輪廻転生を信じている。そうなるんじゃないかな…と。でも不具合のある私という存在は消えるだろうか。脳機能から来る「わたし」は消えるだろうと思う。そうすると、次の私は、どんな私になるのだろうか。胡蝶の夢というのがあるが、次は蝶なんてこともあり得るのだろうか。

 

死ぬことが怖い理由の一つには、輪廻転生の観念がある。死んでも終わりでは無い場合、これ自体が地獄巡りなのでは無いだろうか。地獄は無いが輪廻転生はある場合。永遠に残酷な生を噛み締めていかねばならないのなら。

 

生というのは、動物の場合やはりグロテスクだと思うのである。植物がどうかは知らないが。やはり、人間以外に生まれたとしても、厳しい生である可能性が高いのでは無いか…。

 

生自体が地獄である可能性を私は否定できない。私という存在が輪廻転生と合わせて生の終わらないサイクルに仕込まれている可能性。

 

まぁ、そういうことを考える。だから、死ぬことを躊躇するというか。不老不死を望むとしたら、ある程度恵まれた現生に留まりたい。不確かな来世に進みたくない、という理由だろう。

 

悪夢は私の過去のトラウマ体験の再演だった。それに過剰な叱責が追加される。面白いのは私が起きている間は、過去の嫌な記憶も思い出すことは殆ど無いということである。私は夢として嫌な記憶を再生するが、起きている間は無意識に隠れて私からも見えない。

 

脳裏の表層を漂うようにして、過去のトラウマの記憶は無意識を行きかっている。だから、きっと認知症においては想像だにしない行為・言動を行ってしまうのだろう。

 

昔、英語がペラペラになった夢を見た。けれど、やはり現実では私に英会話能力は無い。なぜ夢の中ではペラペラだったのか…と思うのである。無意識には理解できる程度に嗜んでいたのだろうか。

 

まとめ

若い時には働き、自由もある。老いてからは施設に入れられれば自由は制限される。あるいは自身の健康面から上手く自由を謳歌することはできないかもしれない。施設自体もあまり居心地は良くは無いかもしれない。健康でいられる間は悠々自適でいられる可能性もある。

 

人生は重荷を背負い、遠い道を歩むかのようである。

 

私は生自体が繰り返す地獄巡りなのでは無いかと思う。そして、トラウマは無意識に記憶され、悪夢として顕現する。私を脅かす。人は変わることなぞ出来ない。変われたとするなら、それがその人の可能性であったか、あるいは無理をしているか。

 

生理的な問題には勝てない。

 

 

こんなの良いな。出来たら良いな。あんな夢こんな夢いっぱいあるけど~。エアガン編

銃型 コントローラー(無線) 画面(敵・的)・エアガン風味。

 

探せばありそうな気がする…。実弾で無く、エアガン。ガンダムゲームのプラモ版みたいな感じで。そんなの無いかな~と探してみよう。

日記 SAO ホロウ・フラグメント PSvita

体は剣で出来ている

 

血潮は鉄で、心は硝子

 

幾たびの戦場を越えて不敗…UNLIMITED BLADE WORKS

 

SAO ホロウ・フラグメントをプレイ中…。専ら実装を解除するためにホロウエリアばかり探索している。装飾品や防具が乏しいのが専らの悩み。

 

私はかつてFF11をplayしていたので、そのシステムと似ていると思う。ただ、スキルに攻撃的なものが少ないのが物足りないかもしれない。魔法…とか。

 

スキル連携をした際のエフェクトが物足りないし、ジャストアタックのタイミングとエフェクトと表記。ジャスト回避の難しさとか…。ジャストアタックをした時に「JustAttack!!」的な表記が欲しいなとか。

 

ソードスキルの不満としては、刀と両手剣は、片手剣と曲刀をskill1000にして解放してからでないと、ソードスキルが覚えられない辺りとか。それと、ソードスキルも通常のスキルも全て取ろうとすればSkillポイントは足りなくなるらしい。

 

Skill自由取得制度というか、計画的に利用しましょう…みたいな妙なリアリティを感じるのだが、刀と両手剣は「待て」の状態である。本来は全て取るというより、自分が使う武器のツリー上にあるスキルを使っていく感じになるのだろう。

 

ホロウエリアの管制室の実装は、妙に回数が多く…実装していると、自分のレベルがグイグイ上がっていき、アインクラッド攻略班のレベルもプレイ時間に比例して上がるので、彼らはキリト(プレイヤー)一人に攻略を待たされている状況である。

 

クリアレベルが120らしいが、もうちょっとでクリアレベルになりそうである。しかし、アインクラッド攻略はちっとも進んでいない。キリトさんはホロウ・エリアにご執心だ。

 

私のところには各ヒロインからホロウ・エリアから戻っておいで、というメッセージが届いた…。…リアルなら攻略班からのキリトへのヘイトが強くなるはずである。きっと、キリトがいないうちにアインクラッドは攻略されて皆デスゲームから解放されることだろう。

 

メタ的には胃が痛くなりそうなホロウ・エリア探索録である…。壁ドンとか床ドンとかされつつ、きっとホロウ・エリアに籠るのである。それなのにヒロインたちはキリトが引きこもっても待ってくれている…。

 

それはそうとクラインと添い寝が無いというのは、どういうことなのだろうか…(笑)そして、出血だらけの刀スキルである。両手剣も特殊だが、刀は暗に使うなと言っているのだろうか…。

 

私は既に片手剣スキルが1000なので、もう当分、片手剣を振るうことは無いかもしれない…。片手剣一刀流が原作キリト標準装備で、状況が悪くなると、二刀流になるという流れなのだが、私のキリト氏はskill的に片手剣の方が強そうである…。

 

 

 

 

幽玄世界(テレストリアル・ビジョン)

風鈴はTVを手に入れた。

 

「 白眼(プログラム・サーチ) !」

 

…これにより閉じられた結界内部からでも、世界を見通すことが出来る!…効果は限定的だ。流石に TV(受信の邪眼I) だけでは邪眼の限られた能力しか使うことが出来ないのだ。

 

「これが黒い悪魔AQUOSの能力…!」

 

「4K…NDR…!この情報量。圧倒的じゃないか!ふはは。ふはははは!」

 

「この波動チャンネル高野山じゃないか。空海のやつめやりおるわ」