対人関係上の能力の他に重大だと思うのは自己同一性が確立し難い、という点だろう。
自己同一性を考えるとき、やはり自助努力の足りないせいであるような気がしてくるが、あまり関係ないと思う。
どれだけ職業適性診断テストを受けたところで自己同一性が確立できるわけでもない。
自分についてよく検討してもしなくても、健常者なら済し崩し的に、発達してくる問題だと思う。
彼らは、自己実現とか将来の職業が云々と悩んでも悩まなくても、それなりにしっかりしてくるような気がする。
幼児が頭の重さでふら付く状態が、いつの間にか安定しているように。
逆にどれだけ理屈を練っても、自己同一性が確立される訳ではない。天啓にでも打たれないとダメだろう。
近代文明の思想的に攪乱される場合も多いようだが、私たちは特に発達のし難さの問題が根底にあると思う。
自己同一性が確立されないことが、精神的な未熟さ、幼さ、ストレス耐性にも繋がってくると思う。
曖昧で不安定な状況に常に立っていることになるからである。
アダルトチルドレンという用語があり、大人になり切れない、と言い、甘えと結び付けられがちだが、
これが自己同一性の問題だとすれば、多分、努力や意識で自分では何ともし難い問題だろう。
奮起して甘えを排したと思い頑張ってみても、それは自己同一性の確立とは関係が無いので、
何れ息切れしてしまい自己否定に繋がったりする気がする。
コミュ障も大体そういうルートで勘違いして対人関係に精を出した挙句、失敗体験を重ね、
一歩も外に出られないまで拗らせる羽目になる。
世の中、経験の多寡で何とかなる人ばかりではない。
私は表面的には他人と付き合えるが、付き合い続けるのが精神的に辛いので付き合わない人間である。
顔面蒼白になってるよ、ってよく言われる(´・ω・`)b…俺はここまでみたいだorz
そういうのはトレーニングの問題では無い。自分にベストな対応が出来ても辛くなって人間関係からおさらばである。
その辺が理解されているとは言い難い。コミュ障やACも当人が理解していない場合も多そうである。
結婚に明らかに向かない人間が、彼女が欲しい、結婚したい、子供が欲しいと言っているようなものだ。
人間とは社会の常識で形作られたものだと思っていて、例外を受け入れられなかったりしている。
自分が人間という生物だという自覚に乏しい。
自己同一性についてもう少し調べたいとは思っているが、
大体、統合失調症も精神分裂症も自己同一性が危ぶまれる状態なんじゃないか、と思っていて、
発達障害者として自己同一性が多分確立されていない私は戦々恐々としている。
生きている実感が乏しいというのはやはり物悲しいものである。死にたくは無いが生きたくも無い。
この乏しい生の実感のまま避けられない死と直面しなければならない事態にいつかなった時こそ、私は絶望しそうだ。
生きていやしなかったのにもう死ななければならないのか、と不満でどうにかなりそうだ。
自己実現なんて高レベルな祝福が私に届くことは無いだろう。