LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

Re:ゼロ 感想

Re:ゼロ。1話。面白かった。無論。ネタバレあるので注意。

 

「Re:ゼロ」は基本、主人公スバルきゅんにイラっ、とさせられ続ける話です。けれども『スバルきゅん成長物語』なので、序盤は耐えて見続けて欲しい。すると徐々に徐々に成長してくるんで。

 

周りの登場人物も魅力的だし、スバルの「死に戻り」で周りとズレが生じつつも、一人足掻いて頑張り続ける姿が良いですね。レムというキャラクターが出てきますが、その辺から感動できると思う。ただ私。ハーレムは認めないので|д゚)

 

レム一人なら良いよね…。ベア子は精霊だし別枠でしょ…。ペトラ?惚れたんだから仕方ない。ほら、その「あとちょっとだけ」「これくらいなら」がハーレム化を招くんだよ|д゚)だから「純愛」ものとしては批判せざるを得ない。

 

愛ってのは無限に分配できるものじゃない。

Q:友達100人作ったとして平等に付き合えますか?

A:「無理だよ!」

 

だから「俺は命をかけてもあの子を守りたい!」って物語でハーレムにしてしまうと、愛が分散して思いの強度が弱体化する。愛に説得力が無くなって主人公の動機の強さも説得力が無くなる。

 

『ハンターxハンター』のクイズの話。恋人と母、どちらかしか助けられない時、どちらを選ぶ?ハーレムで同じくらい愛している物語ではその問いに答えられない。

 

その辺がやっぱり説得力に欠ける気がする。そういう矛盾を自分からツッコんでいくスタイルの物語ではあるんだけど「物語=ご都合主義=ループだからOK」だから。

 

そういう意味では「レムの物語」は余計だったな、と思う。「レム」をショタ辺りにしておけば上手く収まっただろう…青いし(´・ω・`)個人的に「レムif」物語も嫌いですよ。あれをやる程、エミリアたんのヒロイン力が減っていくので…ただでさえ少ないのに。まぁ、単にレム界が甘い世界かつ典型的家父長制夫婦観(時代錯誤)過ぎて反吐が出るというか…|д゚)

 

ナウシカ』じゃないけど、清浄なる世界に耐えられる身体じゃないんでね(*ノωノ)寧ろ毒になって私は死ぬ。

 

総評すれば「たかがなろう。されどなろう」という感じ。「ひぐらしの鳴く頃に」くらいは面白い。「新世紀エヴァンゲリオン」くらいは面白い。エヴァは傑作ではなく佳作。ひぐらしは名作。私の中では。時代の寵児

 

竜騎士07は「ひぐらし」が最高だったけど、実力は過大評価だった。「エヴァ」も同じだし「Re:ゼロ」も同じ評価。これ以降、作者がこの作品より傑作を書くとは私は予想しない。一作目に自分の引き出しの全てを叩き込んだ、って感じの作品。

 

この手の作者は長く作品を作り続けるようなタイプでは無い。一発屋。まぁ、その手の作品がその時代の雰囲気なんかを上手く切り取っていて…象徴していて酷く面白かったりするものである。

 

他のブログを書いている人が「ライブ感」が大切と言っていた。要するに「その時にその作品を読む」ことに特別な意味がある。古典とか名作は不朽なんて言うけど、読者が変わるので、価値は変わってしまう。

 

そういう意味で「RE:ゼロ」は象徴的な気がする。転生・ループ・ダメ主人公・ハーレム…とかいう(´・ω・`)まぁ、ただSAOまでは行かないんじゃないかな。主人公が愚図なのが時代に合わなくなってきたような気がするから。

 

今の時代の空気がどうかなんてよく分からないけど、現実志向なんじゃ無いかな。RE:ゼロは…というか「人生やり直し系」から流行が次の段階に移ってるんじゃないかな。

 

「転生したところでやり直せない系」というか…。まぁ、私の主観だな。あー…そういう意味で「Re:ゼロ」は現実志向寄り…かな。転生したけど特に才能無い。何度も嫌になるくらい滅多打ちになるしかない。っていう。序盤特に…|д゚)

 

パルクールやりだした辺りから、その辺怪しくなり出してるし、それ以前も「そんな怪我じゃ動けるわけないでしょ」という意味では現実離れしてるわけだけど…。だから都合の部分が見えちゃうことがあって物理法則に従い苦労してる風俺Tuee作品と呼ぶべきか…。

 

まぁ、本当に「主人公は無能」をやらせたいなら『涼宮ハルヒの憂鬱』のキョンが最も良い例だと思う。周りに長門がいれば良いんですよ。まぁキョンは有能な語り部ですけどね(´・ω・`)

 

失敗するのは主人公も釣られて強くなって物理法則捻じ曲げ始めるタイプ(*ノωノ)『RE:ゼロ』は確実にその方向に足を踏み入れ始めてるので、竜の血混ざったりさ、最終的にこんなに血反吐はいて修行したから俺TUEE系になりそうなんですよね。

 

要するに、ドラゴンボール系…?筋肉が衰えるとか、限界値という発想が無いので、ゴッドスーパーサイヤ人云々になるという…。衰えを知らない。

 

途中で覚えた自分の分とかどこへ行った!?と思う。FFで限界突破アビリティ覚えると一気にヌルゲー化するみたいな…。FFTでシドを仲間に入れる…とかでも良いけど。成長物語はバランス変わっちゃうので難しいですよね。

 

『RE:ゼロ』もパワーバランスが難しいと思う。相手がチート過ぎて(苦笑)その辺を楽しむ話なんだろうけど、敵の設定がアレ過ぎてソレに振り回されてる感…というか。トールギスピーキー過ぎて操縦できないみたいな感じ( 一一)

 

ドラゴンボール』はそれが嫌い。『ジョジョ』はその辺が無いので好き。「でも結局オラオラなんですよね?」になるのは嫌いだけど。『ハンターxハンター』もゴンは何も面白く無いじゃないですか…|д゚)「能力を如何に使うか」を読むのが楽しいのであって。

 

だから『RE:ゼロ』も「ゴリ押し」になったら魅力無くなっちゃうからね。ガーフィールが良い例だけど、エルザ戦以降、単調( 一一)彼の戦闘において特筆すべきことは無い。「今まで通り辛勝した」で良いでしょ。ガーフィールはアニメ向きかな。

 

そういう「ワンピース形式」になっちゃうとダメだと思う…(*ノωノ)書くことないから(笑)ボクシングの試合を文字で読んでても楽しく無いでしょ。小説には向かない。ドラマやら仕掛けが無いと。

 

個人的には『デスノート』の勝てるキラが見たいですね( 一一)別に、ダークサイドに堕ちる必要とか無いので。頭脳戦が見たい。『RE:ゼロ』にはそういうのを最後までキッチリ続けるのを期待したい。

 

結局、主人公がピンチに「うぉぉぉぉ」とか言ってれば、毎回次から次へと隠された力が発動して何となく勝てちゃうような話、嫌いなんで。潜在能力が…神のご加護が…修行の成果が遅れて聴こえてきて…想いの力が…隔世遺伝で…親が勇者で…実は神なので…実はドラゴンボーンで…etc。

 

最初から言っといてくれ(*ノωノ)

 

『ナルト』みたいに「落ちこぼれ」からの「結局は天才忍者の血を引いてて、化け物の力も使えました」的なネタバレは途中の「こんなに酷い目に遭って、虐められて、馬鹿で、でも努力してる…」というのに共感してた読者を裏切るので…。

 

あぁ、分かるよ。俺もモテないんだ…。こんな見た目で…

 

からの

 

眼鏡を外したら超イケメンでした。みたいな。特命係長ですね…。そういう話を楽しむ心のゆとりが今の私にはない(笑)いや、大衆のための娯楽ですからね…マイノリティの能無しの非リア充を楽しませる必要とか無いし。

 

けど、私的には最初から無能で無能なりに頑張る話か、最初から天才で自分以下の秀才を蹴散らす話か、どちらかの方がスッキリする。「シンデレラ・ストーリー」を信じる年齢じゃないんだな…枯れてるんだな。夢が無い大人なんだな…。私は。

 

けどね。「シンデレラ・ストーリー」って血糖値みたいに、上がったのが下がる時に感じるダウナーな気持ちになるんですよ。

 

「あぁ、こいつは要するに最初から知らないだけで器量に恵まれてたんじゃん。一方、私はそういうの無いんで…ほら鏡見れ」みたいな。

 

「子供騙し」なんですよね。「俺はまだ本気出してないだけ」と信じさせるような。私は信じられる年齢じゃないし、本人と乖離した幻想を信じさせるべきでも無いと思う。白馬の王子様が迎えに来る…的な。せめて車にしとけ。自転車に乗ったイケメン高校生が通りかかるとか。

 

そうじゃなくて出来れば『ヒカルの碁』みたいに自分のいまの実力をちゃんと直視して実力相応に階段を上がって頑張っていく話が読みたい。『スラムダンク』もそういう話だと思うんだけど。

 

『RE:ゼロ』はそういうところに尺を割いているので、面白いと思う。

 

『無職転生』も主人公最強ものでは無い。あと主人公が最後まで根はクズ?のままなので妙に生々しい。あれはクズな主人公がクズなりに人生を良くしたくて頑張って足掻く話だと思っている。クズが転生したら治る話ではない。だから、読むのが多少辛い。

 

クズな主人公が転生する系の話ではクズさを何とかしないといけないんだけど、そんなに転生したところで何ともならないので難しい。「イケメンで力があれば全て許される」=解決、みたいな…。簡単に言えば『無職転生』=「イケメン+魔法超強」=解決、なので。

 

それでもあの主人公、精神的な惨めさから抜け出せて無いから。一人になったら全て失ったら俺はもう生きていけない(泣)

 

神(夢)の世界で転生前の引きニートの豚さんの自分の面を強制的に見せられるんですよ。見た目リア充になっても「お前の内面は変わって無い惨めな豚ちゃんだ」と突き付けられるために…。整形の話みたいに。

 

最後には転生世界での自分の顔になるんだけど、正直、変わって無いままの方が良かったと思う(-_-;)それで変わって無いけど悔いはない生き方が出来たと開き直って死んで欲しかった。まぁ、異世界転生ものとしては結構シビアな話。そういう現実志向は好きでした。

 

主人公の人格矯正は『RE:ゼロ』くらい何百回も主人公を殺してやっとマシになった…と言って、少しは納得できる。だから転生系では最初からマシな人間を転生させるべきです。「転生すれば何とかなる」じゃなくて「転生しても自分だからダメ」という点は見せて欲しい。

 

そこから「今度こそはなんとかするんだ」と足掻く話が『RE:ゼロ』と『無職転生』ですね。ちゃんと「頑張るだけじゃどうにもならない」部分も書いて欲しい。誤解を与えるから。

 

「努力できる環境さえあれば自分は何にだってなれたはず」と思う人がいるので。「自分は」が間違い。「自分」=「脳」も環境の一つなので。イケメンに生まれてくるように、高身長に生まれてくるように、高知能に生まれてくるように願う。でも、頭良く生まれて来ようとしたら「この自分」は消えるんで。

 

「環境」が「引きニートの豚ちゃんの現在の自分」を丸ごと「良い外的環境」に投げ込むなら良いけど…。私自身のことで言うなら「コミュ症」や「発達障害」はそれじゃどうにもならない。

 

どんな国でも障害者は苦境に立たされるので、転生しようが立場は悪い可能性が高い。

 

「植物転生~植物人間でも異世界行って本気出す」

 

…いや無理でしょ。脳=自分は、そういうレベルの問題だとどうにもならないし。

 

「痴呆転生~認知症でも異世界行って本気出す」

 

最早、不穏な予感しかしないし。

 

サイコパス転生~サイコでも異世界行って本気出す」

 

少なくとも人生やり直す為に行った感ゼロだし。

 

だから、ある意味、発達障害で無くても「異世界行ってもどうにもならないし、じゃあどうするか…」という話になるんだと思う。

 

『異世界行って一から努力すれば何とかなると思っていた頃が自分にもありました…』みたいな話を書いて欲しい(´・ω・`)

 

だから、結局、一周回って「普通の人が普通に努力する話」に戻ってくるんじゃ無いかね…( 一一)

 

発達障害系の話では『私がモテないのはお前らが悪い』で商業的にはボッチで居続けることを否定された気がした( 一一)あまりにも辛いので友達が2~3人出て来ないと続けられない…と。あのエア友共め…。

 

あれは逃げですぞ…|д゚)

 

まぁ、やり直せてもいいですけどね。そういう発言もたまに見るけど。「発達障害を自分で克服した」とか。多分、発達障害じゃ無かったか、克服したと現在進行形で思い込んでいるだけ、と私は思うけどね。

 

治せるコミュ症もあるんだろうとは思うんだけど、自分が発達障害だとあまり興味持てないという(´・ω・`)だから、単にトラウマ的な対人恐怖症なら異世界転生で生き直しもできるのかもしれない。

 

ただ、そんなにみんな生き直したいほど人生に苦しんでいるんだろうか…(苦笑)統計的に言うとそうでも無いんだと思う。私は苦しんでいる方だから「世の中は地獄ぞ」と思うけどさ。私の長年の人間観察の結果、普通の人はそんなに地上の不幸を呪うことに真剣では無い気がするな…。特に日本では。シリア辺りなら黒魔術に縋っても良いと思うけど。コックリさんとか召喚するから。

 

というか日常に不満を覚えておらず、何となく経済の雲行きが怪しいくらいで日々を淡泊に過ごしている普通の人たちにとって、異世界に転生したクズニートが頑張る話のどこが面白いのだろう…(-_-;)

 

KEY作品系統もヒロインがアホの子ばかりじゃん…とか言われてたが(*ノωノ)いや、アホの子は可愛いから良いけどね。クズ豚ニートは…もう略そうクズミートは誰が拾ってくれるんだ…?ニートなんて人口の70万とかしかいないのに、そんなに需要があるのが謎である…。

 

書きやすいという点ではありそうだが。学園系の次に書きやすい。特に異世界転生させた後は自由である。まぁ、やっぱりSAOみたいに訳アリニートで本来リア充の素養があったという方が爽やかだと思うなぁ。

 

ニートいうのは真っ白いキャンパスなのだろう…。現実には真っ黒だが。

 

まぁ、日本でも聖書配ってる人もいるさね…(´・ω・`)日本人はみんな幸福ってわけじゃないことは私が証明している(笑)

 

とは言え、彼らは功徳を積もうとしているのか、どんな気持ちで聖書を配っているの?死後に天国に行けるとどの程度信じているのだろう…。会員を集めて会費が欲しいだけなのだろうか?

 

 …最後に努力の話を少々。努力というのは無味無臭なんですよ。エネルギーの塊みたいな。車を比喩にすると、ガソリン。「私は頑張る」と言う時、エンジン掛けて、ガソリンもこんなに用意した!だから結果が出るべき!→完。

 

私は割とそう思ってるんだけど(苦笑)

 

そうじゃない。

 

寧ろ「ハンドル持って、コース見て、きっちり走る」だけ弁えていれば、努力なんて、適当で良いんです(+_+)そういうのが要領だと思うんだけどね。問題は誰でもそういうのが簡単にできるわけじゃない、ということだ。

 

例えば、発達障害者の車の窓は魚眼レンズで出来てるし、ハンドルはコンニャクだし、ガソリンもあまり入らないし、すぐエンストするんですよ(-_-;)比喩は正確じゃない可能性があるけれど。この機体でどうやって健常者に立ち向かうのだ。

 

私はまずコースを知る・見る・ちゃんと走る、ということがスムーズに行えないくらい難しいわけで、取っ払って「頑張ればなんとかなる」じゃ即コースアウトなんですよ。

 

だから「ちゃんとコースを見てゴールまで運転しよう」と思う方が「頑張る」より大切。「努力すれば何とかなる人もいるかもしれない」けど「努力の仕方自体全く分かっていない」人もいる。

 

後者の人は努力しても一生何もできない。

 

まぁ、ちゃんと走ってもコミュニケーションじゃ周回遅れでレース自体終わってたりとかね…。制限時間あるやつ。だから、操縦をちゃんとしても駄目なこともある。

 

コースアウトかタイムアウトか二つに一つ(-_-;)

うん。コース、制限時間、操縦方法…詰んでるな。自分には向いてないと思う。さらば。そもそも複数のものに注意を分散するとか無理なんで。

 

努力というのは時間が止まったシミュレーションじゃない。ARPGRTA(リアルタイムアタック)をするようなもんであり、リアルタイムシミュレーションRPG的な要請をされるものである。

 

だから『ダークソウル』投げ出すような人は「人生」というゲームに向いてないんだよ。アドリブ力、即応力、柔軟性。時間間隔。そういう反射的に適当な行動が取れる程度の地頭が無いと「人生」というゲームで他人と同じようにサバイバルすることはできないんだょ。

 

「兎と亀」にツッコミを入れれば「流石に勝負終わってから寝るだろう」と。つまり、あまりにも酷いナメプを兎がやらない限り、亀が負けるのは必然である。

 

人生とはシビアなもんです。

 

ハムスターが滑車を回すじゃないですか。固定されていてその場で空転するだけの。あれを前に進んでいると勘違いし続ける。無駄な努力。ハムスターは頑張っているけれど、前に進みたいなら永遠にそれは叶わないだろう。運動したいだけならそれで良いけど。

 

そういう努力しかできない「物分かりの悪い人」は努力したところで何も成せない。無駄なエネルギー、無駄な行い、無駄な浪費。無駄な気力。

 

それが分かってない「友達100人作らなきゃ」ってレベルで「俺はまだ本気出してないだけ」って言ってる人が割といる。そして、他人にもそう言う(+_+)

 

無駄を積み重ねて「ねぇ気づいたんだけど…これって無駄じゃね?」と気づけるなら良いけど、みんながみんな気づけるだけの能力がある訳では無い。

 

努力と結果の間の要領…コツと呼ぶべきなのか。そういう道筋の問題がすっぽり抜けている人がいる。そこを把握することこそが肝要なのだ。