電気柵の事件は、柵をかけたお爺さんが自殺して事件は終わってしまったようですね。
私はそのことが酷く寂しく思えた。お爺さんの気持ちを考えると、私も酷く苦しくなった。
寝屋川市で、中学1年生の少女が無残に殺された。同級生は今も見つかっていない。
深夜に彷徨ってる若者なんて何時の時代でもいるものだから、それで殺されても仕方がない、
と言われるのは違うんじゃないかな、と思う。
子供に問題があったから、親に問題があったから仕方ない。
私にとっては彼らの問題など、弄ばれて無残に殺される程の業じゃないと思いますけどね。
ただの素行不良の子と、殺人犯を同列にしちゃダメだと思う。
私も子供の頃、深夜家の外に出て徘徊していました。「孤独で…静かで…豊かで…」と呟きながら。
まぁ、呟いたのは嘘ですよ。「エロイムエッサイム」とかだったかしら。
家にも学校にも居場所が無いから外に出て星を見上げて静寂の中に立ち続けて自分に問いかけるんですよね。
「力が欲しいか…」
嘘ですけど。部屋にいても息が詰まるから、そうして冬の夜の外気にさらされて一時の開放を願ってるというかね。
片田舎でしたので、人とすれ違うこともありませんでしたし。月を見上げたり、赤っぽい空を見て不気味に思ったり。
それが寝屋川市みたいな場所だと拉致られて殺されちゃうんですよね?
外もダメか…ってんでますます息苦しいことですね。
私の環境では私以外深夜に散歩してる人はいませんでしたけども。酔狂な人間→私だけ、という。
そういうの非常に助かります。この世界は今私だけのものなのだ!的な感慨に耽られるのって、わかりませんか?
別にそれで何をするってんでも無いんですが、そこにいるのが楽なんですよね。
ほんと人間関係向いてないな、と思うんだけど。常に孤独なスペースを探しているので。
僕みたいな人間が、いじめられて当然だ、というような感じに見えて、寝屋川市の事件には眉を顰める。
そんな親の元に生まれてきたことが間違っている。
発達障害に生まれてきたことが間違っている。だから、そんな目に遭って当然だ。
『ヒミズ』なんか思い出しませんか?普通以下の層に生まれてきたことで、普通の生活が送れず、
周りとの格差に絶望して死んでいく。
「なろう」の転生ものじゃないけど、そういうのって、人生やり直せたら…っていう夢を叶えようって話で。
そういう系のスレで小学校までやり直せたらみたいなのありますけど、私はやり直せる気がしないんですよね。
生まれつきの障害なので。私は思うに死んで初期化して環境を優位にしたうえで生まれ直さないとダメだと思う。
でも、それってもう私じゃない別の誰かの人生なんですけどね(笑)
障害は性格に実に影響を与えている。発達障害とその人の性格を切り離すことは無理だと思う。
だから、それが悪いせいだ、と言われても、どうしようもないのである。現にそういわれることもあり、
私は「だったら今すぐ殺してよ」と言いたくなる。苦痛や恐怖が最小の方法で頼みます(´・ω・`)
私は自分が間違った存在だと思うから、こういう事件で叩かれる人たちに多少同情する。