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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

絶望していると何もかもどうでも良くなるから実際に投げ出してしまうということ

責任能力…誰でもそれを持っているという建前を私たちは語るけれど、嘘だと思う。

精神鑑定…で責任能力が無いと言われるレベルは高い。だから、大勢の無責任な人間は裁かれるのだろう。

彼らが無罪であるとは言わない。放置すれば問題になるのだから。但し、人間はどのくらい自分に責任を持てているだろうか。

私は建前なんだとしても、その能力を高く見積もり過ぎていると思う。

孤立して人生に展望が持てなくなり、何もかもどうでも良くなってしまった人間は「道徳心なんて何の意味があるのか?」等、捨て鉢な精神状態に至る。精神的に活力が抜け脱力し思考が停止する。

だから、倫理的に振舞おうというような動機とそれに伴う日常行動も停止するだろう。その結果、規範意識を見失い、どうしていいのか分からなくなる。→悪循環。

 

そういう人達は自分で自分の行動を正しく導いてやることができなくなってしまうだろう。絶望した状況が人々をそのようにさせてしまうというべきか。

 

まぁ、だから自分で何も決められず、他人に依存しきりたい、という人も出て来る。そういう人がどんな教えだろうと宗教に無批判に嵌ってしまったり…だとか。

 

自爆テロも結局はその手のことなのかな、と思ったりする。死刑になった宅間守という人も自身に対する絶望からモラルを捨てて良いとする投げ遣りな結論に導かれたのでは無かろうか。

 

自分に未来が無いとするなら、今、健康を気にしたところで何になるだろうか…と、そんな感じで不摂生をしてしまう気持ちと同様である。展望が見えず、積み上げ、コツコツと毎日を送るというローテーションに意味が見出せないとき、人間は責任を守る意味を見失ってしまうだろう。

 

すると無責任な人間が出来上がるわけである。例えば「人を殺して何が悪いの?」「ルールを破って私が何か損するわけ?」と言い出す。それは自分が自分に責任を負う意味が最早分からなくなってしまったのだろうと。絶望したとか、何かが自分の中で瓦解した時に、最早、社会性を保つ意味が分からなくなってしまう。

 

まぁ、なんで空気読んでるんだろう?みたいな。こんな人生意味無いのに。全部無意味なのに、ルールを守る必要なんてあるんだろうか。自分を守る必要なんてあるんだろうか。

 

そういう気持ちになってしまうと、罰を受けること自体を、他人事のように感じてしまうだろう。であれば、罰はそういう人の抑止にはならないだろう。と。だから、罰則をどれだけ厳しくしても、そんなのどうでもいいんだ、という人間には無意味である。

 

そんなのどうでもいい、と考えてしまうような状況に追いやられる人を減らそうとしなければどうしようもないんだろうな…と思うわけである。