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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

女の子と小動物とぬいぐるみ

フリーゲームで目が大きいアニメ的女の子を横から見たら化け物だった、というギャグがありました。

カラコンとか黒瞳を大きく見せるコンタクトやアイプチ、目の整形など目を大きくしたいらしい女の子が多いように見えます。

ただTVやネットで大きく扱われ過ぎてる気もしますが。

フォトショップや整形は私の敵です( `ー´)ノ

なんというか、見る目が無くなりそうというかね。

アニメ的な外見に近づける=可愛い=可愛くなりたい、というのは、若い子に多い気がします。

けど、アニメ的な可愛さとリアルの見た目は分けて考えたほうがいいと思う。

前に、モデルが拒食になりやすい、という話が話題になったが、人間をキャラクター化しようとし過ぎるんじゃないかなぁ、と。

相手の都合で作られた枠に入りたがる、というか…。

キャプテン翼くらいにならないと違和感を覚えないかもしれないね…。

彼氏彼女になると相手に合わせようとして努力し…みたいなやつで。

AKBで順位の上下動に泣いて喜んだり悲しんだりしている子がいたけれど、正直、

そんなルールに真面目に振り回されて可哀相に、という感想。

そういうのはパリコレみたいなもので、日常生活の圏内で真に受けるものではないと思う。

TVや何かに騙されてTPOの枠外に出てしまう人が散見される。

「なろう」の小説は女の子をただの記号・消費物に貶め、人間として扱わないものが多い。

タイトルとしてその価値観がよく示されていると思うのは「奴隷」や「ハーレム」だろう。

どこかで高い車に乗って他人にひけらかすような金持ちは頭が悪いと思う、という話があったが、

結局、あれに近く、見せびらかすための財産というような見方だろう。

女性にとっての人形・赤ん坊もこれに似た扱いをされることがあるだろう。他人に見せびらかし、ひけらかすもの、というか。ペットなど「可愛いもの」もそういう扱いが多いが…。そういう価値観のまま、結婚・家庭・子供ということを考え、得ようとしてしまうと、そうした存在が自分の思った通りには動かないものであることを見過ごして、思わぬ事態になるんじゃないか…。

結婚・子供・旦那というのは女性にとって自分を飾るアクセサリーのようなもの、と考えられることは多いと思うのである。

ただし、私はそういう価値観は肯定できない。前述したような男性の女性に対する扱いを反転させているだけだからである。

唯物論的価値観だと思う。

男性から見て「可愛いもの」「二次元少女」「ぬいぐるみ」「あいどる」といった「萌えるもの」は、大体、この類だろう。例えば「俺の嫁」として勝手に占有できるものであり、相手の都合を考える必要も無く侵害できるものである。そういう想像力の延長線上で、相手が私の我儘になるべきなのに、そうしなかった、と言って暴走する人が出てくるのだろう。「もの」として扱ってしまうその前提が間違っているのである。

分別が付いていなければ、そういうことになるだろう、と想像する。知的水準が低いのか社会化が不完全なのか知らないが、一部の人は物と生物とを同一視してしまうようだ。その結果、本来あるべき距離感を無いものとして取り扱う。家族に対する内弁慶なども、そうした思い込みから表出しやすいのではないかと思う…。

二次元のキャラクターは可愛いが、それは人形と同じである。性的なものと掛け合わせて、女性っぽく見せかけて、女性と同一視させるように仕向けているものだと言えるかもしれない。ただし二次元キャラクターは女性ではない。

やってることは、エイと性交してるのと変わらない。要は「見立てている」訳である。タルパなどに代表されるが、そう思い込もうとすれば、そう思い込めるだろう…。二次元に対する興奮も訓練の成果な気がする。昔は落書きみたいな不細工なダッチワイフでも売れたんだから…。

犬や猫といったペットも、その可愛さから、どうも「物」として扱われるケースがある。愛玩動物というわけで、玩具みたいなもんだと考えてしまう人もいるのだろう。「可愛いから飼っている(所持している)」わけだから。まぁ、女性に対してなどその人格を無いもののように暴力を振るえる理由も同じようなものだろう。

犬や猫と結婚しようとする者もいるそうだが、流石に現実逃避のし過ぎだと思う。「精神の自由」やら「思想の自由」を語るにしても、どんな動物も自分の判断能力を調整しながら生きてくわけで、周囲を顧みるなりよく考える必要はある…。すべてをうっちゃって良いわけではあるまい…。

二次元・幼児性・可愛さ、ロリというのは、そう結び付けて同一視しようという試みに見える。3次元の児童と二次元少女の間にも、中高校生だろうが随分高い壁があるような気がするが、思い込みで踏み越えようとするんじゃないか。まぁ、目を瞑って強引に邁進しようとすれば乗り越えられるだろう、きっと。それは「本物の方が良いに違いない」という幻想に基づくように思える。

童貞がエロ本では満足できないように感じるような感覚だろう…。風俗に行っても偽物扱いで交際してエッチするのが本当みたいな話である。信ぴょう性は無いが。同様に「結婚すれば幸せになれる」というのも妙に思い込んでる人間が多い気がするけれど儚い幻想である。「本物」志向の結果だろう。正直、童貞でも加齢で性欲が衰えれば、セックスなんてどうでも良くなるだろうから、別に人生の半分を損したりすることは無いと思う。童貞だろうが興味が無いのにセックスしても苦痛なだけだろう…。

「人間を殺してみたかった」という人もたまにいるし、せっかく生を受けたのだから「あらゆる経験をしたい」と語る者もいる。それはどうも自由というものを無制限とはき違えてるのだろう、と思う。宇宙に対する浪漫も無重力=自由=最高に違いない、とか、宇宙広すぎる=無限=自由、みたいな部分が結構ある気がする。

月の影取る猿(ましら)、という諺を発見した。水面に映った月を取ろうとして溺れ死ぬ、ということだそうで。前述したような自由の度外視はこの諺のようなものである。まぁ、私としては月に手を伸ばしたところで届くまい、という程度の気持ちだったのだが、サカキバラ事件なんかを鑑みるに、溺れ死ぬこともあるだろう。

月にも手は届かないし、月の影などはそもそも幻である…。

当たり前に聞こえても、私みたいに脳に欠陥がある人には時には難しい忠言なのだが、自分の頭で慎重に考えて行動することは基本だろう。

若い時分には万能感と無知から、そういう失敗をしでかす。今の時代は学問以外の教師が周囲にいないことも多く、教えてくれる者がいない。自分の頭が足りなければ、年をとっても、世の中の理を知らなかったりする訳である。

水面に映った月だということを知らなければ、愚かな行為だと知らずに手を伸ばす。