LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

皆同じように苦労しているのだという誤解

同じことをするにしても、一人一人違う苦労をする

 

同一労働同一賃金と言っても、同じ仕事をしても、個々人は異なった苦労をしており皆等しくはならないのである。

 

皆同じことをすれば同じ苦労を背負うと言うのは、政治的なフェアを取り繕う迷信に過ぎない。資本主義社会を成立させるための宗教的な建前である。

 

数学の問題を解くとして、苦にならぬ人と苦になる人がいるように、同じ作業をしたとしても、人それぞれの疲労が蓄積するのだろう。その辺りを「皆同じように苦労している」と呼ぶのは誤魔化しであり、特に重い苦労を背負っている人間にとって理不尽である。

 

資本主義の平等主義の神話がどれなのか、私たちは宗教の中にどっぷり漬かっていて見抜けない。勿論、見抜けている人もいるだろうが(苦笑)

 

発達障害者はアンフェアをフェアと思い込まされ、底辺に叩き落され、暗い人生を自助努力の足りないせいにして生きざるを得なかったりする。

 

生まれながらに死ぬことを定められた実験動物や家畜のようなものだ。精神的な苦痛、肉体的な苦痛に晒される以上、それ以下かもしれない。話が逸れているな…。

 

健常者は皆同じように苦労していると言って慰め合うことが好きだが、私が言いたいのは、それは嘘だ、ということである。苦労は健常者でも障害者でも誰であろうと同じでは無い。同じ(よう)ですら無い。発達障害者はこういう言い方を真に受けるのである。

 

曖昧な物言いをして真実を誤魔化す世の中を、自分の言葉で再定義せねばならない。

 

胡蝶の夢というのがあるが、私たちは次も人間に生まれてくると信じている。この人間は障害者じゃない健常者のそれなりに恵まれた人間であるところの自分だろう。知的障害者に生まれてくることは人間の範囲に含まれないだろう。

 

実際、どうかと言って、みんな微妙に異なった人間なのだから、生まれてくるとしたらピンポイントにならないのは当然だろう。健常者が思う自分たちやら人間なんて決められたものは周囲に存在し無いのだから。

 

だから、来世があるとして、人間とか獣とか虫とか関係なく無差別に違いない思う。徳とか業なんて関係無い。境界なんて脳が作り出した幻想に過ぎない。

 

人間の脳は健常者であろうと不完全である。人間以上の認知を持った存在が周囲にいないから、これ以上は無いと思い込むだけで。

 

人間をどう思うべきかと言って、周囲の動物と変わらないだろう。犬や猫と同じと思って差し支えない。だからある種の人間は人間を他の動物と見境なく殺せるだろう。喰えるだろう。本来、家畜と人に境界なんて無いからである。

 

古来、奴隷は人では無いと見做されたが、逆で人間が奴隷と同じ存在に過ぎないのである。人間は奴隷を人に引き上げたが、実際は人間が奴隷に落ちる見方こそ正しい。同じ動物に過ぎないのだから。

 

ニートが働いて初めて「人として認められた」などと言うが、理性ある特別な存在などと驕っている大人たちは神話を信じているのに過ぎない。

 

ゴリラを殺すのも人間を殺すのも同じなのに、人殺しに特別な罪深さを感じるとしたら、それは信仰の賜物に他ならない。聖職者が禁忌を冒すのと同じである。

 

狂人を「こいつ人間では無い」と言う言い方が昔からあるが、人間とは神の信徒たる特別な地位にいる者のことで生物学的人間を指すわけでは無い。要するに人間教徒に属している人間こそが真なる人間であってそれ以外は人の顔をした獣に過ぎない。動物とは人間教徒の利用可能な資源に他ならない。

 

日本人は無宗教(笑)を信じている。仏教や神道と言う者もいるが、資本主義など社会的なイデオロギーを含んだ迷信一般を信じているに過ぎない。一般人は物事について世の中のルールについて、それほど哲学的に云々と考えないので宗教者である自覚が無い。

 

人間を傷つけたり殺したりすることが特別なのは宗教的な理由に他ならない。それが自然法的なものであったとしても。本来、その忌避感に正当な理由は無く、単に脳が境界を設けているに過ぎない。

 

自然に生きていたとしても、脳の支持するところの自然法に則った遵法をしていると言えるし、結局、どこまで行っても我々は何かを信じているのだろう。

 

発達障害者は人間扱いされないこともあるかもしれないが、それは要するに相手が信心深い人間教徒であるのに過ぎない。そういう宗教なのである。通過儀礼を滞りなくクリアした人間じゃ無いと人間と認められない。

 

それは歴史的に見てもどこぞの部族にもよくあることで現代がなぜ歴史の例外だと思うのだろうか?日本にはグンマーだって存在するというのに…。

 

この社会性も含めて人間という生物種であると理解した方が良い。そして、私はその中にいる人間であると。頭の良いIQ150とかの人が「なんでこいつらと一緒にされなきゃならないんだ…」と思ったそうだが普通の発達障害者たる私もなんで「こいつらと一緒にされなきゃいけないんだ…」と思うことは多い。

 

それは私が人間だから。『すばらしい新世界』にいるようなものである。社会は無論不完全で人間も不完全だからディスりたい現実ばかり目の前にあるという意味では、ディストピア小説と現実にそう違いは無い。義務教育は地獄で。家庭も地獄で。社会も地獄である。私にとっては。主人公がそうであったように。

 

私たちは何となく現代は最先端だから素晴らしいはずとか思っているが、そんなこともなく人類も社会も未熟なままである。未来から見れば江戸時代の少し先の方に過ぎず、『〇〇時代の闇』みたいな特集が組まれるんだろう。

 

そして、100年後の人たちは「あの時代も言うほどまともじゃなかったんだよな…現代に生まれて良かった」とか言っている癖に、その100年後もやはり同じ台詞を吐いているだろう。

 

健常者から見て私が目を背けたい人外であるように、私から見て健常者も目を背けたい人外であるかもしれず、それもひっくるめて人種という総体である。だから、有能過ぎて世界が見通せて人類に絶望しているラスボス的な人も頭を抱えながらも自分もその人類に違いないのだと納得しなければならないのである…。

 

そういう意味では『ガンダムSEED』的な論点、オールドタイプVSニュータイプみたいな話は考えるのに良い題材ですよね。

 

私は結局は、人類がすべきことってのは現在の犬猫の問題みたいに「殺処分数を0にして、不幸な犬猫を可能な限り減らす」みたいな話にしかならないと思うけど。私は不幸な犬猫なので偉そうなことをいう権利は無いけどにゃ。

 

老人ホームの問題も結局は「引き取られたは良いけど酷い飼い主に当たった」みたいなことで、虐待されたり、虐待したり、でしょ。犬猫の話とそんな変わらないんじゃないかなと思う。