LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

引きこもりの最も酷いケースは、全く外界からシャットアウトしてしまうようで、目も耳も閉ざしてしまうそうで。

それって、結局、外の世界が自分を拒絶するからなんだろうなぁ、と思ったり。

心を閉ざした犬が、心を開く瞬間という動画を見たことがあるが、根本的にはあれと同じだと思う。あれを拗らせると引きこもりから脱却できなくなる。私のように他人と違う人間の場合、特に擦り寄ってくる人間は「私と同じ人間」だから「分かり合えるはず」という論理で向かってくるから「分かり合えない」のである。

言葉の通じない外人に対しては「私とは違う」という意識を持って対峙するので、理解しようという努力とそれでも分からない可能性を考慮するのだが、なまじ日本語が通じるために、そういう態度で臨まないから、相手を理解出来ないし、理解出来ない原因に思い当たらず、自分と同じ扱いをして、相手を傷つけ続ける。

周りがそういう人間ばかりではやはり外界を拒絶せざるを得なくなる。

「話せば分かるはず」と考えるのも問題で、その人が自分の問題を上手く表現できない可能性を考慮していない。何でも話せる訳では無いのだから。だから、そういう人は「話し合っても」分かり合えないので、不満が貯まり、アクティング・アウトな反応を示す。アクティング・アウトというのは「言葉で表現できないから、態度で示す」ということである。

その結果が引きこもりだろうと思う。

引きこもりの話では無いが、ISのやっていることもアクティング・アウトだろうと思う。色々な事情から「話し合っても分かり合えない」と考えたために、ああした行動に出たのではないか、と考える。

私には感覚的には分からないのだが、自殺と他殺は表裏の関係である。行き詰った際に、自殺を選ぶ場合と他殺を選ぶ場合があると思う。私は前者だが、後者の者もいるだろう。

だから、耐えきれなくなった時点でアクティング・アウトという形で問題行動を起こし、自殺か他殺という形が彼らの最大の抵抗/反抗の形であり、それが他殺という形を取った場合には、ISがやるように吊るしたり等、非人道的な形を伴うのだろう。それは不満の表現としての殺人だから、それを示す必要があって残酷になる。そして殺人は彼らにとって当然の表現の手段にしか過ぎないというのなら、それ自体にあまり痛痒を感じないだろう。

川崎の少年たちは家裁送りになったそうだが、それで良いと思う。私が以前書いたように、見た目こそショッキングな事件だったが彼らは(あまりにも)愚かだっただけで狂っていた訳では無いと思うからである。サイコパスと言われるように狂っている者もいるが、そうでは無い場合には、特に少年には更生の機会が与えられても良いのかもしれない。名古屋の少女の場合には、あまりにも拗れているように見えて、私は上手く同情できない。犯罪者を崇拝する心理はどこから来るのだろう。

自殺者は「勇気あるなー」と一時期思っていたことがあるのだが、犯罪者を崇拝する気になったことは無い。万引きなんかは不良の度胸試しで行われることもあるようなのだが、その延長線上にでもあるのだろうか?

ISも狂人の集団というのではなく、あくまでも人間の集団として理解可能だろう。論理的にそういう行動になってしまったことを説明できるということである。国際社会は彼らを許しはしないが、では国際社会が正義なのか、というと、それは違うだろう。単に長いものに巻かれてるだけである。だからこの不完全な社会の格差の皺寄せを受ける層が社会システムに反発して反旗を翻すことは特に不思議では無い。

過激すぎるストライキみたいなものだろう。過激すぎるから弾圧も過激になる。世論は「こんなことは許されない」とばかり言っているが、じゃあこのストの原因がどこにあって、彼らは何が不満だったのか…と考えないと今ISを叩いたところで、そのうち同じような輩が生まれてきて、結局は何も変わらないのかもしれないと思う。

その辺は「犯罪者は死ね」というだけじゃ根本的な解決にならないのと同じである。社会問題の解決というのは個々人の問題では無く、システム側を調整することによってしか解決されえない。

別の話だが、作家などはよく自殺する人がいて、それが何故かというのは、多少思うところがある。ねこじるという漫画が一時期流行って、その作家が自殺したのだが「ねこじる」というのは気味の悪い漫画であった。結局、そういうものに長く触れてると気が病んでしまう。読書は追体験であり漫画を描くのも同様である。だから書くものに作家自身影響されざるを得ない。

戦争帰りの軍人の自殺率が高かったりPTSDになったりというように、ショッキングな現実に耐えうるように私たちの精神は出来ていないのだと思う。逆に耐えてしまうと、そちらの現実に無理に適応してしまいおかしくなって戻って来れなくなる。モラルは割と不可逆だと私は思っている。

だから、例えば一度殺人を犯してしまうと、そこから元へは戻れないのである。あるいは例えば一度レイプされてしまうと、そこから元へは戻れないのである。消えないスティグマ(痣)を付けられることになり払拭することが出来ない。だからレイプされた女性だとか酷いプレイをさせられたAV女優だとかが、気を病みやすいのだと思う。

アフリカへの募金なんかを見ていると、ワクチンや食糧を送るだけで根本的解決にならないのなら、なんの意味があるのかな、と思う。「放っておけばいいじゃん」と思う訳で。

最近の犯罪に対する世論の見方では、被害者側に同情的で、加害者側に悪辣である。まぁ、ネットは叩けるものは何でも叩くという捌け口的な環境でもあるから仕方ないところはあるのだが。ものの見方としては、被害者側・加害者側・社会側というように複眼的に見た方が良い。

アフリカの話も今現在苦しんでいる人の側と将来的にどうシステムを構築して自律させるのか、と考えて支援する少なくとも二つの考えは必要になる。アフリカの人口爆発を見ていると今生きている人は死ぬ人は死なせた方が良いんじゃないかと思えてくるのだが…(汗)

まぁ、それは人道に反するという話になるのだろう。何れにしても、人道支援と同時に、後者の側の循環なり開発なりに投資してかないと穴の開いた瓶に水を注ぐだけなような気がする。